第125話 氾濫

「これで、麻生の記憶につけられた大叔母様の付箋は全てですね」


ふぅと大きく息を吐いて、東宮殿下が目の前に置かれた湯呑のお茶を飲み干された。同時に、宙に浮かんでいた大きなアール・デコの鏡が、すっと音もなく消えた。


「殿下、お疲れさまでした。魔力切れはありませんか。ご体調は如何でしょう」


頼子叔母様が、殿下に訊ねると、殿下は微笑んで下さったが、どう見てもお疲れのご様子だ。


「不比人、兄様に稲荷屋にまで飛ばしてもらって、お菓子を買ってきてちょうだい」


飛ばすって、そんな簡単に言わないでよ、と思ったが、私の危機管理能力が脊髄反射で是と答えた。やだ、こわい。これじゃ、麻生の蜘蛛に操られているみたいだよ。頼子叔母様、嘉承の大姫のくせに、何故か、時々、瑞祥の「良い笑顔」になるんだな。私は、今は狸だけど、学習できる子豚なので、素直にお父さまのお膝から降りて、ぽてぽてと父のところに向かう。


「父様、お願い」

「おう」


ふわりと浮遊感に襲われるが、次の瞬間、馴染みのあり過ぎる稲荷屋の本店の中にいた。

我が実父ながら、あの人、やっぱり人間じゃないよね。賀茂さんや土御門さんが言っていたけど、転移は魔法陣を描いて何人もの風の魔力持ちが陣に魔力を流して、ようやくってレベルらしい。それでも数百メートルほど転移先がずれることが多く、父様のようにピンポイントを狙えるのは、あり得ないことなんだそうだ。


「あら、子狸さん?」


稲荷屋の販売員のお姉さんたちが、店の真ん中に現れた私に気がついて寄って来てくれた。普通の店なら、突然、直立歩行のおかしな子狸が現れたら、阿鼻叫喚状態になるはずが、ここは西都の老舗の稲荷屋、しかも本店なので、店員達も、何なら顧客までもが、こういうおかしな事象に慣れ過ぎている。一般客は、ここを作業場、別店舗を本店と思ってお菓子を買うので、ここは先祖代々贔屓にしている古い客しか入って来ない。


「いらっしゃいませ。嘉承の若様のお使いですか」

「ごきげんよう。私だよ。父様に飛ばしてもらったの」


私が話すと、すぐに浩子さんが来てくれた。すっかり顔色も良くなって、元気そうで何よりだ。


「若様、いらっしゃいませ。今日は、どうされました?」

「うん、急用で、父様に飛ばしてもらったんだよ。東宮殿下が西都総督府にお見えなんだけど、ちょっと魔力切れを起こしていらっしゃるようだから、お菓子を適当に持たせてくれるかな」


私が浩子さんに説明していると、「まぁ、嘉承の君ですわ」とか「東宮殿下が」と買い物客がざわついた。私が嘉承不比人だと分かったので、誰も話しかけてこない。今は、狸だけど、一応、公爵家の嫡男だからね。皆、静かに頭を下げてくれたままなので、「ごきげんよう」と、私も頭を下げた。


「嘉承の君、ごきげんよう。まぁ、まぁ、まぁ、何てお可愛らしいこと」


振り向くと、四条の大姫が、きらきらした目で私を見つめていた。しまった、上位の公家の姫がいたよ。この人は、あの四条先生の妹君だ。脇の下に手を入れられて、そのまま目の高さまで持ち上げられてしまった。私の土人形も、それなりの重量があるはずなのに、すんなりと持ち上げちゃったよ。四条の大姫、結構力持ちだな。


「大姫、ごきげんよう。いつも四条先生にはお世話になってます」

「まぁ、いやですわ、嘉承の君。それでは、あの情けない人とわたくしが兄妹だと世間に思われますわ。勘弁してくださいませ」


いやいや、兄妹でしょ、しかも同腹の。嘉承と瑞祥の側近の侯爵家の中には、第二夫人を持つ当主が何人かいるが、私の知る限り、四条侯爵にはいない。上品に微笑む四条の大姫の、公家の深窓の姫には不似合いなほどに筋肉質な肩と腕に気づいて、ここは笑うしかないと、また私の危機管理能力が良い仕事をした。


うふふふふふ。


微笑み合う侯爵令嬢と子狸というシュールな図に、ドン引きしながらも、浩子さんが、お菓子の入った紙袋を前に差し出して、頭を下げた。お、さすが浩子さん、仕事が早いよ。


「大姫、降ろして。私、今、お使いの途中なんだよ」

「まぁ、それは失礼しましたわ」


大姫が浩子さんの前まで歩いて行って、静かに降ろしてくれた。


「ありがとう」

「いえ、とんでもありませんわ。ところで、嘉承の君、お背中とおしっぽが焦げたようになっているのは、カチカチ山の狸のオマージュですの?」

「ううん、頼子叔母様にちょっと焼かれちゃったんだよ」

「ちょっと焼かれちゃった・・・。まぁ、おほほほほ」


大姫が扇で口元を隠して笑った。はい、これ以上は何も言いませんよ。この姫も西都の姫の会のメンバーな気がするな。ここは深堀りせずに、さっさと帰ろう。


「浩子さん、ありがと」

「はい、若様。狸のお体では、袋が少々大きくて運びにくいかと思いますので、肩にお掛けしますね」


私が手を出すと、浩子さんが、お菓子の入った紙袋の紐の部分を、私の狸の腕に通して肩に掛けてくれた。やっぱり浩子さんは、気が利くな。


「じゃあ、もう行くね。大姫、浩子さん、お姉さんたち、またね。ごきげんよう。父様、お買い物終わっ・・・」


私の言葉が終わらないうちに、父様に召喚されて、あっさりと西都総督府の会議室に戻っていた。早いって。ちょうど目の前に殿下が叔母様といらっしゃったので、ぺこりとお辞儀をして、紙袋を叔母様に手渡す。


「ご苦労様。殿下、すぐにお茶をご用意しますので、お待ちくださいませ。不比人、火村は、子供達といるのかしら?」

「あ、うん。私がこっちに来ちゃったから、火村さんに二人に付いててもらえるように頼んじゃった。ごめんなさい」


叔母様の部下の官吏の男性が二人、私たちの会話を聞いて、席を立ってお茶を用意してくれた。


「いいわ、あの子、蜘蛛が怖いんでしょ。子供達といる方がいいわ。それでなくとも、今日は休日ですからね」


野生のサブ子は、部下には優しいよね。身内には、すぐに焼きを入れるくせに。そう思って、焦げたしっぽを見た。どうしようかな、また違うのに入ろうかな。ぱんころか、わんころのどちらを出そうかと考えていると、みっちー宰相が、ちょいちょいと私に向かって手招きした。


「菅原宰相、何か御用ですか」

「御用も何も、貴方、これは酷いでしょう。すぐに、お掃除してください」


宰相が指で示す方を見ると、ロケット猫パンチを繰り出して、両腕がなくなったキジ猫が、天井から、だらりとぶら下がっていた。うーん。これは、なかなかのホラーだよ。でも、にゃんころが、ぶら下がっているのは、父様の風の魔力なんだよ。私の魔力干渉ごときじゃ、びくともしないよ。


「父様、にゃんころを天井から解放したいから、ぶら下げてる魔力を解除してよ」

「ああ、すまん。完全に忘れてたぞ」


父様がそう言うと、どさっと土の塊が落ちて来た。ご丁寧に、会議机についていた全員には【風壁】が張られているが、私と宰相は、そのまま泥を頭から被ってしまった。


「あなた達、親子は、何でいつもそうなんですか・・・」


土人形のようになった宰相が、むっくりと起き上がった。怖っ、幽鬼が出たよ。ギャグ漫画からホラーまで、何でもありだな、みっちー宰相。


「ふーちゃん、宰相をすぐに綺麗にして差し上げて」


お父さまに言われて、以前、泥まみれの四条先生をきれいにした要領で、水と火と風の魔力で、宰相と自分自身を「お洗濯」した。この魔法、何て呼ぼうかな。


「水が火と風と一緒に使えると、何かと便利ですねぇ」


賀茂さんが、感心したように言う横で、「洗濯機だな」と父様が一刀両断した。さすがに、ぽんころの腕をロケットパンチに使うと叔母様が怖いので、ここは睨むだけにする。


「それより、みっちー、さっさと彰の近くに座れ。あの男を召喚するぞ」

「あの男?」


私が尋ねると、父様がまた、「おう」とだけ答えた。だから、誰のこと?


「速水の大姫を支えながら出て来た若い男のことですよ」


私の洗濯魔法(仮)で小ざっぱりした、みっちー宰相が、一人だけ訝し気な顔をしている私に教えてくれた。宰相は、導火線が短いし、ちょっと奇天烈だけど、基本は、子供の私にも丁寧で人がいい。


「召喚するって、正体は分かっているの?」

「やっぱり、狸の目は節穴か。とりあえず、東宮とみっちーは彰の両横に座れ」

「はい、足を引っ張りますが、すみません」


殿下が叔母様の部下のおじさんが用意してくれたお茶を飲み飲み、稲荷屋のお菓子を頬張りながら、お父さまの方に移動して来られた。だいぶ、お顔の色は良くなってきたかなと、じーっと見ていると、にっこりと微笑みながら、お饅頭を差し出して下さった。


「不比人も食べる?」

「お気持ちは嬉しいんですけど、私、今、飲食出来ないんです」

「あ、そっか。土人形だもんね。不比人の本体は、どうなっているの?」

「意識はあるんですが、体は動かないので、傍からは寝ているように見えると思います」


私が答えると、殿下が何か思案しているように首を傾げられた。


「子供達も瑞祥公爵の結界に入れた方が良くない?」

「真護君も明楽君も、私が毎朝、不比人に被せている部分結界を一緒に被っているようですし、部屋ごと結界に入れますので、問題ないとは思いますが、念のため、目の届くところに来てもらいますか」

「彰人君、俊生と良真に子供たちを運んできてもらうよ」


峰守お爺様の言葉が終わらないうちに、二人の息子が会議室から出て行った。お父さまの結界を壊せるのは、父様くらいなのに、何か物々しいな。すぐに、いかにも寝起きといった体でぼうっとした顔つきの明楽君と真護を抱いた二人が火村さんと戻って来た。その後ろに【風天】で運ばれてきた私の体が浮いている。


「あれ、狸がいる」


明楽君が私に気がついた。てへっ。寝たふりして、二人が寝ている間に、デバガメのようなことをしててごめんね。


「明楽君、あれ、ふーちゃんだよ」


さすがは、生まれた頃から一緒にいる幼馴染で側近の真護はすぐに分かったようだ。


「ふー、さっさと済ませるぞ。すぐに本体に戻れ。明楽と真護は、彰人の背中に引っ付いていろ。頼子の部下も全員、彰人の近くに移動。頼子は部下を、チーム小野は、東宮と子供達を守れ。賀茂とみっちーは、彰の傍にいればいいが、自分の事は自分で頑張れよ」


普段なら、噛みつきそうな叔母様も、みっちー宰相も、何も言わずに、神妙に頷いた。何だか、臨戦態勢になってないか。ちょっとまずいかも。慌てて、小野子爵に宙に浮いていた体を降ろしてもらって、本体に戻ると、ぐいっと首根っこを父様に掴まれた。


「ぐええっ。父様、もう狸じゃないから、首が締まるって」

「ふーは、こっちな」


は?こっちって?


「みっちーにお掃除してから家に帰れって怒られただろう。ちゃんと片付けないと、彰の教育理念が疑われるぞ」

「狸の土は還したよ」

「そうじゃなくて、今から来るヤツだ」

「は?」


後ろを見ると四侯爵が全員「ふーちゃん、頑張れー!」と手を振っていた。風の二人、いつのまにか、しれっと戻ってるし。


「今日で仕留めるぞ、ふー。これ以上、野放しにしておくと、お前の好きな霊泉か、彰の大事な一条か三条の魔力の弱いやつから狙われていくからな」


霊泉か一条か三条の弱いものが狙われる。父様の意味することが、とっさに理解できなくて、考えていると、後ろでお父さまの魔力が膨れ上がったのが分かった。結界が強化された。


「呼ぶぞ」


父様の言葉の直後に、禍々しい魔力が、こちらに向かっているのが感じ取れた。父様の召喚に獣のように唸りながら抗っている何かが現れた。


ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ


獣のような唸りは、突然現れた大量の水が氾濫する音だった。西都総督府の大きな会議室が、一気に水の中に沈んだ。大洪水のように押し寄せ、渦を巻く水の中に黒い人影があった。


何度も会ったことのある、その人は。


「ドクター滝川・・・?」


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