第3話 Fat Santas(1)

 鏡に映っているのは、すこし太りすぎのサンタだった。

 明らかにサイズの合っていないパツパツの赤い衣装に、黄ばんでしまっている白いひげ。

 黒いエナメル製のベルトの上に乗っかった腹は、どうみても煙突を通り抜けることは無理そうだった。

 運動不足ということもあり、少し歩いただけでも息が上がってしまう。

 先日受けた健康診断では、もっと痩せないと糖尿病になると医者に脅かされたばかりだ。


 サンタクロースと一緒に写真を撮ろう。

 そう書かれた看板が立てられたショッピングモールの噴水前広場には、大勢の客が集まってきていた。主に集まってきているのは、小さな子どもを連れた親たちだ。

 サンタと一緒に写真を撮った子どもたちには、クリスマスプレゼントとして駄菓子の詰め合わせを渡している。用意した駄菓子は全部で100個だったが、行列を見ると並んでいる全員には渡すことはできなさそうだった。


 風邪だろうか。

 村西むらにし賢太郎けんたろうは、体に微妙なだるさを感じはじめていた。

 サンタクロースの格好をして3時間。休憩なしで、子どもたちと一緒に写真を撮り続けている。なんだよ、このブラックバイト。話が違うじゃないか。心の中で悪態をつきながら、笑顔で子どもたちと写真を撮っていた。


 だが、まだ自分はいい方だった。サンタクロースの格好は赤い衣装と大きな口ひげだけで済んでいる。隣にいる中田なかたしおりなどは、茶色の全身タイツを着て頭にはトナカイの被り物をしていた。全身タイツは体にぴったりとしたサイズであり、中田しおりのボディラインがよくわかった。顔はトナカイの被り物で隠れてしまっていてわからないのだが、その中田しおりの姿に鼻の下を伸ばしている子連れのお父さんの姿も少なくはなかった。


「頭が重くて、首と肩が痛いです」

 しおりは賢太郎だけにわかるぐらいの小声で伝えてきた。


 トナカイの頭はかなり大きなものであり、重さは3キロ近くはあるそうだ。

 最初はそんなしおりのことを心配していた賢太郎だったが、いまはそんな余裕もなくなってきていた。

 ブルッと震えるぐらいの悪寒がしている。しかし、体はカッカするぐらいに熱いのだ。

 これは熱が出てきてしまったのかもしれないな。

 どこか冷静な自分が、症状を分析している。

 きっと、どこかの子どもからインフルエンザか何かの流行り病を感染うつされたに違いない。

 あと30分すれば、休憩時間になる。そこまで持ってくれ、この身体。

 賢太郎は心の中でつぶやきながら、子どもたちとの写真撮影に挑んでいた。


 無事、休憩時間まで乗り切ることが出来た。

 控室として当てが割れたパーテーションで仕切ったスペースの中に入ると、賢太郎はサンタクロースの口ひげを投げ捨てるようにしてはずした。

 まず飛びついたのは、運営会社が用意してくれたスポーツドリンクだった。

 口の中はカラカラで、脱水症状寸前になっていた。

 それはしおりも一緒だったようで、トナカイの頭を外すなりスポーツドリンクに飛びついている。


「ふー、生き返る」

 思わず声が出てしまった。


 その様子を見たしおりは微笑んでいる。

「わたし、肩がパンパンですよ」

 そういいながらしおりは自分の肩を揉む仕草を見せた。

 その動きをするとピチピチの全身タイツであるため、妙に胸の辺りが強調されているかのように見え、賢太郎は咄嗟に目をそらした。


 水分補給をしたことによって、少し体調がよくなったような気がした。

 なんだインフルエンザじゃなかったか。

 賢太郎は安心し、パイプ椅子に身体を預けて座った。

 次の瞬間、ものすごい音が聞こえた。


「えっ?」

 しおりもその音に驚いて賢太郎の方を見る。


 音が聞こえたのは、賢太郎の尻の辺りからだった。

 もしかして、やっちまったのか。

 恐る恐る賢太郎は立ち上がり、後ろを振り返って確認しようとしたが、太りすぎな体型のせいで自分の尻を見ることはできなかった。


「しおりさん、ごめん。お願いがあるんだけど」

 賢太郎は申し訳なさそうにいうと、しおりに確認してもらうことにした。


「いいよ。後ろ向いて」

 優しい声に賢太郎は照れくさく思いながらも、後ろを向く。


「ああ、破れてる」

 笑いをこらえるようなしおりの声。


「え、やっぱり破けちゃいました?」

「うん……」

 やってしまった。このサンタの衣装がどのくらいの値段なのかはわからないが、買い取りは決定だろう。せっかく頑張ったアルバイト代が吹っ飛んでしまう。


「わたし、裁縫道具もっているから縫ってあげようか」

「え、本当に」

 救いの神というのは、こういう人のことを言うのだろう。


 賢太郎はサンタのズボンを脱ぐと、しおりに渡した。

 ズボンを受け取ったしおりは、カバンから裁縫道具を取り出すと手際よくズボンの切れてしまった部分を縫っていく。

 その手際の良さを見て、賢太郎は感動した。


 きっと、彼女はいい奥さんになるんだろうな。

 そう考えたと同時に、なぜか自分の頬が熱くなっていることに気づいた。


 おいおい、誰がおれの奥さんなんかになるって言ったんだよ。

 しおりさんみたいな人は、おれみたいな太っちょではなく、もっとイケメンと結婚するよ。馬鹿なことを考えちゃいけない。

 賢太郎は自分の中でもう一人の自分と会話しながら、しおりがズボンを縫い終えるのを待っていた。

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