第9話「冒険の理由」

”近年の貴族社会は、極めて軟弱と言わざるを得ない。


 往年は広く血を受け入れて、魔法の力による正統性を守ってきた貴族たちは今は見る影もなく、魔法ではなく政務の能力で当主を決める事すら普通になりつつある。

 中には竜神から授かった義務に背を向けて、好き勝手生きようとする子弟たちも珍しくない。極めて惰弱なありあさまと言える。


 これは我々市民からの信頼を裏切りかねないもので、彼らがこれを改めないのであれば……”


ドーンタイムズ紙 同年7月22日朝刊より




 方針が決まった後、一同は食事と休息を摂る事にした。

 本当は獣除けに火を焚きたいが、煙で自分たちの存在をばらしたくない。もしかしたら自分達を探しているかも知れないし、弁当は冷たいまま食べるしかない。

 幸い季節柄気温は温かい。冬だったら危ない所だった。


「ほい、毎度お馴染み牛クジラの照り焼きとトウモロコシパンのサンド」

「まあ、そうなりますよね」

 

 隼人が取り出した包みを受け取って、苦笑する。

 メニューは定番だが、得に文句はない。英国人は紅茶に飽きたりしないし、ドイツ人もジャガイモには飽きない。日本人だって米にうんざりはしないだろう。それと同じだ。


 養殖可能なマグロサイズのクジラは、ライズ人のソウルフードなのだ。

 これをトウモロコシパンにはさむと、子供も大好きな遠足のお供になる。

 日本から醤油が入ってきてからは、照り焼きも人気だ。


 いっぱい汗をかいたから、しょっぱく味付けられた照り焼きが何とも心地よい。


「水も心もとなくなってきたから、がぶ飲みしないようにしないとな」

「どこかに水源はないですかね? 探知魔法で探せたら……」

「そうだなぁ」


 緊張が解けてきたのか、そんな雑談が出るようになった。

 考えるより口を動かした方が楽だ。


「……ねえ」


 無言でサンドを口にしていたリッキーが顔を上げる。

 2人は会話を中止して彼を見やった。


「君たちはその、……ご両親を?」


 ああ、その事かと顔を見合わせる。

 確かに彼はそんな話に敏感そうだ。根拠は無いのにそう思った。


「私の母は、事故で亡くなりました。飛行機乗りだったので」


 「飛行機」の単語には必ず食いついてくる隼人も、流石に黙って聞いている。普段の言動に反し、こいつもまたそう言った無思慮を嫌うのだろうと今気づいた。


 正直なところ、今母がいてくれたらこんな肩身の狭い思いはしなくて済んでいるだろう。

 メローラおかーさんが来てくれた後ですら、そんな事を考えてしまう。

 実際彼女が来てくれた時、母の記憶が上書きされるのではないかと本気で悩んだ。杞憂だったので別に良いのだが。


 そんな無言の言葉を、リッキーは受け取ったろうか?

 何も返さず、ただ頷いた。


「うちの父さんは……甲蟲に食われた」


 リッキーはぎょっとした目で隼人に向き直った。

 まあそうだろう。マリアもメローラからそれを聞かされた時は、それなりに悲痛な思いに捕らわれた。


「ええと、その……ごめん。余計な事を聞いた」


 隼人はからからと笑って包みを潰した。


 ”甲蟲”はここ数年沿岸部で現れるようになった、虫の化物だ。

 大きさはトラックほどもあり、ホバリングしながら獲物に毒針を撃ちこみ、捕食する。

 隼人の父は気球技師で、発見した群れを街に知らせるため空中に留まり、殉職したそうだ。


「じゃあ、御父上の仇を討つために空軍に? ご、ごめっ……!」


 真っ青になったリッキーが、地面に両手を突こうとした。さっき銃士を目指す彼を否定した事が傷つけたと思ったのだろう。

 だがこいつはそんなに繊細な神経はしていない。隼人は身を乗り出して肩を掴み、これを押しとどめる。


「あー違う違う。仇は空軍がとってくれたからな。丘の上で怯えてたら、颯爽と戦闘機が駆け付けてくれたんだ。『ああ、これで生きられる』って思った」


 そう言う事か。

 隼人の周到さや今回発揮された妙な冷静さを気味悪く思ってもいたが、要は既に修羅場を経験済みという事だ。

 彼に抱いていたちぐはぐな印象が、ようやく噛み合った気がした。


「それでもその事がきっかけで銃士に憧れたんだろ? やっぱりぼくは……」


 再び両手を突こうとするリッキー。

 やはりこいつも面倒くさい。


「それもあるんだがな。あの日・・・の前日、初めて気球に乗せて貰ったのさ。なんていうかな。空はみんなのものなんだけど、自分だけのものでもあるんだ。あそこ・・・には余計なものは持っていかなくてよくて、世界とひとつになれるみたいな……って、言っても分からんか」


 確かに分からない。隼人の言う事は偉く観念的で、恐らく同じ体験をしなければ分からない事なのだろう。

 だが、そこに何かがある・・・・・事は自分にもわかった。


「気球ってのは魔法を使わないんだ。だから誰でも飛べるんだ。選ばれた人じゃなくても、工夫して、何度も何度も挑戦すれば、魔法と同じくらい凄いことが出来るんだ。それは、本当に何というか……凄いんだ!」


 上手く言葉に出来ていないが、こういう事だろう。


『魔法の有無だけで、何かを押し付けられたり、取り上げられたりするのは嫌だ。気球を創り上げた情熱ならば、それを変えられる』と。


「父さんの受け売りだけどな。翌日死んじゃったし」


 さらっと悲惨な事を言うが、当の本人はからっとしている。

 その記憶は、悲しむものでも懐かしむものでもない。ただ胸の中そこにあるものだという事だろう。


 事故死するほどまでに空に拘った母も、同じものを見たのだろうか?

 なんだか無性に心を惹かれた。


 母もまた、オールディントン家に嫁ぐに相応しい魔法の持ち主だった。

 それでも飛行機に情熱を向けたのは、ひょっとして隼人の父と同じ理由なのではなかろうか。


 「高貴なる者の義務」はとても尊い。

 だが、高貴でなくとも「志」を持つ者だって、同じように尊いのではなかろうか。


 実は、自分たちを縛っている存在って、そんな大したものではないのではなかろうか。

 恐らく隼人は気づいていない。だがマリアはそう感じてしまった。


 リッキーも、何事か考え込んでいる。

 やはり感じるものがあったと言う事だ。


「まあとにかくだが、何かせずにはいられなくなったんだ。もう一度あそこ大空に行くために。今度は自分の翼で駆け上がって、思うままに飛びたいのさ!」


 リッキーは呆けたように隼人を見ていたが、結局手を突いて頭を下げてしまった。


「やっぱり謝罪させてほしい。君の想いをわがままだと思ってしまった。僕の下らない思い入れから……」


 隼人はひたすら苦笑している。

 さっき余計な怒気を出さなければ良かったと後悔している事だろう。

 ちょっといい気味である。


「だからやめろって。お前の言う事は正しいんだよ。本当はちゃんと・・・・生きるべきなのは良くわかってる。でもどうしようもならなくてなぁ。母さんは笑って許してくれるんだけど、俺を認めたせいで後ろ指さされるのが一番つらい」


 肩を落とす隼人は、恐らく誰も責めてはいない。

 ただ悲しい事を「悲しい」と言っただけだ。それが余計に罪の意識を感じさせたのだろう。


「いいや駄目だ! 君がどうしてもやりたい事を、お母上が笑って背中を押してくれたのに、他人が良いとか悪いとか寸評して攻撃するのはおかしいじゃないか!」


 リッキーの言う事は分かる。

 叩きたいなら、結果を出せなかったとき、義務を果たせなかった時にそうするべきだ。

 まだ何も始まってないのに、挑戦する人間を否定する。それはきっと、いけない事だ。


「ありがとな。お前がそう言ってくれただけで百人力だよ」


 だからだろう。

 隼人は謝罪を受け入れるのではなく、お礼を言った。


「いや、だからぼくは……!」

「きゅー!」


 再度の謝罪を遮ったのはまたしてもパフだった。

 どんとぶつかってリッキーを押し倒すと、おなかの上でぐるぐる転がって甘えだした。


「パフもそういうのは止めろってさ」


 隼人が笑いをかみ殺しながら言うと、2人もくすくすと笑いあった。







 リッキーは咳払いしてパフを降ろすと体を持ち上げ、膝の上に移した。

 こいつを連れて行けるなら良いのにと思う。どの道白竜の許可無しに連れ出したら掟破りに該当するから、諦めて山頂を目指すほかは無い。


「ぼくの母親は高名な魔法使いでね。とある名家に嫁いで、優れた魔法使いの跡取りを生む事を期待されていたんだ。だけど、ぼくはその期待に応えられなかった」


 良く聞く話だ。

 迎え入れた貴種が魔法が使える子を産まない。貴族共通の悩みである。

 魔力器官は隔世遺伝も多いのでそれほど気にしない例がほとんどだが、様々な事情で結果・・を急ぐ家も稀に出てくる。


「でも、お前の使役魔法ってかなり強力だよな? それでも駄目なのか?」


 リッキーは頭を振るしかできず、今度は隼人が謝罪する番だった。


「母上は子供を”特級”の魔法使いにしたいと本気で思ってる」


 リッキーが真剣でなければ、きっと笑ってしまっていた。

 特級など何百年かに1人現れると言われる、伝説的な存在である。10万の軍隊を壊滅させたとか、砂漠を穀倉地帯に変えたとか、伝わる話も眉唾ものだ。


「母上は正し……正妻に色々言われてるんだ。それで焦ってる。もしかしたら姉さんがなれるかもって、毎日厳しく教えてるんだけど、ぼくには『あなたでは無理』だって……」


 普通に考えれば、甲級魔法使いをいくら育てても特級にはならない。そもそも特級がどうして生まれるのかも分かっていない。だからこその伝説イレギュラーなのだ。


「だから、ぼくが白竜に認められれば母上も姉さんも楽になれて、少しだけ認めてくれるかなって。だから、ぼくに隼人の事をとやかく言う資格なんてなかったんだ」


 つまりは、陰の無い隼人が好き勝手やっているように見える。それが憎たらしかったわけか。

 少し自分と似ている。素直にそう感じた時、背筋がぞわっと震えた。


 リッキーと似ているという事は、自分もまた隼人を羨んでいる事になる。

 最悪であった。


「ま、まあ私たちに出来る事は大してないですが、頑張って山頂をめざしましょう」


 嫌な考えを強引に頭から追い出して、励ましの言葉を伝える。

 「きっと大丈夫」の類は口にしない。知りもしない事を大丈夫とは言えない。それは余計に傷つける。

 無条件に力になるとも言えないし言いたくない。無制限の協力などできないし、出来ない事を出来ると言うのは言質を取られるし、何より不誠実だ。


「ああ、頑張ろうぜ!」


 隼人も同意見なのか、あれこれと余計な事は言わなかった。さっきはへらへらと自分の境遇を語っていたが、彼は彼で眠れない夜を震えながら過ごした筈だ。


「きゅーきゅー!」


 胸をどんと叩き、パフがそこらじゅうを跳ねまわった。


「きゅ?」


 ふと目が合った。「なにか言う事あるんじゃないの?」とでも言うように。

 背中を押される、と言うより崖に向かって追い立てられている気分だが……。


「……隼人」


 意識せずに、するりと彼の名前が出た。

 これは言ったら絶対後悔する言葉だ。しかも一生後戻りできない感じの。


 それでも好奇心と衝動に抗えなかった。

 母が見ていたもの、彼が見ようとしているもの。それをほんの少しだけ、自分も見てみたい。


「お父様への土下座は免除します。代わりに私も一度空へ連れて行ってください。母に会いに行きたいんです」


 ぱあっと輝く飛行機馬鹿の顔を見て、マリアは人生で一番の失言を恥じた。

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