第2話『いざ、逃亡の時』
ずらりと並んだ会計待ちの行列。
積み上げられて行く買い物カゴ。こういう時、意外とサービスカウンターは暇である。
私は、これまで『ちゃんと見て!』と言われていた通り、レジ周辺を見渡す。
混んでいる。でも、人員不足なんだから仕方がない。文句があるなら辞めたチーフに言ってほしい。
そんなことを思っていると、見てるだけじゃ意味ないんだけどと、捨て台詞を残して苛立ちも露わにサブチーフが出て行く。お陰で三つ目の青い光の玉が弾け飛ぶ。
その痛みに堪えながら、混み合う通路を器用にお客様を避けながら、溜まった買い物カゴを集めて玄関口までもっていくサブチーフの様子を見ていると、すみません。荷物送りたいんですけど。と、声を掛けられる。
弾かれたように『はい!』と満面の笑みを浮かべて振り返る。内心は正直言って面倒くさいと思う。だって、速く上手く詰められないんだもの。既に荷造りされている荷物ならいい。でも、こっちで荷造りをしなければならないとき、それは速さと丁寧さを求められているから。
買い物カゴの中の商品の量を見ながら、お客様にどの業者さんで宅配希望かを確認して伝票を手渡す。
その間に、カウンター奥の資材置き場から段ボールを探して来て、詰め込まなければならない。視界の端には三分を示していた時間がカウントダウンを始めている。
これが焦る。時間以内に商品を箱に納めなければならないのに、これがなかなか上手く行かない。出したり入れたり向きを変えたり、緩衝材を使ったり詰め物をしたり。
私はこれが苦手だ。だから、荷造りは嫌いで極力逃げているのだが、手を付けてしまった以上はやるしかない。やるしかないのだが、できない。その内に次の荷物の発送希望者が来る。カウントダウンの時間が加算されて減り始める。
放置していたらまた怒られるため、手を止めて荷物を預かる。これも荷造り。重さをはかって脇に置き、伝票を出して書いてもらう。
その間、カウンターに戻って来たサブチーフが、包装やカウンター業務を次々こなしていく。
そうしているうちに、もう一人荷造りされた荷物を持って来たお客様がやって来るし、初めの荷造りをしなければならないお客様が書き終わる。
箱詰めか。会計か。会計するにしてもどちらからやるべきか。
いけない。早く誰かにありがとうと言ってもらわなければ。
焦りながら会計を済ませる。でも、お客様からは『ありがとう』の言葉は返って来ない。返って来たのは『お願いします』と言うもの。
こうなったら、制限時間以内に箱詰めを終わらせるしかない。
でも、結局私は時間以内に箱詰めを終わらせられなかった。
終わらせられなかった代償は、二つの青い光の玉の消失。
そう。ここはすべて速さを追求しなければならない空間だった。
胸を抑えて項垂れながらカウンター内に戻って来ると、冷たいサブチーフの無言の出迎え。
無言だけどその眼が言っていた。まだその程度もこなせないのかと。
その声が、言葉が、現実世界のサブチーフのものと重なる。
それは、あなたは慣れているからテキパキ出来るだろうけど、私はこれまでやったことなかったからと言う理由に対して、『そりゃァ、やりたがらずに逃げたまくってたんだから当然でしょ? 私たちがこれまでどれだけの荷造りして来たと思ってるの? こなさないと出来ないんだから、一年以上もサビカンに居ながら、やって来なかった自分の怠慢の所為だと思わない時点で問題だよ? いつまで新人気分でいるの? もう研修期間三か月とっくの昔に切れてるんだから、他の部門だと問答無用で一人で仕事しなくちゃいけなくなってる状態なのに、いつまでお客様気分でいるの?』
なんて痛烈な批判をされたことまで思い出されて尚更腹立たしい気持ちにもなる。
話が違うと何度心の中で思ったか知れない。私は立って指示を出していればいいはずなのに、どうしてこんな思いをしなければならないのか。
でも、お客様はこっちの都合や想いなど関係なく並ぶ。
包装希望のお客様。領収書希望のお客様。レジの打ち間違いの訂正のお客様。返品交換のお客様。その間にやって来る迷子やお呼び出しの依頼。カウンター内の商品の販売に宅配便。
次から次へとやって来るものを早くこなせとばかりに、視界の端にカウントダウンが始まる。
焦れば焦るほど、頭の中が白くなり、自分が何をやっているのか分からなくなる。
待たされたお客様の苛立ちも伝わって、余計に焦るそんな中、それでも『ありがとう』と言ってくれるヒトがいた。
言葉は淡いオレンジ色の光の玉となって私の中に入って来る。ほんわりと暖かくて安堵したのも束の間、チーフと、低い声が背中に掛かる。
解かっている。何を言われるかは。
捌き切れなくて、最終手段とばかりにサブチーフに仕事を振った。きっとそのことを言われると察した私は、
「ごめん。お客さんが途切れた隙にトイレに行って来る!」
と言って、カウンターから思いっきり逃げ出す。
「ちょっと!」
と、当然のことながらサブチーフも追い駆けて来る。
無人にしちゃいけないんじゃないの? サビカンの中!
と、悲鳴を上げるもそこは夢。問答無用に追い駆けて来る。
現実にはこんな風に追い駆けられたりはしない。
でも、現実の世界でも気持ちだけは追い駆けられているような気はしていた。
何か言いたいことがあるのに、言われないままに、視線だけが追って来る。
それから懸命に逃げた。
いい加減、諦めて欲しいと思う。私に自分たちと同じように仕事をすることは。
慮って欲しいと思う、頭がもう柔軟ではないし、他の人が出来たからと言って私には出来ないのだから。やれるようになろうと言う気持ちがそもそもないのだから。元々やらなくてもいいと言われて引き受けたのだから!
だからと言って、そんなこと言っても納得してもらえないことは分かっているから、私は逃げる。夢の中では懸命に。捕まったら耳ダコになったお説教が容赦なく私の心を壊して、正気度を奪ってしまうから。
所詮は夢だと思うかもしれないけれど、何度も正気を奪われ命を落とす場面なんて見たくない。
あんな思いをしたくないのに、殆ど毎日のようにゲームオーバー。
目が覚めればドッと疲れている。
それでも、どんな夢を見ていたかは殆ど瞬間的に忘れている。
夢を見て、あ、この夢だと思い出すのだ。
ある意味それは幸せなことだった。起きている間も夢の内容を覚えていては、ハッキリ言って今頃鬱になって仕事どころではなかっただろう。
だからと言って、また同じ夢を見ていると自覚している夢の中で、同じ思いを甘んじてしようとは思わない。何とか逃げようと努力する。夢の中では現実ではありえない現象も起きるし、私の逃げ足も速い。これまでも何度かはサブチーフを撒いていた。
撒いたところでカウンターに戻れば説教が待っているんだけれど、それまでに『ありがとう』を沢山集めておけば、説教攻撃も耐えられる! ……はずだと思っている。
でも、多分、その量が少ないから、結局はゲームオーバーになって目覚めているのだろう。
その時、すみませんと言う言葉が聞こえる。
慌てて止まって少し通路を戻ると、お客様が片手を上げて、探している商品の場所を訊ねて来た。
チャンス到来。私は捜している商品までお客様をご案内。
お礼を言われて心をまた一つ取り戻す。
頭を下げて次のチャンスを探すべく移動すると、どこかでガシャンと瓶の割れる音。
これはやったなと思って駆けつけると、案の定、お酒の瓶が割れていた。
大丈夫ですかと声を掛け、破片には触れないように告げて、大急ぎでサービスカウンターまで戻る。
あ、帰って来たと言わんばかりに口を開きかけるサブチーフに、お客様が売り場でお酒割ったから後で! と防御して、掃除用具一式片手に売り場に戻る。
私はこの掃除は好きだった。丁寧にやることで時間が稼げるからだ。
お客様が済みません。ありがとうございます。と声を掛けてくれたおかげで、再び心が一つ取り戻せる。
こうやって、店内を回って案内したり、時に場違いな場所にある商品を元の位置に戻したり、あれやこれやとお客様の要望に応えて、すっかり失った分+三個分の心をゲットして、ほくほく気分でカウンターに戻る。
これでもう、大丈夫だと思うが、気分良く帰った私にサブチーフ。
「いつまでだらだら時間稼ぎしてカウンター抜けてるんですか! お陰でこっちが休憩に入れなかったじゃないですか! 何のために腕時計してるんです? そんな無駄なもの外して来ればいいですよ!」
ぐさりと早々に心が割られた。
「ご、ごめんなさい」と謝るも。あと一時間は平和な時が来ると思えば万々歳。サブチーフの代わりに入る相手は、サブチーフのように文句は言わないから。
ああ、これで暫く人心地が付けると言うもの!
昼時ともあって店内のお客様の数もまばらになり、では、明日のシフトでも作ろうかと作業に取り掛かり始めたとき、内線電話がピピピとなった。
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