第19話 Shopping mall(5)

 藤巻が男とやり合っている間に、ショッピングモールの東側から雪崩れ込んできた客たちでパニックが広がっていた。

 感染者は百人以上になり、人が人を襲い、襲われた人間がさらに別の人間を襲っていた。


「先生、もう三十分経ちました。行きましょう」

 小鳥の声は少し震えていた。

 革製の鞄を胸の前でしっかりと抱きしめている。


「もう三十分経ってしまったのか。せっかくのティータイムが台無しになってしまったな」

 藤巻は子供の様に唇を尖らせていう。

「まあ、仕方ないか。でも、この状況じゃあ、ここを出ても三十分じゃ着かないかもしれないねえ」


 店の外へと藤巻が視線を送る。

 店の外では逃げ遅れた人々が、甦った人々に襲われていた。


 見ているとわかることだが、襲われた人間は一度倒れて動かなくなる。

 そして、数分経った後で起き上がり、別の人を襲う。

 襲うのは、まだ襲われていない人間であり、感染者同士は争ったりはしていなかった。

 まるで、お互いに興味がないかのように。


「せ、先生……」

「ああ、悪い悪い。外の様子を見ていたんだよ。どうやってこの場所から脱出しようかなってねえ」

「あの、先生……後ろ」

 小鳥の言葉に藤巻は後ろを振り返った。


 そこには、先ほどやっつけたはずの男が立っていた。

 首は支えを失い、体にぶら下がっているようにも見えるが、確かに男は立っていた。顔は潰れてしまっている。

 先ほど、藤巻の膝を喰らったせいだ。


 男は両手で首を支えながら、藤巻へと向かってきた。


「これはビックリしたなあ。まだ動けるのか。こりゃあ、私の知っているゾンビとは違うみたいだねえ。これは参ったねえ」

 そういいながらも、藤巻はまったく困った顔をしていなかった。


「小鳥くん、あれを出してもらえるかな」

「えっ、先生……でも」

「いいんだよ。いいの。首が折れているのに立ち上がるんだよ。もう、使うしかないだろ。ほら、出しなさい」

「はい」


 小鳥が荷物の中から布に包まれた長い棒状の物を取り出した。

 その棒状の物を受け取ると、藤巻の目つきが変わった。

 布が解かれる。

 中から出てきたのは、日本刀だった。

 綺麗な装飾が施されているものではなく、黒光りした鞘に収められただけのシンプルなもの。模造刀ではなく、本物の刃の入った日本刀。きちんと警察署にも届出がしてあるものだ。


「この刀は先祖代々藤巻家に伝わるものでね。一日たりとも手入れを怠ったことはないんだ。毎朝の日課として、巻き藁を斬っているけど、本物を斬るのは初めてだよ」

 男はまるでムンクの叫びのように両手を頬に当てながら近づいてくる。

 そうしていなければ、頭の重みを支えることが出来なくなってしまうからだった。

 何かに対して怒りをぶちまけているそんな印象を与えるような顔つきだった。

 目を見開き、歯はむき出し。

 獣が相手を威嚇する時のような低い唸り声を喉の奥底から出している。


 金属音が聞こえた。


 わかったのはそれだけだった。


 藤巻の左手には黒光りした鞘が握られているだけで、刀は鞘に収まったままだった。


 床に何かがぶつかるような音がした。

 熟れた果物を落としてしまった時のような衝撃音。


 首だった。

 男が両手で支えていたはずの首が、地面に落ちていた。

 支えていた両手と一緒に。

 しかし、落ちた首はまだ動いていた。

 歯を剥き出しにして、飛び掛らんばかりの勢いで。

 そして、首のない体の方も動いている。


「参ったねえ。本当に参った。一体、どういう仕組みなんだろうねえ。普通、脳と繋がっていないと体は動かないだろうよ。君たちには私の常識が通じないっていうのかい」

 藤巻は笑っていた。

 もう笑うしかなかったといった方がいいのかもしれない。


 店の入り口には、いま藤巻が対峙している男以外の感染者たちがぞろぞろと集まってきていた。

 すでに店内には他の人間の姿はなく、藤巻と小鳥しかいなかった。


「これは、万事休すってやつだねえ。どうしたものかな」

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