第122話 Sleeping Murder 2
高村愛の手に銀色に光っている恐ろしいものがある。小型の銃だ。
「あ、あの、これは」
「取っておきなさい。貴女のような仕事を続けていると、色々と面倒な輩に寄って来られることもあるでしょう」
愛が何か言う間も与えずに、麻生はまた去って行った。麻生の眷属の数匹の蜘蛛が常に見張りを続けていることを知らずに、愛が悪態をつく。
「何よ、あいつ。いっつも突然現れて、自分の言いたいことだけ言って消えるって、何なのよ。全然、意味が分かんないんですけどっ」
一人で地団駄を踏む愛に、話しかける女がいた。同じキャバクラに勤める先輩キャバ嬢の由美子、源氏名ユミリーだ。キャバ嬢たちの間では評判が悪すぎて、誰もが愛を無視する中、まともに接してくれるのはユミリーだけだ。
「ラブちゃん、お疲れ。ねぇ、聞いた?ジェームズさん、お亡くなりになったんだって」
「ジェームズさんって、短髪オールバックで眼鏡の、インテリヤクザみたいな見た目のオジサンですよね。大きな自動車会社の役員さんの?」
愛の勤めるキャバクラは、オーナーの趣味で、キャストの源氏名だけでなく、客も皆、本名を使わずにニックネームで呼び合っている。
「そう、そのジェームズさん。さっき、他のキャストが噂しているのを聞いたんだけどね。ラブちゃん、時々、指名されていたでしょ。マータとか、同伴がなくなるから、すごい売り上げが落ちるって嘆いていたわ」
太客が死のうが生きようが、キャストが考えるのは売り上げだけか。マータは何かにつけては張り合ってくる面倒なキャバ嬢の一人だ。
「気持ちは分かるけど、もうちょっとだけでも悲しんであげてもいいのにね」
「ユミリーさんくらいですよ。そんな、まともな反応が出来るのは。あたしにも優しいし」
「ラブちゃんは、うちのナンバー1だから、皆が妬んでいるだけ。それは、向こうが折り合いをつける問題で、ラブちゃんが気にすることじゃないでしょ」
ユミリーは自分よりいくつか年上なだけだが、以前の会社の良美を思い出させる。あの人は、部長との不倫から抜け出られなくなっていたが、ユミリーにも事情があるんだろうか。
「ユミリーさん、何でキャバクラに勤めているんですか」
「何、突然?」
「すみません。あたしは、昔の同棲相手の借金を被っちゃって、夜の仕事を始めたんですけど、昼の仕事よりも実入りが全然違って、だんだん馬鹿らしくなってきて、今の仕事をしてて。ユミリーさんもそうなのかなって」
「ああ、そういうこと。あたしは、シングルマザーで、子供の父親は、とんだDV野郎なのよ。養育費なんか
突然、個人的なことを訊いた愛に、嫌な顔をすることなく、ユミリーはさばさばと答えてくれた。
「シングルマザーって、最近、流行りみたいに普通に聞くけど、実際は本当に大変よ。でも、赤ちゃんの時に、小さい手がきゅっと、あたしの指を握ってきてね。3か月もするとさ、嬉しそうに、歯も生えていない歯茎をがっちり見せて笑うのよ。あたしに似て、あんまり可愛くない子だから、どんなに大変でも、あたしが可愛がらないとね。あたしがいないと、この子は生きていけないと思うと、あたしみたいな女にも、ちょっとは価値があるかもしれないって思わせてくれるのよ。大きくなるにつれて、あたしもちょっと自信がつくっていうか、うぬぼれだけど、頑張ってるなって自分のこと、好きになれたとか」
ユミリーが、そう言いながら、携帯の待ち受けを見せてくれた。昼の薄化粧の由美子が、よく似た顔立ちの幼稚園児くらいの女の子とピースサインをしている。二人とも楽しそうだ。
「だけどね、もういい加減、この仕事、辞めようと思ってる」
「え、辞めるんですか」
「うん。ジェームズさんの話を聞いたら、本当にヤバいと思って」
「ヤバいって?」
「あの人、良くも悪くも親分肌というか、いつも部下を引き連れて遊んでたでしょ。遺体で発見された時、部下も一緒に見つかったんだって。それも50名。老舗の温泉旅館を貸し切って、大宴会をしていたらしいのね。朝、仲居が発見した時は、全員、干からびたような、真っ黒の遺体になってたんだって」
ユミリーが綺麗に整えた眉毛を寄せながら、おぞましい言葉を吐いた。瞬間、愛の脳裏に梶原の最後の姿が浮かぶ。
「皆は、ヤバい薬か何かじゃないかって。そんな話を身近で聞くとね、もう潮時だなって。娘も来年の春には小学生だから、あたしはもう足を洗う。子供って小さいけど、それなりに事情を察しているようなところがあるのよね。小学生になったら、もっと周りが見えてくるようになるだろうし、余計なことを言う人って、どこにでもいるしょ」
ユミリーが話を続けるが、頭の中の血管が、どくどくと大きな音を立てて血が流れるような感じがして、呼吸も乱れて来てそれどころではない。梶原と同じ状態って、どういうことなんだろう。理由は分からないが、麻生が絡んでいると直感が告げていた。また膝がガクガクと震えてきた。
「ラブちゃん?ラブちゃん、ねえ、どうしたの?」
ユミリーに何か言わないととは思うものの、声にならない。
「高村さん、ちょっとお話を伺いたいんだけどね」
突然聞こえた野太い声に、ユミリーが振り向くと、さっき店で見かけた刑事の二人組だった。
「ラブちゃん、大丈夫なの?」
青い顔をした愛を、若い刑事が、路肩に止めた車に連れて行こうとしている。
「大丈夫ですよ。ちょっと署で話を聞くだけです。きちんと家までお送りしますから、ご心配なく」
年上の刑事がユミリーに告げると、ほどなくして、愛を乗せた警察車両が夜の街に消えていった。
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