第四部 終わりなき、はじまり

第1話 Ghost Town(1)

 話が違うじゃねえか。

 田中タケミチは息を殺しながら、物陰に隠れていた。


 渋谷の街は絶対に安全。

 そんなSNSの投稿に騙された。

 確かに昼間の渋谷は安全だった。安全というよりも、人っ子一人いないゴーストタウンだったのだ。たまに見かけるのはPPSのパトロールカーであったが、それに見つかれば連れ戻される可能性があるため、パトロールカーが来るたびにタケミチは身を隠していた。


 渋谷までは電動キックボードを使ってやってきた。車やバイクは音が出るからデッドマンを刺激してしまう可能性がある。そう危惧したのだ。

 しかし、規制線を突破して立ち入り禁止区域になっている渋谷の街に入ってみれば、人間おろかデッドマンの姿すらもない、廃墟の街と化した渋谷が存在していた。


 タケミチはスマートフォンのカメラで、誰もいない渋谷の街を撮影して周った。それと一緒にVlog用に撮影カメラも回している。本来であれば、デッドマンの巣窟そうくつとなった渋谷を撮影して、再生回数を稼ぐというのが目的だったわけだが、誰もいない渋谷の街を撮影していても何だか虚しいだけだった。

 仕方なく、過去に賑わっていた商業施設などに忍び込んで、テナントの撮影などを行ったりしていたわけだが、日が暮れると同時に事態は急変した。


 どこから現れたのかわからないが、大量のデッドマンたちが湧き出してきたのだ。

 タケミチはデッドマンに気づかれないように移動すると、商業施設だったビルの中へと入り込んだ。


「大変なことになりました。渋谷の街はデッドマンだらけです」

 Vlog用にタケミチは小声で現在の状況を言葉にしている。


「スマホの電波はありません。そのため、助けを求めることもできない状況です。まずいな……」

 そう喋りながらタケミチは、真っ暗になった商業施設の中をゆっくりと移動する。

 撮影用にライトは持っていた。しかし、ライトを点けることでデッドマンにこちらの存在がバレてしまう恐れもあるため、ライトは極力点けないようにしていた。


「ここは、元々ギャル向けのショップだったところですかね」

 派手な衣服を着たマネキンが飾られている店の脇を通りながら、呟く。

 Vlog用に喋っているわけだが、その独り言がタケミチに冷静さを与えている。


「セクシーな下着なんかもありますよ。もうこんな下着を着たりするギャルはこの街にはいないというのが、なんだか寂しいです」

 そんなことを話していると、少し離れたところから足音が聞こえてくることにタケミチは気づいた。


 ペタペタ、ペタペタという足音だ。

 きっと裸足だ。歩幅が小さいことから子どもだということが想像できる。


 タケミチは自分の口に手を当てて息を殺しながら、こっちには来ないでくれと願った。

 しかし、タケミチの願いも虚しく、その足音はだんだんとタケミチのいる場所へと近づいてきていた。


 息を呑んだのは、その時だった。


 しゃがんで隠れるようにしていたタケミチの目の前に、子どものデッドマンが姿を現したのだ。髪はボサボサ。着ているTシャツはボロボロ。その子どものデッドマンにニヤリと笑みを浮かべると、大きな口を開けてタケミチに噛みつこうとしてきた。


「ごめん」

 タケミチはそう言うと、子どものデッドマンを突き飛ばした。

 やはりデッドマンといえども、子どもに暴力を振るうというのは気持ちの良いものではない。

 突き飛ばされた子どものデッドマンは、勢いよく廊下を転がっていく。


 その隙をついてタケミチは走って別の場所へと移動する。

 デッドマン同士がコミュニケーションを取る能力があるかどうかは知らないが、もし仲間を呼ばれたりしたら面倒だと思ったのだ。

 全速力で走ったタケミチは、停止しているエスカレーターを駆けのぼって上の階へと移動した。


 そこは元レストラン街だったところだった。

 静まり返ったレストラン街というのは、なんとも不気味だった。


 息を殺し、辺りの気配をうかがう。

 足音は聞こえない。

 たぶん、ここにはデッドマンはいないだろう。

 そう判断して、タケミチは足音を殺しながら移動した。


 移動する場所は決めていた。さらに上の階へ行くための階段だ。

 レストラン街は最上階であり、これよりも上の階に行くには階段を使うしかなかった。

 なぜ、最上階よりも上をタケミチが目指すのか。

 それは、屋上に出ることができれば、もしかしたらスマホの電波を拾うことができるかもしれないという希望があったからだ。

 もしかすると、それは逆に自分をピンチに陥れることかもしれない。屋上に行ってデッドマンがいたりしたら、逃げ場は無い。


 一か八かにかけて、タケミチは真っ暗なレストラン街を抜けて屋上へと進む階段を目指した。

 タケミチは、運が良かったと言っていいだろう。

 屋上への階段に辿りつくまでの間、デッドマンに遭遇することはなかった。

 もしかしたら、あの子どものデッドマンはこのビルの中に迷い込んでしまっただけであり、実はここは安全な場所なのではないだろうか。

 そんな期待を抱きつつ、タケミチは屋上へと続く階段を上った。


 わかりきっていたことだが、屋上へ出るための扉は施錠されていた。

 しかし、そんなこともあろうかとピッキンググッズは持ってきていた。

 もちろん、ピッキングをするところをVlogに残すわけにはいかず、一旦カメラを停止させる。


 屋上の扉の鍵は思っていた以上に簡単に開けることができた。

 あとは誰もいないことを祈るだけだ。

 ゆっくりと扉を開けて、屋上へと顔を覗かせる。

 外の空気は冷たかった。

 かつて、このビルの屋上は屋上庭園となっていたらしく、木々が生い茂っていた。

 今となっては誰も管理していないため、そこは小さなジャングルのようになっている。


「誰もいないよな」

 ついつい独り言が出てしまう。

 タケミチは屋上に一歩足を踏み出すと、風に揺れる木々の音に耳を澄ませた。

 暗闇の中に見えるのは、木なのか、それともデッドマンなのか。慎重になりながら、タケミチは進み、自分以外に誰もいないことを確認した。

 スマートフォンに目を落としたが、残念なことに電波は届いてはいない。もしかしたら、渋谷の街全体を覆っていた携帯の電波網はなくなってしまったのかもしれない。誰もいない渋谷に電波など必要ないのだから。


 ここで朝になるまで過ごして、デッドマンたちがどこかへ消えるのを待つしかないか。

 タケミチはスマートフォンの電源を切ると、背負っていたリュックサックの中から寝袋を取り出してその場に敷いた。もしも、デッドマンが近づいてきた場合を考えて、トラップを仕掛けておく。トラップは簡単なもので、紐を張り巡らし、足が引っかかれば音が鳴るというものだった。デッドマンは張られた紐を跨ぐことはできないはずだ。

 日の出まで数時間。少しでも体力を回復しておこう。

 タケミチは寝袋の中に入り込み、目を閉じた。

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