第18話 暗雲
先生の後ろを、トーリ君と二人で歩いていると、トーリ君が不安そうに私の方を見た。うん、気持ちは、すごく分かるよ。この緊張感、きついよね。
「東久迩先生、猫の土人形を出していいですか」
「放課後にしなさいって言いましたわよね」
先生が後ろを見ずに、呆れたように仰った。頼子叔母様もそうだけど、先生も目が後ろにあるんだな。
「そうなんですけど、鞍作君は転校生で、まだ学園に馴染めてないところに、いきなり担任の先生が泥沼に消えて、その後すぐに学園長室に来いって言われると、緊張しちゃうじゃないですか。精神安定剤みたいなものとして、見逃して頂けないですか」
先生がくるりと振り返ると、溜息をついた。
「確かに、そう言われるとそうですわね。まぁ、いいでしょう」
先生の許可が下りたので、ささっと、さっきの黒い仔猫を出した。
「うにゃっ!」
片手を上げて挨拶をする、黒にゃんころに、トーリ君の表情はまだ硬いながらも、少しだけ笑ってくれた。
「相変わらず、瑞祥公爵の芸術的な土人形やゴーレムと違って、貴方のは、何と言ったらいいのか、独特ですわね」
「緊張感がないものを出すって、今上陛下と先帝陛下にお言葉を頂きました」
「的確なお言葉です」
東久迩先生が神妙な顔で頷いた。いやいやいや。先生、両陛下の御言葉ながら、そこまでしっかりと真顔で肯定されると凹むんですけど。
「お前、ほんとにさっきの黒猫なんだな」
先生と私の仁義なき会話をよそに、トーリ君が、嬉しそうに、黒にゃんこを抱き上げた。先日の、魔水晶玉子先生の尻尾じゃないけど、不安な時は、何かを抱えたくなるよね。その様子を、東久迩先生が、扇を広げて見ていた。あの扇が怖いんだよな。
「貴方の年齢で、魔力循環も、放出前の魔力の揺らめきも皆無で、そこまで錬成できるのは、流石の嘉承ですわね。嫌なくらいに父親似ですわ。頼子には、さぞかし絡まれていることでしょう」
うぐっ。東久迩先生は、あの野生のサブ子の親友だ。しかも、父様のことを言うのに「嫌なくらいに」という修飾がついた時点で、敵認定されているだろうからね。ここで余計なことを言うと四条先生と同じ轍を踏む。私は学習できる小学生だからね。
「叔母には、いつも可愛がってもらっていますよ。あははははは」
「叔母と甥が、仲が良いのは、素晴らしいことですわね。おほほほほ」
頼子叔母様の可愛がりは、一昔前の相撲部屋の「可愛がり」と同一の意味合いを持つ。あの人は、施政者のくせに、帝国の児童保護法なんか、丸っと無視するからね。
気のせいか、さっきから、私たちのいる廊下だけ、めちゃくちゃ冷たい風が吹いているよ。黒にゃんころが怯えて、トーリ君に顔を押し付けてしがみついている。土人形が作成者の雰囲気を纏うのは、やっぱり、皆が言うように、作成者の魔力持ちの分身だからなんだろうな。怖がりの黒にゃんころは、正しく私の反応だよ。
学園長室の前に着くと、先生に促されたので、トーリ君と入室した。学園は、西都総督府と同じアール・デコ様式なので、東久迩先生の部屋も、すっきりとしたラインの対照的な作りの家具が置かれている。バルコニーに続くフレンチウィンドーの前に置かれた先生の大きな木製のデスクの前に、品の良い明るい茶色のレザーの来客用のソファがある。そこに、私が生まれてから、一番長い時間を過ごしている白皙の美貌を持つ紳士が座っていた。
「お父さま!」
「ふーちゃん、ごきげんよう」
どこまでも雅なお父さまは、流麗な所作で、ソファから立ち上がった。
「隣のお友達を紹介してもらっていいかな」
「はい。トーリ君、こちらは、私の叔父で養父のお父さまだよ」
私が紹介すると、トーリ君の腕の中のにゃんころも誇らしげに胸を張る。
「こんにちは。瑞祥彰人と言います。よろしくね」
「えと、瑞祥って、董子ちゃんの旦那さん?」
ああ、そうだった。トーリ君は、瑞祥のお母さまと面識があったね。
「うん、そうだよ」
「あ、俺、じゃなくて、僕は南都から来た、鞍作斗利です」
「うにゃ!」
黒にゃんころも、トーリ君に続いてお父さまに挨拶をしたので、トーリ君がにゃんころの頭を押さえながら、一緒にぺこりと頭を下げると、お父さまが、ふふふと微笑まし気に笑った。
「それで、お父さまは、今日は何で学園にいらっしゃったの?」
「うん、それなんだけどね。鞍作君の魔力のことでお話があってね」
お父さまの言葉に、ドキリとした。それは、多分、私が、さっき四条先生と話をしていた時に、ふと思ったことじゃないのかな。
「嘉承公爵のお力をお借りして、すぐに陰陽寮から土の魔力担当の陰陽師に来てもらいますから、瑞祥公爵の横に座って待っていて下さいな」
東久迩先生の言葉に、確信した。鞍作君の保護者は、場合によっては、処罰対象になってしまう。子供の魔力測定は全国民の義務だからだ。トーリ君は、事情を分かっていないようで、心配そうに自分を見る黒にゃんころの背中をずっと撫でている。ぶっきらぼうだけど優しい子なんだよ。
突然、父様の強くて濃厚な魔力が、学園長室を流れた。
「相変わらず、凄まじい魔力ですわね。魔力酔いしそうなので止めて頂きたいですわ」
東久迩先生が、扇の後ろで呆れたように仰ったので、トーリ君が私の方を見た。
「ふーちゃんの魔王みたいな爺ちゃんか?」
「その息子。これは、私の父で、お父さまの実兄の魔力だよ」
私の説明が終わった途端に、成人男性が二人現れた。
「リモートでピンポイントで転移させるとか、やっぱり魔王だよ、あの人は」
「その前に、普通は転移自体が無理ですよ」
ぶちぶち言いながら現れたのは、土御門さんと芦屋さんだった。土御門さんは手ぶらで気軽、芦屋さんは大きなバッグを抱えて心配そうにしている。対照的な二人を見て、平常運転だなと納得した。
「瑞祥閣下、お久しぶりです。東久迩の大姫、ご連絡ありがとうございます。ふーちゃん、元気?」
お父さまと東久迩先生には恭しく、私には気さくな土御門さんは、三か月前に別れた時と全く変わりがないようだ。芦屋さんは、土御門さんに合わせて、お辞儀をするだけで、無言。私と同じで人見知りだからね。こっちもお変わりないようで、何よりだ。
「早速、来てもらって悪いね」
「いえいえ、これが仕事ですから」
お父さまの労いに、土御門さんは、笑顔で応えたが、仕事嫌いで、しょっちゅう放浪して賀茂さんの頭痛の種になっているくせに、よく言うよね。それなのに、陰陽師推しランキングでは、毎年一位なんだから、ちょっと腹が立つ。私は、引退された先の陰陽頭、賀茂保憲さんが一番魔力センスがいいと思って、いまだに推しているけど、女性陣は、華やかな見た目の土御門さんや、上品な播磨さんに、男性陣は、凛とした葉月さんや、今の陰陽頭の賀茂さんに投票する傾向にある。
「それで、彼がふーちゃんの新しいお友達?」
土御門さんが、トーリ君の方を見たので、慌てて紹介する。
「土御門さん、芦屋さん、こちらは鞍作斗利君です。トーリ君、この方達は、陰陽寮の土御門さんと芦屋さんだよ」
「陰陽師が、何で?」
トーリ君が不安そうに、黒にゃんこをぎゅっと抱きしめた。
「鞍作君、貴方の南都からの転校届に不備がありました。魔力の有無のところに、無と記載されていたのですが、貴方には、どう見ても土の魔力がありますでしょう。それで、学園側としては、陰陽寮に報告する義務があって、陰陽師の皆さんに魔力測定に来て頂いたわけです」
「でも、俺、父ちゃんに大した魔力じゃないって言われてるから」
東久迩先生の言葉にトーリ君は明らかに警戒心をあらわにしている。トーリ君のお父様だって、魔力の有無にかかわらず、一般家庭の子供は、就学前に二回の魔力検査が必要なことは知っているはずだ。隣国からの帰化人だった為、帝国の常識が欠落していた、明楽君を育てた高村家の大人達と違い、鞍作家は千年以上も続く名家だ。知らないはずがない。
「大した魔力か、そうでないかを測定するのは、陰陽師の仕事だよ」
土御門さんがそう言うと、芦屋さんが、大きなバッグから、大きな魔水晶を出した。あれは、去年、私が壊した陰陽寮の魔水晶を弁償するために、瑞祥家が賀茂さんに渡した水晶だ。
「さすがは陰陽寮。見事な魔水晶になっていますね」
お父さまも、お気づきになったようだ。
「これだけ大きなものですから、魔力研磨に時間がかかりましたが、お陰様で良いものに仕上がりました。ほとんどの研磨は、芦屋が手掛けたんですよ」
土御門さんの説明に、皆の視線が芦屋さんに集まったので、芦屋さんは居心地が悪そうだ。
「芦屋君の魔力制御は素晴らしいですね。こんな繊細な魔力の使い方を君のような若い方が出来るとは、よっちゃんも喜んでいるでしょう」
陰陽頭の賀茂義之氏は、お父さまの西都公達学園の中等科までの同級生で、いまでも仲良しらしい。
「本当に、見事ですわ。同じ土の魔力を持つ者として、敬服致しました」
東久迩先生でさえ、扇の後ろから顔を出して、魔水晶に見入っていらっしゃるくらいだから、すごいとは思うんだけど、私は、まだ魔力のトレースは出来ないから、よく分からない。
「よし。鞍作君、この水晶に魔力を込めてくれるかな」
土御門さんがトーリ君に話しかけると、トーリ君が後ずさった。
「俺、父ちゃんに魔力は無いって言われてるから」
おかしい。トーリ君は、自分に魔力があるのは分かっているのに、何で、正式な魔力測定を嫌がるんだろう。大したことがないって言われても、どれくらいなのか、普通なら気になると思うんだけどな。
「そのお前の父ちゃんだがな。逃げたぞ。行方が分からん」
いきなり機嫌の悪い低い声が聞こえたと思ったら、父様と、泥まみれの四条先生が立っていた。
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