11. あなたに伝えたいこと

 午前の授業が終わった後、下校する一年生の馬車や自動車に交じって学校を出た。

 色々考えたが、結局早退することにした。何事もなかったかのように日常を過ごすことなんて、できなかったからだ。

 朔夜に、会いたい。


 学校から朔夜の家までの行き方がわからないので、馬車に乗った。

 御者に「鴻家まで」と行き先を伝えたら、あっさり了解してくれたのが凄い。敷地の柵が見えるところまではすぐだったが、そこから正門までがやたら長かった。

 天下の鴻家の敷地面積を舐めて、「徒歩で行けるかな」なんてやらなくてよかった。

 

 門番に、朔夜を訪ねてきたことと、突然の訪問であることを伝える。

 暇そうに爪をいじっていた門番は、私を上から下までじろじろと見た後、伝声管で誰かと話していた。


 本格的な夏の始まりを告げる七月の太陽が、私の赤茶色の髪をじりじりと焼く。湿度が高いせいで、実際の気温以上に暑い。

 錬鉄製の巨大な門扉の向こうを覗いてみる。

 「母屋」と呼ばれていた白い屋敷は、全貌こそ見えないものの、まるで異国の城のような大きさ、美しさだ。とても「俺んち」と呼べるような代物ではない。

 離れ家を探してみる。だが木立に隠れているのか、ここからでは確認できなかった。


「入っていいって」


 いきなり声を掛けられる。振り向くと、門番が愛想のかけらもない様子で立っていた。


「そのまま離れまで行ってくださいって。途中に麻田さんいるんで」


 一応、敷地内に入れてもらう際に丁寧に礼はしたが、門番の態度に若干の違和感を覚えた。

 別に「私を丁重に扱え」なんて言うつもりはない。それでも以前、勤め先の社長が言っていた言葉を思い出す。


 ――お客さんにも、仲間にも礼儀は忘れないでください。小難しい作法なんていいんです。挨拶や会話に心を込める。相手に敬意を、会社に誇りを持っていれば、自然とできることです。


 鴻家、大丈夫なのかな、なんて思ってみる。




「これはこれは。お暑かったでしょう」


 小走りでこちらに来た麻田さんは、先ほどの門番とは大違いの物腰で頭を下げた。彼と並んで離れ家に向かう。


「高梨様」


 静かな口調で話しかけてくる。


「主人のあの姿について、尋ねにいらしたのですか」


 私は首を横に傾げた。


「いえ。今日はお礼とお見舞いを、と思って伺いました。あの時助けてもらわなければ、どうなっていたか。そしてそのせいで学校を『風邪』と言って休むほど無理をしてしまったのではないか、って」


 変身の時を思い出す。

 当然、その事実には驚いたし、何事だったのかと訊きたい。しかし衝撃を一晩受け止め続けた今、ここに来た理由はそれじゃない。

 変身する時、朔夜はかなり苦しげだった。凄い音もしたし、体に負担がかかっていたのは明らかだ。

 それなのに、変身して助けてくれた。

 私のために。


「それと、えっと、これ、必要かしら、って」


 鞄の中を探り、中から帳面を取り出した。太陽の下で見る帳面は、自分でもぎょっとするほど汚い。


「今日の授業内容が書いてあるんです。これが幾望国語、これが算術です。めちゃめちゃ使い古していて恥ずかしいのですが」


 頭陀袋を顎で挟みながら、帳面をごそごそとしまう。

 まったく。私ってば、言葉遣いも仕草も、優雅とはほど遠い。


 麻田さんは私を見てふっと笑い、前を向いた。


「さすが、我が主人」

「え?」

「いいえ、なんでもありませんよ」




 離れ家に入る前に、麻田さんが「人狼族」について色々と教えてくれた。

 

 「人狼族」は国や人種に関係なく、一定数存在しているらしい。

 普段は人間と全く同じ暮らしをしているので、気づかれることはない。そもそも人間しかいない前提で成り立っている社会で、変身することはまずない。


 それでもごくまれに変身しているところを見られてしまうことがある。

 それが「伝説の怪物」として面白おかしく伝えられているのだそうだ。人狼族だってそんなふうに怪物扱いされたくない。だから麻田さんのように信頼のおけるごく一部の人間以外には、絶対に正体を明かさない。


 人間とは比べ物にならない優れた嗅覚や聴覚がありながら、視覚や寿命などは人間と同じ、という、いいとこ取りな体質を持つ。


 そして実は、鴻家をはじめ経済界の大物は、かなりの割合で人狼族なのだそうだ。


「成程。ということは、人狼族は人間より優れているのですね」


 瀟洒な造りの離れ家が近づいてくる。私の言葉に麻田さんは首を横に振った。

 

「いいえ。嗅覚や聴覚の能力は、殆どの人狼族が隠すか封じるかしていますので、あまり意味がありません。そしてビジネスの成功は、同族同士のコネクションや政略結婚などが主な理由です。『人狼だから』成功したわけではないのです。それに」


 離れ家の前に立つ。麻田さんはちらりと二階を見上げてから、声を落とした。


「皆が皆、成功しているわけではありませんし、一口に人狼族と言っても、いろいろです。さ、こちらへどうぞ」




 寝室に通される。朔夜はベッドの上で上体を起こし、私を見て目を伏せた。

 その姿にどきりとする。一瞬、彼が透けたように感じたのだ。

 そのくらい、彼からは生気が感じられなかった。私は鞄と頭陀袋を床に置くと彼のそばに駆け寄った。


「瑠奈」

「朔夜、大丈夫? ごめんね急に押しかけて。お礼と様子見に来たんだけど、疲れちゃいけないからすぐに帰るね」

「いやちょっと待っ」


 早口でそう言った後、言葉を切り、俯く。再び私を見、手を伸ばしてきた。

 しなやかな細長い指が、私の目の前まで伸びる。しばらく躊躇うように指先を動かした後、離れていく。


「ごめん。俺、怖かっただろ」


 目を逸らし、呟く。


「麻田から聞いたよね、『人狼族』のこと。俺が、『伝説の怪物」だっていうこと」


 窓から湿度を含んだ七月の風が吹く。彼の言葉に私は頷いた。


「うん、聞いた。んで、目の前で狼に変身したときはびっくりしたし、ちょっと怖かった」


 朔夜が下を向いて唇を噛んだ。その顔を覗き込む。


「でも、自分が変身したら私がそう思うって、朔夜はわかっていたと思うの。それなのに、助けてくれたんだよね。凄い熱と、凄い音を立ててまで、私を」


 私に触れることなく下ろされた手を、両手で強く握る。

 しなやかで滑らかな彼の手は、見た目の印象よりも大きくて力強い、男性の手だった。


「ありがとう朔夜、助けてくれて」


 弱々しく光を失っていた彼の目が、僅かに見開かれる。


「そしてごめんなさい、私のせいで」

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