2.あだ名

 篠原渚はクラスで一番可愛いと噂されている女子である。

 派手すぎないアッシュブラウンに染めた髪に、日焼けをしたことがないであろう色白の肌。目はパッチリと大きく、まつ毛が長くて引き込まれそうなほど目の印象を強めている。

 スタイルも同年代の中でも際立っており、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。

 クラスどころか、校内屈指の人気者の女子だ。


(な、なぜ……篠原さんが僕の後ろの席にっ!?)


 克巳が見た時には、彼の後ろの席どころか近隣の席に渚の名前はなかった。

 なのに、今は窓際最後尾、つまり克巳の後ろの席に渚がいる。


「おーい、鈴本くーん?」

「は、はいっ!?」

「あははー。今の反応面白いね」


 渚の声に反応して克巳の体が跳ねる。


「鈴本くんと席近くなっちゃった。これからよろしくね」

「よ、よろしく……」


 なんとかそれだけを返事して、克巳はようやく席に着いた。

 窓際の後ろから二番目の席。黒板がよく見えて、外の景色も見られるいいポジションだ。


(う、後ろが気になる……)


 しかし、克巳は後ろの席にいる渚が気になってしょうがなかった。

 渚はカースト最上位の陽キャではあるが、無駄に騒ぐタイプではない。それでも麗しい容姿と人懐っこい性格から、人の輪の中心にいるタイプなのだ。


(きっと休み時間は人が集まるんだろうな……。授業以外は避難しないと……)


 渚の影響力を考え、克巳は対策を立てる。


「うひっ!?」


 席替えが終わって、授業の最中。克巳は突然背中を突かれて、変な声を漏らしてしまう。声が小さいおかげで誰にも気づかれることはなかった。


「ねえねえ」

「し、篠原さん?」


 克巳の背中をシャーペンで突いたのは渚だった。後ろの席は彼女しかいないのだから当然なのだが。


「鈴本くん、この中ならどれがいい?」


 そう言って渚はノートを見せてきた。

 そこには数々の単語が並んでいた。いくつか挙げれば「かっちゃん」や「かっつん」や「かつみん」などである。

 どれも今授業でやっているものと関係があるとは思えなかった。克巳は疑問で頭がいっぱいになった。


「えっと、これは?」

「鈴本くんの呼び方候補。もし他に呼ばれたいあだ名があるなら受け付けるよ」

「はい?」


 聞いても頭に入ってこなかった。心の中で渚の言葉を復唱する。

 この中から自分のあだ名を決めるということなのか? 克巳は疑わしげに渚を見る。


「できれば早く選んでほしいな。先生に見つかっちゃう」


 無邪気に笑う渚を目にして、なんて愛嬌のある笑顔なのだろうと克巳は思った。ついでに考えることをやめた。


「じゃ、じゃあ、昔呼ばれたことがあるし……こ、これで……」


 克巳が人差し指で示した位置を目で追った渚は「ふむふむ」と何度も頷いた。


「わかった。これからは鈴本くんのこと、かっつんって呼ぶね」


 美少女の満面の笑顔に、克巳は自分の顔が急速に熱を持ったことを自覚する。

 慌てて前を向く克巳。じっとりと汗をかいていた。


(陽キャってあれか。誰にでもあだ名をつけずにはいられないんだ。そういう生き物に違いない)


 渚はぼっちの自分にも親しげに接してくれる。そういうところが、他のクラスメイトとは違うと克巳は思っていた。

 だが勘違いしてはならない。彼女のような人種にとって、きっとこれが当たり前のことなのだ。

 後ろの席になっただけの存在。篠原渚はそれだけの存在だ。

 何も期待してはならないのだと、克巳は自分自身に強く言い聞かせた。


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