24. 新月と満月

 なんとなく、そうではないかと思っていた。

 馬車から降りてきたのは、望夢君と平山さんだった。

 平山さんが御者とやりとりしている間に、望夢君が大股でこちらまで歩いてくる。その表情は険しく、好意的な感情を抱いていないのは明らかだった。


「なんで兄様がこんな所を歩いているんだよ。僕たちの邪魔でもしに来たのかい」


 平山さんが慌てたように駆け寄ってくる。朔夜は腕を組んで望夢君を睨み返した。


「そんなことをする必要がどこにある。単なる偶然に決まっているだろ」

「そんな、だって、どうせあのお店へ行くんだろう。食事をする所なんかたくさんあるのに、邪魔しようとわざと」

「あの、ちょっといいですかね」


 聞いていられなくなり、横から入り込む。

 彼にも色々あるのだろう。だがこの話しぶりにはいい加減腹が立った。


「私の家、あそこなんです。朔夜さんとうちで勉強する約束をしていて、その前に腹ごしらえだねってことで、近所の飯屋に行こうとしていただけなんです。だから本当に偶然なんです。邪魔する気なんかない、といいますか、会いたくないなあって思っていたくらいなんですが」

「な……っ」


 望夢君が言い返す言葉を考えている間に畳みかける。


「鴻さん、あなた前も、その前も、言いたいことを言って去っていきましたよね。だから今度は私が言います。ねえ、もうこういうの、やめませんか。あの飯屋は中が広いですから、離れた席でそれぞれ食事を楽しみましょうよ」


 言いながら、やってしまったと思う。

 私、たまにあるのだ。かっとなって思った以上に強い口調でまくし立ててしまうこと。以前、朔夜のお父様にもやってしまった。


「なんて無礼な女なんだ! この……」


 望夢君は白い肌を真っ赤にして私を睨みつけている。そこへ平山さんが声を掛けた。

 望夢君の両肩に、そっと手を置いている。


「せっかくの日なのですから、もう、よしましょう。こちらのご婦人の提案どおりにするか、別の店へ行きませんか」

「嫌だよ! なんで僕らが妥協しなきゃいけないんだよ」

「ご主人様」


 そこで望夢君は平山さんの手を振りほどいて彼に掴みかかった。


「ご主人様! ああどうせご主人様だよ。なんだよ、兄様たちはいつでも好き放題できるじゃないか。好きな相手と、好きな時に、好きなものを食べられるんだから、僕は、この日が、なんで」

「望夢」


 朔夜のよく通る声が、混乱した空気の中に切り込む。

 彼は望夢君の手を平山さんから外した。


「先ほどの話の通り、ここは彼女の地元なんだ。こんな風に騒ぎ立てたら、彼女に何があったんだと思われてしまうだろ」

「そんなの僕には関係ないよ。そもそも」

「いいから。なあ、もうこの際だから、こうやっていちいち騒ぐのではなく、お互い一度冷静に話さないか。今日の食事のことだけではなく、全部」


 そこで言葉を切り、私の方を見る。

 私は頷いた。別に今すぐ食事がしたいわけではないし、ちゃんと会話ができるようならすっきりさせておいたほうがいい。

 それにこの会話で、火に油を注いでしまったのは私だ。申し訳ない気持ちと鎮火してほしい気持ちが大きい。

 

「兄様と話をして何になるっていうんだい。僕のことを何も知らないくせに、適当なことを言ってこの場をごまかそうっていうの」

「ごまかさない。それに、望夢のことを何も知らないわけじゃない。自由のない暮らしや跡継ぎの重圧に苦しんでいるのも知っているし」


 平山さんに視線を向ける。


「望夢と平山が恋仲なのも知っている」




 結局、昼食は急遽延期となり、私の家で話し合いの場が持たれることになった。

 道のど真ん中で望夢君が騒ぎ、私が火に油を注ぎ、朔夜がまとめたかと思ったら、最後に爆弾を投下したことで、収拾がつかなくなってしまったからだ。


 混乱して手に負えなくなっていた望夢君を、平山さんがなんとかなだめて家の中に入れてくれた。


「瑠奈、ごめん。迷惑かけてしまって」

「ううん、いいよ。お互いここでしっかり思いを吐き出す、というのはいいことだと思う。でも最後の一言はうちで言えばよかったかなあ、なんて」


 望夢君と平山さんがそういう関係なのかな、というのは察していた。でも朔夜みたいに断言できるほどの確信はなかったので、彼があんなにもはっきり言った時は驚いてしまった。

 きっと、ああ言えるほどの何かがあったのだろう。


 私の部屋は椅子が一脚しかなく、ベッドに座ると話しにくいので、皆が立ったままの状態になる。望夢君は頬を膨らませて腕を組んだ。


「この家はお茶も出ないの」

「うち炊事場がないんで、共用水道から汲んできた水くらいしかお出しできないんですよ。すみませんねえ。私、平山さんとおんなじ庶民なもんで」


 どう考えても最後の一言は余計だった。さっきの朔夜のことを言えない。でも庶民だなんだと人を見下すことの危険さを、これで思い知ればいい。

 何か言い返してくるかと思ったが、望夢君はちらりと平山さんを見た後、拳を握って俯いた。


 少しの沈黙の後、朔夜が口を開きかけた時、望夢君が顔を上げた。


「兄様。重圧どうこうは別にいいよ。それより、さっきの発言は何」

「さっきの、というのは、平山との仲のことか」


 望夢君が黙って頷く。

 望夢君の手に平山さんの手が触れた。望夢君の白くて細い指が、躊躇いがちにその手に絡みつく。

 小麦色の大きな手が、しっかりと握り返す。

 その様子を見た朔夜が話を続けた。


「二か月くらい前に、あの飯屋で会ったことがあるだろ。あの時の様子でそうかなあと思ったんだ。それから母屋で何度か見かけて、確信したよ。自分たちはうまく隠しているつもりかもしれないけれど、はたから見ればわかる」


 望夢君の頬が、さあっと紅潮した。

 平山さんがその顔を覗き込む。そして朔夜に向かって折れそうなほど深く頭を下げた。


「申し訳ないです朔夜様! 私めの想いが鴻家にとって、決してあってはならぬものだということは重々承知しております。しかしながら、どうか、どうか、鴻様と奥様には」


 望夢君が彼の顔を見て、悲しいような、怒ったような表情を浮かべている。


 なんとなく、彼の気持ちはわかる。

 平山さんの立場では、こう言わなければならないのだろう。でも恋人に、自分への想いを「決してあってはならぬもの」なんて言われたらショックだ。

 そこへ朔夜が平山さんの話を遮った。


「二人の仲のことを、両親に言う気はないよ。俺としては二人は慕いあっている、ただそれだけでいいと思うし」

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