クリエイター生活in異世界
夏木
異世界に転移した
俺はただ、息抜きに出かけただけだった。
イラストからデザイン、ペイント……絵に関係する活動をするアーティストとして働いて、そろそろ結婚やらなにやらと周りからあれこれ言われる歳になった今、それなりに社会を知っているつもりだ。
そんな俺は、自宅兼アトリエとなっている部屋で朝からずっと仕事をし、少しばかりの息抜きとして外に出た。
近くの公園へ来てベンチに座り、ぼーっと周りを見ていた。それがアイデアを出すのに必要だったからだ。
体感的に時間はそんなに長くなかったと思う。ピンと閃くことはなかったから、また時間を改めてこようと思って、一度目を閉じて深呼吸して立ち上がったとき、俺の目の前から公園が消え去った。
何言っているかわからないって?
俺も信じられないんだが、さっきまであったブランコや滑り台がなくなったんだ。
遊具という遊具は全部まるごと一瞬のうちにだ。まるでマジックとしか言いようがない。
目を疑って振り返ったら、今度はさっきまで座っていたベンチもなくなっていた。代わりに現れたのは、人の気配が感じられない廃墟と瓦礫。どこだ、ここは。
そもそも俺の家は都心にある。暮らしている人は比較的若い人が多い。近所には住宅にマンション、アパートが多くある。子供も多くて、遊び場となる公園もある。
俺の家はそんな公園からは、決して離れていない。さらに言えば、自宅周囲の環境は知っているが、こんな廃墟は近所になかった。
ふと空を見上げれば、夜空が広がる。深く吸い込まれそうな蒼い色に、小さな白とも黄色ともいえない星が散った空だ。
いつも通りの空と似ている。
似ているだけで、おかしな点があった。
小さい星がいくつも輝いている中で、月も輝く。だが、その数がおかしい。
星はどれだけあっても違和感は感じない。だけど、さすがに月が二つあるのはおかしいだろ。
俺は乱視ではない。視力だけはいつになっても落ちなかったから、見間違えたわけでもない。
何度目をこすっても、瞬きしても、月が二つある。
満月と三日月。二つの月が離れて空で輝いている。
「どうなってんだ……?」
見上げて思わず独り言が出てしまう。歳をとると独り言が多くなるのは本当嫌になるな。
ずっと見上げて首が痛くなってきたところで、正面を見る。相変わらずの廃墟だ。そこから視線をさらに下へ降ろしたら、何やらペンキ缶のようなものが転がっていた。それを拾ってみてみる。
仕事でも使うようなペンキ缶だ。
十五センチぐらいの高さしかない小さめの。使い慣れたサイズ感に親近感が湧く。
中身は空ではあるが、外側に何やら文字が書かれている。
日本語ではない。
かといって、英語やアラビア語のような文字でもない。
こんな文字、見たことがない。だから読めない。
「いや、まさかな……」
アンティーク品かとも考えた。でも、何か違う気がする。
見たことない景色。
見たことない文字。
頭の中をよぎる「異世界」という単語。
否定してみるも、現実が事実だと示している。
「あーっ!」
背後から甲高い声が聞こえて、思わず肩が動いた。
振り返ればそこにいたのは、小さな明かりを持った一人の少女。
メラメラと燃える炎を灯したランタンのようだ。
少女は長い髪にワンピース姿。足下はサンダルで、夜に廃墟をフラつくのに相応しくない格好だ。
「まさかまさか!」
そう言いながら少女はどんどん近づいてきて、俺の目の前で足を止める。
近距離ではっきりと見えたのは日本人離れした人形みたいな顔立ち。
美少女と言われれば、大多数が頷くだろう。可愛い子は嫌いじゃないけど、俺の好みはもう少し年上。一瞬だけ緊張したが、すぐにそれは解けた。
「あなた! それ、見つけたのね!」
「……はい? 俺はただ拾っただけで……」
言葉は理解できた。
俺がそう返したとき、持っていたペンキ缶が急に重くなる。
「うっ……? 重くなって……」
「凄い! もう充填されてる! あなたとの相性がいいみたいね。残念だけど、私は諦めるしかないかな……」
「はい?」
少女は残念そうにしているけど、俺は何を言ってるのか全くわからない。
このペンキ缶、さっきまで空っぽだったのに、この重み、まるで中身が入っているみたいだ。
少し揺らしてみれば、液体が動く感覚がした。
「あの、これ、何なんです? 俺、何もしてないんだけど」
「知らないで使ったの? 嘘でしょう?」
「知らないですよ……」
少女は呆れたように、ため息を吐く。
俺も吐きたいよ。急にこんなところにきて、何か起きてて、知らない子供に呆れられて。
俺の顔を見て、本気で何もわかっていないと思ったのか、少女は説明してくれた。
「これは
魔道具に魔力?
おいおい、何を言っているんだこの子供は。そんなものあるわけないだろう。頭がいかれているんじゃないか?
「この手の魔道具は持ち主を選ぶとも言われているの。私も見つけられたら、凄いクリエイターになれると思ったのに……」
「その言い方だと適性が必要と聞こえるんですが?」
「そう。見つけて使えたら、適性が認められたっていうことなの」
となると、俺はこの魔道具【カラーバケット】に認められたのか?
仕事で色々な塗料を使ったことはあるが、流石に魔道具はない。未知のものを素手で触るのは気が引けるな。
というか、早く家に帰りたい。納期が近い仕事がまだ残ってるんだ。
「なら。はい、どうぞ」
「え?」
少女にカラーバケットを差し出したら、「どうして」と言わんばかりの顔で俺を見る。
「俺、これ持ってても仕方ないし。何より早く帰らないと仕事が残っているし」
「仕事? 何の仕事?」
「絵とかデザインとかもろもろ……これあげるから、道を教えて貰っても?」
「教えるのは構わないけれど……」
「よかった。じゃあ、東京の――」
住所を伝える。
流石に番地までは伝えないが。
だけど、そのとき、彼女はさらに困ったような顔をしていた。
「どうかしました?」
「あなたこそ、どうかしてるんじゃない? この世界に「トウキョウ」なんて場所は聞いたことないし……」
「え?」
疑惑が確信になってきた。
ここは、東京でもなければ、俺がいた世界ではない。
まさに、異世界。
そうなるとすると、魔力も魔道具だって存在していてもおかしくない。
俺はカラーバケットを抱えながら、頭を悩ませる。
「あのー……教えたからそれを貰っても……」
「ああ、申し訳ない。少し考え事を。にわかに信じがたいけれど、どうやら俺は別世界からここへ来たような気がするもんで……来たルートもなければ、戻る術もない。なら、それを見つけるまではこの世界でどうにか生きのびるしかないようで」
「そ、そう……?」
「生きるためにはお金が必要か。衣食住の確保も。なあ、何かいい方法ないか? それと色々教えて欲しい。俺が元の世界に帰れたときには、この道具も残ったお金も全部渡すから」
問いかければ、少女は先ほど以上の戸惑いを見せる。
「ちょっと話が見えないけど、あなたはつまり、この世界の人じゃないの?」
「そうだと思う」
「何だか怪しい人ね……」
じっと見つめられる。
「怪しい人じゃない、俺は
「ハヤセナオ?」
「そうか、こちらでは苗字もないのか。なら、ナオと呼んでいただければ」
「ナオ、ね。私はシエラよ。それで、本当に貴方がその、元いた世界とやらに帰ったときには、カラーバケットをくれるのよね?」
「もちろん。持ち帰ったところで、役に立たないだろうし」
「本当!?」
頷いて返せば、ナオは「やった」と小さく漏らした。
「ナオが今すぐにでも帰れるよう、私も手を貸すわ。もう遅いし、近くの宿に行きましょう!」
「助かる」
こうして俺は、夜に東京から異世界へと迷い込み、シエラという少女と共に帰るための共同生活を始めることになったのだ。
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