第5話 Survivor(1)

 目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。

 記憶は著しく欠落しており、なぜ自分が病院のベッドで寝ているのか理解ができなかった。視界の隅にある点滴から伸びた管は、自分の腕に繋がっている。


「藤巻さん、目が覚めましたね」


 どこかから声が聞こえてきた。その声がした方へと、目だけを動かして確認すると、そこには小さなテレビの画面のようなものが設置されていた。

 あまりこういった電子機器に詳しくはなかったので知らなかったが、これはタブレット端末と呼ばれるものであり、その向こう側に映っているのは看護師の格好をした若い女性だった。向こう側からはこちらの様子が見えているらしい。


「気分はどうですか」


 混乱していた。記憶がすっぽりと無くなっているということもあるが、いま自分の置かれている状況もよくわからないのだ。

 わからない。

 そう声に出して伝えようとしたが、口を開けても声は出なかった。


「あ、藤巻さん、無理に喋ろうとしなくても大丈夫ですよ」


 いや、私は……。

 そう言いかけたが、やはり声は出ない。


「無理はしないでくださいね」


 その看護師の言葉と同時に、急に眠気が襲ってきた。

 なにか機械のようなものが動いて、点滴の中に睡眠導入剤を入れたのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、私は意識を失った。



 ※ ※ ※ ※



 藤巻謙治郎。それが患者の氏名だった。

 元アクション俳優で、数年前まではテレビのバラエティ番組などで姿を見なかった日はないほどの売れっ子だった。独特の言い回しや低音で聞き心地の良い渋い声が人気であり、本職は映画俳優なのだが若い人からはテレビタレントとしての一面の方が有名だった。

 彼について語るには、すべての語尾に「だった」とついてしまう。なぜならば、彼は5年前に姿を消したからだった。

 世界を襲ったデッドマン・ウイルス。藤巻謙治郎もその被害者のひとりであり、埼玉県にある大型ショッピングセンターで目撃されたのを最後に、彼の消息はわからなくなっていた。

 そして昨年の秋、彼は変わり果てた姿で警察のデッドマン対策部隊に保護された。

 彼はデッドマン・ウイルスに侵され、デッドマンとなっていた。デッドマン化した彼は、警察に保護された後すぐに緊急医療センターでワクチンが投与された。

 首に大きな傷を負っていた。それは刃物による傷だということがわかったが、デッドマン・ウイルスによる治癒力で傷口はふさがっている状態だった。どのような状態で彼が傷を負ったのかはわからなかったが、彼は背中に日本刀の鞘を背負っている状態だった。彼が背負っていたのは鞘だけであり、日本刀自体はどこにも存在しておらず、その背負っていた鞘が何を意味しているのかはわからなかった。

 1年経っても、彼は目を覚まさなかった。彼の身柄は、緊急医療センターから東京都の運営するデッドマン・ウイルス専門の病院へと移され、最新の医療が施された。


 そして、ついに彼は目を覚ました。

 保護されてから600日目のことだった。

 彼は喉に大きな傷を負っていた。そのため、あの低く渋い声は二度と出ないかもしれないというのが、主治医の見解であった。



 ※ ※ ※ ※



「先生、藤巻さんが目を覚ましました」

 女性看護師からの報告を受けた篠原さくらは、その言葉を聞いて自分の耳を疑った。

 主治医である自分がいうのもおかしな話ではあるが、藤巻謙治郎は二度と目を覚まさないものだと思っていたためだ。

 藤巻の病室は無菌室となっており、医師や看護師ですら立ち入ることのできない部屋であった。そのため、すべての看護はロボットを使って行っている。


「彼は特殊だよ、さくら」


 篠原さくらと一緒に彼の主治医を担当した石動いするぎもえは、藤巻の血液の分析結果を見つめながら、言った。


 デッドマン・ウイルス治療の専門家である篠原さくらに対して、石動萌は抗デッドマン・ウイルスに関する研究の専門医師であった。

 この二人がタッグを組んで藤巻謙治郎の治療に当たったのには、ある人物の意向があったからだ。

 その人物というのが、彼女たちが師匠として仰ぐ、帝国大学の教授を務める明智欣也であり、彼女たちは明智研究室でデッドマン・ウイルスについての研究を重ねてきたのだった。


 石動萌によれば、藤巻謙治郎の体内に存在するデッドマン・ウイルスは未だに死滅してはいないそうだ。基本的にデッドマン・ウイルスはワクチンを接種すれば、体内に抗デッドマンウイルスの細胞が生まれ、体内のデッドマン・ウイルスを駆逐するのだが、藤巻の体内にいるデッドマン・ウイルスはワクチンに対して共存をするという不思議な現象を生み出していた。

 寝たきりではあるが、藤巻の見た目は健康な成人男性といった感じだった。顔色も悪くないし、心拍数なども正常の範囲内である。もし、何も知らない人が藤巻のことをみたら、どうして健康な人間が入院しているのだと思うだろう。

 デッドマン・ウイルスとの共存。そんなことは理論的に、絶対にありえないことである。

 しかし、その共存が自分の目の前で起きていた。しかも、二度と目は覚まさないだろうと思っていた、その共存者が目を覚ましたのだ。


 篠原さくらは深呼吸をして、パニックになりかけていた自分を取り戻そうと努力した。


「病室のモニターと繋いで」


 さくらは看護師に指示をするとVRゴーグルと特殊なグローブを装着した。

 これは藤巻の病室内にあるロボットを遠隔で動かすための装置であった。

 病室内の映像がVRゴーグルへ送られてくると、まるで自分が病室内に入ったかのような錯覚に陥る。


「藤巻さん、ご気分はいかがですか。わたしは、あなたの主治医を務めさせていただいている篠原さくらといいます。いま藤巻さんの目の前にいるのはロボットですが、わたしが遠隔操作でこのロボットを動かしています」


 さくらが藤巻に話しかけると、藤巻はそのくっきりとした二重瞼を何度も瞬きして見せた。

 これは驚いている時のリアクションなのだろう。さくらはそう理解して、話を進める。


「現在、藤巻さんはデッドマン・ウイルス専門の病院に入院しています。どこまで藤巻さんの記憶があるのかはわかりませんが、藤巻さんはデッドマン・ウイルスに侵されました。でも、安心してください。いまはワクチンを投与して、藤巻さんの体内からデッドマン・ウイルスを排除しようとしているところです」


 さくらは嘘をついた。藤巻の体内からデッドマン・ウイルスを排除することは出来ていない。しかし、まさかウイルスと抗体が共存しているということを目が覚めたばかりの藤巻に伝えるわけにもいかなかったため、やむを得ず嘘をついたのだ。

 藤巻の表情は変わらなかった。

 こちらの言っていることが通じているのかどうかもわからない。

 いきなり、こんなことを伝えられて信じろという方が無理があるだろう。

 いまは、まだ様子見だ。焦る必要はない。

 藤巻の回復と共に色々な研究を重ねていけばいいのだ。

 さくらはそう自分に言い聞かせて、藤巻にこれからの治療についての話をした。

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