16 〜夕戯の少女〜 YUGI



 黄昏時たそがれどきの屋上に輪郭りんかくのぼんやりとした影を落としながら、それはたたずんでいた。


 江戸川を越えた千葉ちば県は市川いちかわ市、そこにある総合病院の上で徐々に下りる夜のとばりに身をやつす大きなは、何をするでもなくただそこに座っている。

 猫や犬のようにお尻を落とし、首との境が見分けられない頭を乗せたスラリとした胴をたわませ、短い四本の足を床に着けているそれはフェレットのような形をしていた。


「あれはイタチ型じゃないかしら」


 近くの商社ビルの屋上で様子を見ていたあたしの横に、気付かないうちに立っていた薄橙うすだいだい色の少女がボソッと言う。


「えっ。フェレットじゃないの?」

「人に飼育されている生物がディザイアー化したのなら、あなた達くにいぬにはそう報告が来ているはずでしょう。そうでないのなら日本で野生のフェレットはまず繁殖はんしょくできないから、あれはいたち型よ」

「そっかー。フェレットじゃないかー。………フェレットじゃなくていたちなの?」

「あなたのそのフェレットに対する思いは一体なんなのかしら………」


 ため息と共に吐き出された言葉に、返事は不要と言うように薄橙うすだいだい色の魔法少女/ルナちゃんは頭に左手を当てがい首を振る。


「ところで、私がこれに気が付いてここへ向かって来るまでにそれなりの時間があったと思うのだけれど、他の国家魔法少女国の狗はこの怪物を倒しに来ていないのかしら」


 ルナちゃんに向けていた視線を外し、いたち型のディザイアーの鎮座ちんざする総合病院の周囲、そして少し離れた後ろを流れる江戸川を見る。


 警戒避難誘導のアナウンスが、江戸川の向こうから聞こえてくる。

 こっち市川市側の避難はもうほぼほぼ済んでいるらしく、いたって静かなものだった。


 あたしがこのディザイアーの出現の報告を受けたのは放課後に友達とカフェにお茶をしに行っていた時だったから、変身して出動するのに少し時間が掛かってしまったのだ。

 そうして数分前にここへ来たときにも、誰も居なかった。


 今こうしていたち型ディザイアーの動向をうかがっている間も、ルナちゃん以外の魔法少女の気配は感じられない。


「うん、あたし以外の子達はみんな来てないみたいだね。何でも今、他のところでディザイアーが先に出たらしくってそっちの方に駆り出されてるんだって。だからちょっと離れてて療養りょうよう中でいてたあたしが呼ばれたみたい」

「……………っ」


 言葉は口にしなくても、ルナちゃんが苛立いらだった思いをつのらせているのが分かった。


 あたしのことを思ってくれてなのか、それともディザイアーが出現しているのに魔法少女が来ていないことなのか、どちらかは分からないけどルナちゃんがホントは優しい子なのかなと思えると、ちょっと嬉しくなる。

 それとも、前に言っていた”守りたいもの”が危険にさらされるから、かな。


「大丈夫だよ。療養中って言ってもほとんど治ったようなものだし、魔法少女は怪我けがの治りが早いから。他の子達がいないのも、半分くらいはこの間のくらディザイアーとの戦いで怪我したりしばらく戦闘不能になったりで、今は東京近辺この辺りで戦える魔法少女が少なくなってるだけだから」


 言ってはにかんでみせると、薄橙うすだいだい色の少女は不服そうながらも納得したのか、少し難しい顔をしていたち型ディザイアーを見据みすえた。


 夕日ももう山の向こうに隠れて表情は見えづらくなる。


 数日前に見た時は綺麗だと思ったけれど、パラパラときだした町の街灯に当てられるその横顔は、今は何故なぜ格好かっこうく見える。


「…………だとしたら、あのディザイアーは私の手でほうむるしかないわけね」

「えぇ? もしかして一人で戦う気!? 危ないよ。ルナちゃんは確かに強いかもだけど、一人でディザイアーと戦うなんてそんな危ないことはさせられません!」

「問題無いわ。これまでもそうだったし、今回も今まで通りやるだけ。それに私一人の方が下手に連携を組むより効率的で安全よ」

「だったらあたしが合わせる!」


 わずかに目をむいてルナちゃんはあたしと視線を合わせる。だけどすぐにそれははずされた。

 恥ずかしがり屋さんだなぁルナちゃんは。


「(あなたという人は、やっぱり他の狗共とはどこか少し違うわね)」

「……ん? 何か言った?」

「あなたみたいな甘い人間がよく今まで生きてこれたものだとあるしゅ感心していたのよ」

「ホント!? えへへぇ、そんな程でもないよ」

められたのではなくけなされたのだという自覚とうたがいを持ちなさい………はぁ」


 ルナちゃんはまたも左手で頭を抱える。そして、むぅ~、とほほふくらませるあたしを無視して、ディザイアーを再び見遣みやった。


「………別に無茶な戦い方をしようと言っているわけではないわ。第一、あれが病院の上に居る以上こちらもそうそう手を出せないでしょう。それにあれも随分ずいぶん大人しいものじゃない。だから、ト……あなたもずっと様子をうかがっていたのでしょう」

「と………?」

「関係無いから無視してちょうだい」

「わぷ……!」


 ふい、とらす目を覗き込もうとするあたしの顔をルナちゃんの右手に押し戻される。

 なんの負けるか! と、それを逆に押し返す。


 ふんぬぬぬ。


「ちょ、なに頭を押し付けてこようとしてるのよ! この………!!」


 ぐぐぐ……、と双方引かぬ押し合いの綱引きが繰り広げられる。

 右手を左手で支えるルナちゃんに、両足をしっかりと踏みしめて顔を突き出すあたし


 ふとそれを見ていた―――目のようなものはくら過ぎて見えないが―――いたち型ディザイアーは、馬鹿らしいとでも言うかのようにこちらへ向けていた頭を向こうの正面に戻した。


 一瞬いっしゅん気が逸れた隙をついて、ルナちゃんは屋上の床にあたしの頭をいなす。


「わきゃっ!? っぺぶ!」

「………こんなことをしている場合じゃないでしょう! まったく……あなたと居ると調子をくずされるわ」

「いたたたた………。体勢たいせいを崩されたのはあたしだけど……。でも、あの子、ずっと動かないよね」


 とうのいたち型ディザイアーは、あたし達の騒ぎすら気にもめず、あらぬ方を向いている。


「そうね。ディザイアーはおもに根源となった欲望よくぼう沿って行動するものだからどうとも。(というかディザイアーを”あの子”呼ばわりって………)」

「あんなにじっとしてるなんて、どんな欲望からディザイアー化したんだろう」


「それについては少々しょうしょう情報がありますよぅ」


「「!!」??」


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