第49話 最終奥義?
釈迦三尊像が中にいた。私が、食堂でトーリ君と待っててって言ったから、律儀にこの中で、私を待っているはずだ。大慌てで【火伏せ】を纏い、火の海になっている食堂に飛び込んで釈迦三尊像を探す。父様の言う通り、【火伏せ】は頼子叔母様の火には【風壁】よりも効果的で、火が私の周りから、しおしおと威力を失っていった。
頼子叔母様は、その魔力が火に振り切れているとはいえ、風の力も持つ嘉承の家で生まれた魔力持ちだけあって、風の力は発現しなくても、風とは相性がいい。そのせいで、対峙する魔力持ちが、せめて南条レベルの力がないと、叔母様の火に簡単に押し負けてしまう。不本意にもらってしまった【火伏せ】だけど、これは、省エネになる、めちゃくちゃいい魔力だよ。
火の海が勢いを失ったところで、釈迦三尊像を探したが見つからない。あんな嵩張るもの、すぐに見つかりそうなものなのに。もしかして、燃えちゃった?釈迦三尊像は、動きが遅い。逃げようとしてもモソモソしている間に火がまわって、避難出来きれなかった?心配で、感情が高ぶり、どんどん、涙が溢れて来る。
「うわーんっ。叔母様の馬鹿っ。釈迦三尊像が燃えちゃったじゃないか。いきなり挨拶もなく、一番攻撃力のある火の魔力で攻撃をしかけるなんて、ちょっと頭がおかしいんじゃないの?内裏の牛鬼だって、もうちょっとマナーが出来ていたよ。はっきり言って、牛鬼以下。七歳児には、プレッシャーより酷いトラウマだよ。ありえないからねっ」
ぎゃんぎゃん叫んで、おいおいと声を上げながら泣いていると、父様の腕が、すっと私の体を持ち上げた。
「ふー、落ち着け。お前の感情が高ぶると、四つの魔力が、色んな加護つきで出てくるから面倒だろ。彰人がいないから、宥めるのが大変だな。おい、理人、お前、シャツを脱いでふーの顔に押し付けろ」
「は?伯父様、今、何て仰いました?」
「聞こえていただろ。さっさとやれ。うちが崩壊するぞ」
次の瞬間、私の顔に、理人兄さまのシャツが押し付けられた。ふわりと立ち上がる香りは、お父さまの香だ。私が生まれてきてから、ずっと傍にあった香りに、すっと怒りがおさまった。
「ふー、そのまま深呼吸しろ。落ち着け。お前の魔力暴走ほど厄介なものはないんだ」
瑞祥の董子お母さまが調香したお父さまの香が、私の鼻腔を抜けて肺に入るたびに、怒りが消えて、気持ちが落ち着いて来る。すーはーとシャツに顔を押し付けて、高ぶった感情を抑えようとしていると、微妙な表情をした理人兄さまと目があった。
美青年のシャツの匂いを嗅ぎまくる子豚。まるで変質者だよ。ごめんね、理人兄さま。私は、生まれた時から、瑞祥でお父さまに大事に育ててもらっているから、お父さまの香が一番の癒しなんだよ。
「ふー、落ち着いたか」
「うん。父様、理人兄さま、ごめんなさい」
「えーと、ふーちゃんが大丈夫だったら、いいんだけどね。もう問題なさそうだったら、シャツを返してもらえないかな」
理人兄さまは、紳士なので、ちょっとお顔が引きつっていたけど、私のおかしな習性には触れなかった。私を床に降ろしながら、父様が謝った。
「すまんな、理人。うちの変態子豚が、面倒をかけた」
父様は、しっかり、がっつり触れて欲しくないところに焼き印を押す極悪人だ。
「それはそうと、ふー、お前、本気で痩せろ。七歳で、これはおかしいだろ。魔力制御が完璧になる前に、心筋梗塞と糖尿が出るぞ」
ついでに人の心をガリガリと抉っていく。鬼畜で悪魔で大魔神。またの名を嘉承家当主。
「魔力がきちんと制御出来たら、痩せて、美しい公達になるって和貴子さんが言ってたもん」
「なるかよ。和貴子さんの美しい公達になる発言は、お前の亡くなった瑞祥の曾祖父の可愛い発言くらい当てにならん。あの人は、頼子を可愛い天使と呼んでいたからな」
・・・和貴子さん、デ〇専疑惑のうえに、妄言癖なの?
瑞祥のひいお祖父さまも、とんだペテン師だな。あの野生のサブ子のどこをどう見たら「可愛い」要素が見つかるんだよ。地獄の獄卒並みに
「ひいお祖父さま、何か患っていらしたの?」
「それは絶対にお前の祖父の前で言うなよ。蔵馬山の天狗と養子縁組されるからな」
何それ?嘉承家、前々から色々おかしいとは思ってたけど、本気で心配になるレベルだよ。牧田と料理長と疎開する計画を本当に真剣に検討しないと。
私と父様の会話に微妙な表情をしながらも、素早く理人兄さまがシャツを着ると、父様に向き直った。
「伯父様、私と水龍を私の部屋に飛ばしてもらえませんか」
「おう。何か知らんが、色々と悪かったな。これ、嘉承の借りな。いつでも、俺でも、ふーでも、父でも、取り立てていいから」
ありがとうございます、という理人兄さまのお礼の声が、段々かすかになって、姿も消えた。急に呼び立てられて、大事な龍の像は危険に晒されるし、皆のいる前で半裸にされるし、従弟の子豚は変態だし、で、何だかいたたまれない気持ちだよ。申し訳なさ過ぎる。
「結局、理人は何をしに来たんだ?」
「それは、本人が一番思ってるよ」
父様と喋っている間に、火が完全に治まって、食堂の状態が確認できた。さすがに嘉承・瑞祥の四侯爵家が集まっているだけあって、食堂には全く被害が出ていなかった。壁も調度品も全て無事。そのままの状態だ。でも、そこには釈迦三尊像がない。
「父様、釈迦三尊像、燃えちゃったのかな」
「それはないだろ。お前があのおかしな仏像を大事にしているのは、父様も、先代のおじさま達もご存知だしな。瑞祥の先代もいたし。それで燃えていたら、全員、蔵馬に飛ばしてやるから」
蔵馬山に住んでいるという伝説の妖の大天狗、本当にいるのか分からないけど、いきなり大家族になっても困るよね。しかも、あんな不良老人たちを扶養家族にしたら、とんでもないことになりそうだ。特に嘉承の五人がいるとエンゲル係数が激上がりする。
「でも、釈迦三尊像、いないよ」
「いや、いるな。あの魔力は二条か」
父様が、食堂の一角に向かって歩いて行ったので、慌てて後に続く。
『二条、もう落ち着いたぞ』
魔力を乗せて床に向かって父様が言うと、すうっと煙のように、釈迦三尊像が二条侯爵とトーリ君と現れた。地下に潜っていたんだ。そうだ、二条家は代々【潜伏】の達人を輩出している家だったよ。
「ああ、嘉承公爵、ごきげんよう。思ったよりも早く落ち着きましたね。トーリ君、これが【潜伏】だよ。覚えておくと、なかなか便利だから、これも習得しようね」
二条侯爵の過剰な期待に、トーリ君はげっそりするかと思っていたけど、意外なことに、その目はワクワクしているように見えた。ぶっきらぼうのトーリ君に、優美な二条のおじさま。正反対の性格の二人なのに、実は、相性が良さそうに見える。二人とも、土人形作りには並々ならない拘りがあるから、その辺りで気が合うのかも。
「おじさま達、今回は間に合ったようで良かったじゃないですか」
くるりと振り返った父様が先代侯爵の時貞おじいさまと博實おじいさまに声をかけると「うるさいよ、敦ちゃん」とおじいさま達が苦笑した。前回、油断をしていて、明楽君の魔力暴走で切り傷だらけになっちゃったからね。
「あの時はごめんなさい」
「ほんと、明楽がごめんね。ちゃんと制御の特訓しているから」
明楽君と峰守お爺様が謝罪したけど、二人は「いやいや、もう忘れて。恥ずかしいから」とひらひらと手を振った。
「時貞、博實、今回は火だったから、お前らに有利なだけだった。佳比古と誠護、お前らも油断しすぎ。【風壁】の発動が、一秒も遅れていた。家督を息子達に譲ったとはいえ、お前ら全員、油断しすぎだ。頼子が手を抜いていなかったら、死んでたぞ」
お祖父さま、容赦がないな。いやいや、あれで手を抜いていたとかないから。本気で燃やそうとしていたから。あと、いきなり老人を燃やすのは犯罪だから。
「そうだねぇ。最近、内裏で陰陽寮のお手伝いくらいしか出番がないから、確かに錆びついてきてるのは否めないかも」
「そのうち、孫どもにも馬鹿にされるなぁ」
「いまのうちにボコっとくか」
「ふーちゃん、早速だけど、今度の週末、お手合わせを頼むよ」
・・・何でそういう結論になる?おかしいでしょ。特に誠護おじいさま、今のうちにボコっとくって何?私と真護、【志那津】でボコられちゃうの?
西都の姫はおかしいが、それに劣らず、西都の老人もかなりおかしい。西都自体がおかしいのか。もう、絶対に牧田と料理長と疎開するからね。
「おじさま達、あいかわらずですのね」
学園長先生が呆れたような目を向けて来た。その横に叔母様がいる。まずい、まずいよ。怒りにまかせて、普段なら怖くて絶対に言わないようなことを、ぺろっと言っちゃったよ。
私の横から、こそこそと真護と明楽君が父様の後ろに移動した。二人とも、一番の避難場所を心得ているよね。でも、側近って、主君の盾になって守りぬく存在じゃないのか。さすがは、私の側近だ。
「不比人、何か言いましたわよね?わたくし、あんまり覚えてなくて。何だったかしら。もう一度言って下さいな」
「えーと、叔母様、私、魔力暴走で記憶が飛んでしまって」
あはははは。うふふふふ・・・。
私たちの恐怖の微笑み合戦から周りは完全に視線を外している。私を守ろうとする善良な大人はここにはいないのか。だから、お父さまがいないと嫌なんだよ。理人兄さまも、さっさと瑞祥に帰っちゃったし。
うふふふと、扇の後ろで微笑む叔母は、火焔地獄の獄卒どころじゃない。これは、完全に魔王だよ。魔王に対峙するには、もう、嘉承家の最終奥義を出すしかないのか。膝をそろそろと床につけて、発動を開始する。
「うわーん。叔母様、ごめんなさいー」
ぺたりと両手の平とおでこも床につけた。嘉承の子供の最終奥義は、土下座だよ。公家の情けで、皆が視線を外し続けてくれた。土下座しながら、あの豹足のゴーレム台車に十八回目になる改修を入れようと誓った。
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