終章 ‐ 覚悟

 28 〜焦訪の少女〜 SHOUHOU


 教室正面の白板はくばんに、次々と因数分解いんすうぶんかいの数式が書き込まれていく。

 そのはしっこの拡張ARディスプレイには、数式が求める図のホログラムが可視化されている。



 深輝みきちゃんがねつで倒れた後、流石さすがにずっとお邪魔しているわけにはいかないから、そのまま真っ直ぐ学校に戻った。


 五時間目の数学すうがくの授業が始まる前にはなんとか迷うことなく辿たどり着けたから、手早くお昼ご飯を済ませて今は授業を受けている。

 人目に付かないように裏門からこっそり入ったところで、屋上から山吹やまぶき色の影が飛び立つのが見えた。

 今日もリサ先輩がしのび込んでいたのだろう。


 ちなみに午前の授業は、あたしは腹痛で保健室に居たことになっていたらしい。

 叶恵かなえ先生にはやっぱりバレていたようで、すぐに戻ってくるだろうからと、そうはなしを通しておいてくれたみたいだが、腹痛の辺りは多分、小鞠こまりちゃんの仕業しわざだ。

 教室に入った時、お腹じゃなくてみんなの視線が痛かった。



 右と左で式を行き来するアルファベットや数字があたしの頭をぐるぐるとさせる中、それは突然、授業中など一切おかまいなしに、けたたましく鳴り出した。



 ビ――――――ピピッピュ―――――ゥ!

 ビ――――――ピピッピュ―――――ゥ!

 ビ――――――ピピッピュ―――――ゥ!

 ビ――――――ピピッピュ―――――ゥ!

 ビ――――――ピピッピュ―――――ゥ!



 という不協ふきょう和音わおんを含んだ緊急警戒警報音が、聞く者すべてに非常事態を知らしめ、焦燥しょうそうかんと不安感を一気にき立てていく。


 日本全国利用可能者普及率ふきゅうりつ九十九%弱をほこる通信携帯端末の小型タブレットから一斉に吐き出される電子音は、数十秒騒ぎ立てた後、数トーン音量を落としてなおも鳴り続ける。



 教室、いや学校全体がまたたにざわつく。

 方々ほうぼうの教室から、生徒に落ち着くように言い聞かせる先生達の声が聞こえてくる。


 その時、校内放送用スピーカーの電源が入れられたわずかなノイズ音と同時に、教室の南側の壁を打ち鳴らす音が響き、そのグラウンドに面した窓の一つがいきおいよく開け放たれた。


「お願いトモナ! 力を貸して!!」


 窓のさんにハイソックスパンプスの足を掛け、白色の少女はそう叫ぶ。


 直後、白板の上に取り付けられたスピーカーから、事前に用意されていたのであろう落ち着いた女性の声が一定のトーンで流れ出した。


特別とくべつ緊急事態宣言きんきゅうじたいせんげん発令。特別とくべつ緊急事態宣言きんきゅうじたいせんげん発令。該当がいとう地区外に第二種非常避難命令が発令されました。指導員の命令にじゅんじて迅速じんそくに避難行動を行って下さい。プツッ該当がいとう地区は愛知あいち県及び三重みえ県東部・中部地方南部エリアが設定されました。該当地区には近寄ちかよらず、直ちに避難行動へうつって下さい。繰り返します。特別とくべつ緊急——————』


「聞いての通りよ」


 一通ひととおりの緊急アナウンスが流れきった後、薄白はくびゃくの魔法少女ルナちゃんは食い気味にそう切り出した。


「私一人ではこの東京を出るだけで力尽きてしまう。けれどどうしても行かなければならないの。我儘わがままを言っているのは分かっているわ。お願い、どうか、私をあそこまで連れていって!!」


 第二種非常避難命令。

 それは、とある国際的こくさいてき災害に発展するおそれのあるディザイアーの出現をす避難命令だ。


 先週の大型魚ガエルディザイアーの時も、結果的には世界的な大災害となったが、恐らく今回現れたであろうディザイアーは、まず普通のディザイアーとは一線をかくす存在。

 出現だけで警戒レベルをここまで引き上げられる相手だということだ。


 その現場に、向かわなければならない。と彼女は言う。


 以前、まもりたいモノの為にのみ戦うと言っていたルナちゃんが、こうして国家魔法少女であるあたしの元へ頼ってきたのだ。

 それだけ、彼女自身にとっても切羽せっぱまった状況なのだろう。


「分かった。ルナちゃんの為なら、もちろん全力で手伝てつだうよ!」


 言って、椅子いすから腰を上げかけたところで思い起こす。


「あ……」


 ここは、ほかの生徒達が多く居る教室の中だ。

 既にほとんどの学校の人にバレてしまっているとはいえ、正体の守秘しゅひ義務ぎむされている魔法少女として皆が居るこの場所で変身、あまつさえは出動の場面をさらす訳にはいかないだろう。


 そう考えた矢先やさき、廊下側の席のあたしの隣、小鞠こまりちゃんの席の左隣の列の先頭から、ぶっきらぼうで粘着質な声変わりしたての男子生徒の声が一際ひときわ大きく上がった。


「さっさと行けよ鬱陶うっとうしい。このままここに残ってもお前はいつもみたいに周りの皆に迷惑かけるだけだろ。それに今更忽滑谷ぬかりやが魔法少女としてどうしようが、顔バレしてるなら結局、またお前か程度ていどだろうが」

大塚おおつか君、あんた………」


 隣で、小鞠こまりちゃんが声を漏らす。

 教室の前を向いたまま嫌味いやみったらしく言う大塚おおつか君は、頬杖ほおづえを突きやや左側に顔をらして続ける。


「………あと、クラスメイトが死んだら葬式だ追悼ついとうだで面倒臭くなるから、いつもの調子でへましてくたばるんじゃねぇぞ!」

大塚おおつか君………うん、ありがとう大塚おおつか君!」

「ッ……………」


 ただ何も言わず、大塚おおつか君は向こう側を向き続ける。


「よっし……」


 つぶやき、グラウンド側の窓に張り付く野良のらの魔法少女、ルナちゃんを見る。


 さっき警戒警報音が鳴った時、チラ、と見た魔法少女用通信端末でも、先週と同様の出動要請が出ていた。

 おまけに今回は加えて、の先行ご指名も入っている。


 いつの間にかざわつきがおさまっていた教室内を見渡し、あたしは席を立つ。両手を胸の前で重ね合わせ、笑顔で叫ぶ。


「いくよ! テリヤキ!」

貴様きさま! 何度言わせる小娘こむすェ!!!」

「へぶぅ!」


 ズドム!!

 と、どこからともなく現れたちゃ色の両後ろ足が勢いのままあたしの顔にめり込む。

 そのままり、後ろの強化アクリルガラスの窓に頭を打ち付けた。

 


 花の女子中学生の後頭部VS近代学校の窓ガラス!!



 両手を前に出していたおかげで受け身を取れず、ダイレクトに後頭部が窓をにぶく打ち鳴らしたが、流石さすがは強化アクリルガラス。


 敗北。


 一人負傷をしたのはあたしの方だった。

 ひび一つ入らなかった窓を背に、ずるずるとへたり込む。


「く……くぅう~~~~………………。女の子に何するのテリヤキ~~」


 あたしが窓ガラスに頭を打ち付ける前に飛び退き、クルクルと空中で姿勢を整える大柄おおがらな猫めいた魔法精霊獣は、あたしの机の上へ華麗かれいに着地する。


「ふん。貴様が往々にして忠告を聞かず、性懲しょうこりもなくこのワタシを愚昧ぐまいな呼称で召喚するからだ。小娘」

「今そんなこと言ってる場面だった!?」

「重要な問題だ!」


 机の上に立ち堂々と説教せっきょうするテリヤキは、ターン! とたからかに机の天板を前足で叩く。


 ダメだ。

 テリヤキがこうなったら、いつもの長くなるパターンだ。

 この猫型魔法動物はどんな緊急な場面でも、堪忍かんにんぶくろが切れてしまうと最低さいてい三分はお説教モードになる。ヒドい時はディザイアーと戦っている横で―――流石さすがに他に魔法少女が沢山て相手も強くなかった場合だが―――十分じゅっぷんくらいは正座をさせられたものだ。


 心の中で『ごめんなさい』とルナちゃんに謝る。


 テリヤキが息を吸い込みを告げようとしたその時、教室の奥から助けぶねが出された。


「このまま愉快ゆかいな漫才を見せてくれるのも良いのだけれど、申し訳ないけれど急いでいるのをみ取って貰えるかしら………」


 窓のさんの上、小柄な野良の少女はあきれ顔でうったえる。


「あ、そ、そうだね。そうだよテ……相棒! 今日はすぐにでも行かなきゃなんだから!」


 防衛相ぼうえいしょうからの直接連絡出動命令もある。公私こうし共に緊急事態だ。


 急がば回れ、なんて言葉もあるけど、今回ばかりは回り道をしている余裕はない。

 テリヤキも渋々しぶしぶ諦めたようで、盛大に鼻息を吹き散らす。


「ふん! 全く口の減らぬ小娘だ。貴様は。だが、遠方えんぽうのこの場に居てもほのかに感じ取れる異常な魔力も、事実だ………」


 そこで一つ間を置き、テリヤキは猫の眼光であたしの目をするど射貫いぬく。


「ならばこそ、一刻いっこくも早く、浄化じょうかせしめるぞ。———そして、此度こたびは見逃す分、みっちりとそのくだらぬ頭に説教を叩き込んでやるからな。小娘こむすめ、今日は二度と学業に復帰できぬものと思え」

「はぃ……………」


 目が本気だ。これは晩ご飯を食べる時間もあやしくなってきた。

 お説教は諦めるしかない。


 気持ちを切り替えるために、ほほを両手でパンパン、と叩いて気つける。


「よし」


 座り込んでいたお尻を持ち上げ、意気込みを声に出す。


 あたしと契約する魔法精霊獣が、その身を沈める。


「いくよ!!」

「ふんっ」


 掛け声と共に、あたし達はお互いの魔力をけ合わせていく。

 光に混ざり合うスカートとブレザーが火色ひいろファイティングドレス 衣装 に置き換わり、ブラウスと下着も魔力を通して換装する。

 光はドレスから弾け飛び体を包み込む。

 燃え上がるあかい髪をたずさえて、前にかざした手に同じくあかの杖を握り締めたところで、テリヤキがちょこん、とあたしの頭の上に座り言う。


「まぁ、今回はまずまずの手際てぎわだな」

「はいはい、ありがとー」


 珍しい好評に適当に返し、おかしい所はないか確かめる。

 乙女の身嗜みだしみは大切だもんね。


 それを見ていたルナちゃんが一言、感想をげる。


「よくもまぁ、こんな大観衆だいかんしゅうの中で意気いき揚々ようようと変身できるものね」

「あ」


 固まるあたしを横に、隣の席の親友も辛辣しんらつに口をえる。


「これに関しては、私もあの魔法少女の子に同感よ。灯成ともな

小鞠こまりちゃんまで!?」


 小鞠こまりちゃんに続き、見える限りのクラスの女の子達も、首をそろえて同意を示す。

 今になって状況を思い出し、急に顔が熱くなり、思わず顔を隠しそうになった。


 そんなあたしに、いつも耳にする、優しい声色が「ふふっ」という楽しそうな笑いと共に掛けられる。


「ほら、いってらっしゃい。灯成ともな。帰ったらてりやきさんのこと、紹介してよね」

「っ! うん!」


 あたしの頭の後ろで、テリヤキが尻尾をパシン、と叩き付けたのは内緒だ。


 腕を振り、一息でルナちゃんの窓枠まどわくに飛び移る。


 それに対し白い衣装の魔法少女は、窓枠の支柱を掴んだままあたしが飛んだタイミングで上体を外へ投げ出し、衝突を避けた。

 ルナちゃんと触れ合うような距離であたしは姿勢を整え、くるりと教室を振り返る。


 手を振って返してくれる小鞠こまりちゃんに、これから共に往くルナちゃんに、笑顔をたずさえてあたしは飛び立つ。


「それじゃあ、いってきます!!」








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