27. 秋桜を捧ぐ
――愛しています
――つきあって下さい
何が起きているのか、すぐには理解できなかった。
私と朔夜は、花言葉の話をしていたのだ。
花言葉がどういうものなのか。そして赤いコスモスの言葉。赤い薔薇の言葉。それが十二本あることの意味。
さらにその前の会話を思い返す。
望夢君と朔夜の会話。望夢君の話。
そして。
胸の中に小さく灯っていた炎が、
朔夜の手元を見る。
今、私が差し出されているのは、「十二個のチョコレート」ではなく。
そこに込められた「想い」だ。
彼が私に「好き」寄りの感情を抱いてくれているであろうことは、うっすらと感じ取っていた。でもそれは私が抱く「好き」とは別のものだと思っていた。
だって彼は鴻家長男で、容姿端麗で、人狼族で。
私は庶民で、地味で、人間で。
生まれ育ちも、外見も、種も、何もかもが違うから。
朔夜は夜空に浮かぶ月と同じ。どんなに恋焦がれても、ただ地上から見上げることしかできないと思っていた。
思っていたのに。
「朔夜」
得体の知れない恐れに声が震える。
続く言葉を口にしたら、元には戻れない。
「朔夜は私に、『十二本の赤い薔薇の花束』を、くれる、の」
その問いに、彼は唇を結び、頷いた。
胸の炎が眩しすぎて、目の前が真っ白になる。
差し出されたチョコレートを受け取ろうとした。だが、伸ばしかけた手を止める。
伝えられて受け取る、だけでは終われない。
彼の目を見つめる。
恐れと戦い、「私なんか」という想いを踏みつぶし、彼の目を、まっすぐに見つめる。
「あのね、私、いつからなのかは、はっきりしないんだけど、重い病に侵されていたの」
慣れない言い回しに自分で戸惑う。
「心の中に花が咲く病」
怪訝そうな顔をした朔夜に微笑む。
でも、きちんと微笑めたかはわからない。
「最初はね、ぽつん、と赤いコスモスが一輪、咲いたの。これなんだろう、どうしたのかなあと思っていたら、そのうち赤いコスモスがどんどんどんどん増えていって、心を圧迫して苦しくて仕方がなくなったんだ」
そう。コスモスはか弱そうな姿をしながら、爆発的に増えていった。
「知っている? コスモスってね、あんな見た目だけど結構丈夫なんだよ。あまりに増えすぎて怖くなって、必死になって摘んだんだけど、あとからあとから咲いてくるの。そのうち赤い薔薇まで咲き出して、心の中が真っ赤な花でぎゅうぎゅうで、いつ爆発してもおかしくないくらいになったんだ。でも私、力があるからさ、無理やり押さえつけていたんだよね」
夜空色の瞳が揺れている。
窓から微かな風が流れ込む。
「でもね、こんなに苦しい花なのに、どれもとっても綺麗で、私にとっては全部が大切なんだ。だから」
両手を前に差し出す。
「朔夜が十二本の薔薇の花束を私にくれるように」
深紅の箱を受け取る。
彼の指先が触れる。
「私の心に咲く花の全てを、あなたに捧げます」
心に秘めていた赤い花々が、光と共に一気に溢れ出す。
私たちはしばらく互いの瞳を見つめ合った。
彼の顔が、泣いているような、笑っているような表情になる。
私は箱を胸に抱き、ゆっくりと頭を下げた。
言葉を変えて、はっきりと伝える。
「ありがとう。喜んでお受けします。これからどうぞ、よろしくね」
私たちをからかうように揺れるコスモスに目を向ける。
おそらく、望夢君たちが食事を終えるのはまだ先だ。でも、さすがに「よし、では勉強しようか」と言う気にはなれない。
ベッドに並んで腰かける。
見つめ合い、微笑む。
互いの手が触れる。
どうしよう。どうしよう。
胸の中が、溶けたチョコレートのように熱くて甘くなる。
想いを秘めても受け止め合っても、どうしてこんなに苦しいのだろう。
「の、望夢君たちの食事が終わるのはもうちょっと先だろうからさ、チョコレートを一粒だけ食べない? 小腹すいちゃったよ」
本当は胸がいっぱい過ぎて、小腹の余裕なんかどこにもない。でも、なにか喋らないと、この空気に押し潰されそうだ。
チョコレートをそっとつまむ。朔夜の想いが込められているのだと思うと、一粒一粒がたまらなく尊くいとおしい。
朔夜は私の様子をにこにこと見ていた。その彼の口元にチョコレートを持っていく。
「朔夜、あーん」
私がそう言うと、彼はきょとんとした顔をした。
「え?」
「だからさ、ほら、あーん。恥ずかしいから何度も言わせないでよもう」
口を開いてみせる。なんだか調子に乗って物凄く陳腐なことをしているような気がして、猛烈に恥ずかしくなってきた。
彼がはにかみながら口を開ける。引き締まった淡紅色の唇の中から、真珠のように真っ白な歯が覗いている。
ころん、とチョコレートが入っていく。
ほろ苦さを抱えた甘い香りが漂う。
今度は朔夜が私の口元にチョコレートを持ってきた。
口を開ける。自分で始めたことだけれど、恥ずかしくて床を転げまわりたくなる。
チョコレートが口の中に入る。
彼の指先が唇に触れる。
その感触に軽い目眩を覚えたのは、きっとチョコレートがおいしすぎたせいだ。
「うわああ、兄様、いくらなんでも嘘だろう! おかしいんじゃないのっ」
それからしばらくして、ノックもせずにいきなり我が家に入り込んできた望夢君は、私たちを見て思いきり顔をしかめた。
私たちは机に参考書を広げ、勉強を始めるところだった。
望夢君たちにはゆっくりしてほしかったので、遅めに出かけるつもりだった。だから少し勉強しようと思っていただけなのに、何がおかしいのだろう。
父の部屋から椅子を持ってきて――考えてみれば、あの話し合いの時も父の椅子を持ってくればよかった――向かい合ったタイミングで来られたので、まだ勉強に手をつけていない。
「望夢、人の家に勝手に入ったらだめじゃないか」
「だってえ。二人がどうしているか、こっそり見たかったんだから、しかたないじゃないか」
それは「しかたない」ことなのか。望夢君は室内をきょろきょろと見回した後、私たちの顔を交互に何度か見た。
そして満足げに、うんうんと頷く。
「でも、兄様は無事に薔薇の花束を受け取ってもらえたみたいだね」
望夢君の言葉に顔を真っ赤にして椅子から立ち上がる朔夜を、するりとかわして平山さんと腕を組み、私を見る。
「じゃあ、僕たちは帰るから。お邪魔しました、高梨さん……じゃなくて」
にやりといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「お
朔夜は口をぱくぱくさせている。私は首をかしげた。
「お
私は一人っ子だし、特に面倒見のいいほうでもない。にやにやしながら「お姐様」と言われるようなタイプではないと思うのだが。
望夢君は私の問いには答えず、肩を落として大きなため息をついた。
朔夜の肩をぽん、と叩く。
「なんというかさ、頑張ってね、兄様」
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