怒れる老婆
🔴私の知り合いに、聡さんという人がいます。
聡さんはスーパーの店前や商店街の一角で、携帯のキャリア変更、場合によっては新規契約をすすめる営業職。
その会社での、先輩の話です。
先輩を、仮に雄二さんとしましょう。
雄二さんと聡さんは2人1組で、いろんな現場を回ります。
カラフルなパラソルを街頭に立て、道ゆく人へ携帯のキャリア変更をうながすのです。
他人としゃべるのが苦手だった聡さん。
でも、お客さん相手にスムーズな営業トークをくりだす雄二さんのマネをしているうちに、徐々にではありますが、少しずつ契約をとれるようになっていきました。
結果が出るようになってホッとしたのもあるのでしょう、聡さんと雄二さんの間にあったぎこちなさもなくなっていき、仕事終わりに飲みに行くようにも。
雄二さんは意外に気前がよく、ほぼおごってくれます。
でも、ひとつだけ困ることがありました。
酒グセです。
雄二さんは酒を飲むと、人が変わるのです。
目つきが悪くなり、口も乱暴に。
ビールを4杯も飲んだ日には、隣のお客さんにからんだり、お店の人へ暴言を吐いたり。
ただ、もともと気が小さいのか、からんだ相手が本気で怒り出すと、急に眠そうな顔をして口をきかなくなるのが常でした。
そんなわけで、大ごとにはならないと思い、ほったらかしにしすぎたのがよくなかったのかもしれません。
ある夜。
2人で3時間ほど飲んで、そろそろ帰ろうと駅へ向かっていました。
いい感じに酔っぱらい、聡さんは鼻歌なんか歌ったり。
でも、いきなり雄二さんの大声が響きわたりました。
「コラー、ジャマだろうが! ウロチョロするな、ババア!」
びっくりしてそちらを見ると、雄二さんの足元に、70、80歳くらいのおばあさんが倒れています。
そばには横倒しになったキャリーバッグも。
きっと足が悪いに違いありません。
普段はキャリーバッグを押しながら歩いているのでしょう。
雄二さんは倒れたおばあさんを助けようともせず、怒鳴り続けています。
「どこに目ついてんだ、ババア! ヨタヨタ歩くんじゃねえよ! オレが転ぶとこだっ…」
聡さんはわめく雄二さんを押しのけ、あわてておばあさんを助け起こしました。
「大丈夫ですか! おケガはありませんか!」
「ああ、うー……」
おばあさんは弱々しくうめいています。
「先輩! なにしてるんです! こんな年寄りに! さあ、救急車を呼んでください!」
聡さんは怒りましたが、雄二さんは動こうとしません。それどころか、腹立ちがおさまらないうようで、まだおばあさんをにらみつけています。
これはダメだと聡さんが自分で携帯の119を押そうとしたとき、倒れているおばあさんがつぶやきました。
「た、たぶん、大丈夫……」
「ほんとですか! ケガしてませんか!」
聡さんは急いで抱えおこします。
「大丈夫……でも、あの人、あたしをけってきたよ……」
しかし、雄二さんの口からはこんな言葉。
「けったんじゃない。足が当たっただけだろ」
「先輩!」
聡さんは救急車を呼ぼうとしました。
でも、「必要ない」というふうに首を振りながら、おばあさんは立ち上がりました。
心配しつつも、聡さんはキャリーバッグを引き起こします。
それを受けとり、おばあさんはフラフラとどこかへ去っていったのですが、ときどき振り返っては、ものすごい目で雄二さんの首の下あたりを凝視しています。
「呪われろ」とか「絶対に許さん」とか叫んでいる声も。
あとから考えると、もっとしっかり謝ればよかったのかもしれません。
しかし、酔いと疲れのせいもあり、つい彼女を行かせてしまいました。
翌日、出勤すると、雄二さんはトラブル自体は記憶に残っているようでしたが、細かいところまでは覚えていませんでした。
あらためて聡さんがあきれはてたのは言うまでもありません。
とにかく、その日は雄二さんにとって最悪の一日だったでしょう。
いつもならとれるはずの契約を何本も落としてしまいます。
少し目をはなした隙に、箱に入った新品のiPhoneを盗まれました。
それどころか、タチの悪いお客さんにタバコの火を押しつけられたりも。
最初は気にしないそぶりを見せていたのですが、だんだん雄二さんの元気がなくなります。
あげく、強風でパラソルが大きく曲がり、骨組みの一部が雄二さんの肩に突き刺さりました。
スタッフ用ジャンパーを脱がせると、中に着ていた雄二さんのTシャツは真っ赤。
すぐに119。
救急隊員の方々に協力して、一緒に雄二さんをストレッチャーへ乗せながら、これはあのおばあさんのせいかもと、聡さんは背筋がゾッとなったのでした。
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