第83話 喜代水案件

「叔父様、あのね。私達、これから稲荷屋に行くんだけど、喜代水の僧侶の方、二、三名ほど一緒に行ってもらえないかな」

「陰陽寮の頭と一位がいるのに、喜代水もということは、何か供養でも?」

「稲荷屋に妖蛾がいる可能性があります」


賀茂さんが直球で叔父様に伝えた。


「妖蛾?何でそんなのが稲荷屋に?あれは弱過ぎて、魔力持ちがそこら中にいる西都では棲息できませんよ。稲荷屋なら、しょっちゅう【烈火】を発動している頼子のいる西都総督府の目と鼻の先だし」


お祖父さまと同じ見解だ。やっぱり弱い物の怪なんだ。


「叔父様、妖蛾って、憑りついた宿主の中に入れば、事故とか病気とか引き起こせるの?」

「普通は考えにくいね。妖蛾というのは、一部の例外を除いて物の怪の中でも弱い存在だから、そこまでの力はないよ。でも、厄介なのは、気に入った宿主を見つけると、子々孫々まで憑りついてしまうんだよ。憑かれた者は、だいたい色んなところで衝突して人間関係に苦労するようになるね。雌の妖蛾は、男性を魅了してしまって、それでトラブルになることが多い」


ずばり、今まで聞いてきた高村愛像に合致する。賀茂さんと土御門さんの方を見ると二人とも同じことを考えていたのか、深く頷いてくれた。


「それで、これは全世界の全ての妖に言えることなんだけどね。妖が好んで寄生する宿主というのは、何かしら彼らを惹きつけるものを持っているんだよ。別の言い方をすると、人が嫌うものだね。憎悪とか、嫉妬とか、疑念とか、背信とか、まぁ挙げるとキリがないけど」

「長く心の中に持ってると、瘴気になっちゃう感情だよね」

「うん、そう。それは魔力持ちの場合ね。魔力を持っていない人たちが、そういう感情を強く長く持ち続けると、物の怪に付け込まれることがある。強い負の感情を持つ人間が出す気、暗いオーラが彼らの好物だからね。そう言った事態にならないように、諫める言葉として、昔から、人を呪わば穴二つとか言うでしょ。私たちの世界の言葉、仏教用語だと、因果応報って言ってね。西洋の国々でもWhat goes around, comes aroundって言葉がある。洋の東西を問わず、これは昔から知られたことなんだよ」

「明楽君のお母様が負の感情を持っていたから、憑りつかれちゃったの?」

「頼子が瑞祥公爵から伺った話では、祖父が禁忌に手を出して、実の弟を殺めた疑いがあるんだよね。その時点で、もう家庭内では、どんな妖を引き寄せるのにも十分な負の感情が渦巻いていたと思うよ。魂と肉体の二重の殺生だからね。だから、逆に妖蛾が寄生してくれて、高村愛さんも、愛さんのお母さんもラッキーだったよね」


いやいやいや、叔父様、妖だよ。そんなのに憑りつかれて、やったー、お母さん、私も寄生されたよ!って思うのはおかしいでしょ。人間関係で衝突しまくって、異性トラブルに巻き込まれて、ラッキーはないでしょ。


「確かに、不幸中の幸いでしたね」

「曙光帝国もラッキーだったよ」


賀茂さんと土御門さんも頷いている。えっ、私だけ置いてけぼり?


「ふーちゃん、妖というのは、小物のくせに、妙にプライドが高いんだよ。その辺は、憑りつかれた人にも影響するようで、寄生された途端に、周りの人達に高慢な態度を取る人が多い。そんな性質があるから、一度でも妖に憑かれた人は別の妖には憑かれないんだよ。ましてや、その中でも弱い妖蛾に気に入られるような宿主に、プライドの高い、より強い妖が憑くはずがない。つまり妖蛾のおかげで、もっと厄介な妖が、高村一家と一緒に曙光帝国に来ることにはならなかったってことだね。ね、高村家も愛さんも、曙光帝国もラッキーでしょ?」


いやいや、それ、本当にラッキーでいいの?ものすごく物は言い様だよね。これ、うちのお父さまなら、ころっと騙されるやつだよ。文福叔父さま、そういう斜め上過ぎるポジティブな説法、お得意だもんね。


「ふーちゃん、本当なんだよ。妖蛾程度で良かったよ。これがヒドラやハルピュイアみたいなもっと強いものだと、厄災よりも酷いことになったかもしれない」

「ものすごく稀だけど、傾国レベルの力を持つ物の怪もいるからね。帝国には、昔、大陸から渡ってきた九つの尾を持った妖狐に襲われたという史実があるんだよ」


賀茂さんや土御門さんまで真剣な顔つきで言うと、ちょっとラッキーなのかなとは思うけど、でもやっぱり違うと思う。


「大局的にはラッキーでも、憑かれた明楽君のお母様にしてみれば、全然ラッキーじゃないよ。周りにいて事故に遭ったり、病気になった人たちも」

「ふふ。さすがにあの瑞祥公爵を養父に持つだけあって、ふーちゃんは人の気持ちを考えられる子だね。嘉承一族なら、諸手を上げて大喜びする話なのに」


確かに、あの面倒くさがりの嘉承公爵と愉快な仲間たちなら、ありうる反応だ。否定しきれないのが辛いよ。


「宿主になってしまった人達には、多少は気の毒な気もするんだけど、これも実は因果応報なんだよ。元々、妖に好かれる要素を持っていたんだね。特に妖蛾は、それほど強い物の怪ではないから、居心地が悪いとすぐに宿主を変えるんだけど、居座るってことは、本人達に、なかなかの負の要因があったってことだね。祖母・母・娘という三代に受け継がれて、大きく育っているようだね。どんなに弱い妖でも100年近く負の感情を貯めていれば、それなりの妖力を持つようになるよ。それが宿主が憎む相手に事故や病気を齎していると思う」


嫌な予想が当たってしまった。座敷に沈黙が広がった。そこに小僧さんたちがわらわらと私の周りに集まってきた。


「嘉承の若様ー、蛾の退治くらいだったらー、私たちがお手伝いしますよー」


え、小僧さんたちにお願いするの?どう答えていいのか分からないので、叔父様の方を伺うと、叔父様は、いつもの良い笑顔だった。うーん、どうしようかな。小僧さん達の気持ちは嬉しいけど、なかなかの妖力を持つ物の怪なのに、大丈夫なのかな。


「ほら、ふーちゃん。喜代水の総意でお手伝いするって言ったでしょ。この子たち、役に立つから、連れて行ってあげてよ。お礼は稲荷屋さんのお菓子でいいよ。なかなかお安いでしょ。これだけ頭数が揃っていて、お得だと思うけどな」


寺院の僧侶がお得はないでしょ。小僧さん達が、わくわくした期待を込めた目で私を見るので、断りづらい。まぁ、いざとなったら、賀茂さんがいるし、稲荷屋なら、うちからも近いから冥王が飛んでくるだろうし。すぐ近くの総督府には、灼熱地獄に棲む鬼もいるしね。


「お願いします!」


ぺこっと頭を下げると、「きゃーっ」という歓声が座敷に広がった。小躍りする小僧さん達をみて、文福叔父様は、「良かったね」と嬉しそうに笑った。


「えっ、えっ、妖に妖をけしかけるの?」と、賀茂さんと土御門さんが、若干動揺していたが、聞こえない、聞こえない。この小僧さん達は、いつも私に優しい良いたちだよ。


「じゃあ、ふーちゃんのお手伝いをする顔ぶれが決まったところで、紹介したい人がいるんだけど、お呼びしてもいいかな?」


そう言って、叔父様が小僧さんの一人に、誰かを呼びに行かせた。ほどなくして、小僧さんと、四十路の痩せた眼鏡をかけた女性が現れた。


「浩子さん!」


驚きのあまり、つい叫んでしまった私に、土御門さんが「稲荷屋の病気になった人?」と訊いてきたので、頷いた。そう、あの原因不明の長期病欠の浩子さんが、元気そうに目の前に立っていた。


「浩子さん、体は大丈夫なの?みんな、心配しているよ。特に末っ子こんちゃん」


私がそう言うと、浩子さんは申し訳なさそうな顔をして、頭を下げた。


「若様、ご心配して下さってありがとうございます。皆様にはご迷惑をかけて、本当に申し訳ないことです」

「浩子さん、全然問題ないって。無事なら、それでいいから」


私がそう言うと、浩子さんが少しだけ微笑んでくれた。この人は、普段の表情が乏しいから、初対面の人には、ちょっと冷たい感じを与えるけど、仕事は真面目だし、すごく細やかな気遣いのできる素敵な女性で、私も稲荷屋ではよくお世話になっているからね。本当に、重病とかでなくて良かったよ。


「若様、実は、高村愛さんが入社してから、悪寒が止まらなかったんです。彼女が近くに来るたびに、寒気がひどくなって、気分が悪くなってしまって」

「あ、それ、霊感体質だよ」


土御門さんが、ぽんっと言った。


「は?あの、お坊様、いえ、もしや陰陽師様ですか?」

「ごめんね、浩子さん。紹介してなかったよ。こちらが陰陽頭の賀茂さんで、こちらは、第一位の陰陽師の土御門さんだよ」


私が紹介した途端に、浩子さんは、「まぁ!」と言って頭を90度近くまで下げた。


「そんなに恐縮しないでください、浩子さん。ご無事で良かったですよ。実は高村愛さんに憑りついている良くないものの正体が分かりましたので、今からふーちゃんと、こちらにいる喜代水の小僧さん達のお力を借りて、退治に行きます。もうしばらく待っていてもらえますか」


賀茂さんが丁寧にそう説明すると、浩子さんが何度も「ありがとうございます」と涙声でお礼を言った。浩子さんは、相当、心細い思いをしていたそうだ。あっと言う間に、女将さん、次男こんちゃん、同僚の菓子職人たちが人が変わったようになってしまった。自分に突っかかってくる新人店員を、訳を訊くこともなく、ただただ庇い立てる皆を見て、自分がおかしいのかと悩んだそうだ。そして彼女の主張を聞いているうちに、悪寒と頭痛がひどくなり我慢が出来なくなってしまった。


「あの高村愛さんというのは、人の琴線きんせんに触れるのが上手と言いますか、人が奥に秘めた感情を掬い取って、相手が欲しがるような言葉を与えるんですね。それで昭二さんも職人達も手玉に取られたような感じなんです」

「さすがは妖蛾。それ、あいつらの典型的な手口だよ。って言っても、普通は知らないよね、そんなこと」

「はぁ、左様でございますか。それが逆のこともありまして、私や他の店員が触れられたくないことも、うまく感じ取って、人の心を抉るようなことを言うんです。私の場合は、おばさんのくせに、昭二さんに好意を寄せているから、昭二さんが高村さんに気があるのを快く思っていない。だから他の店員達と一緒になって愛さんを裏で虐めていると言われまして」

「何それ。それじゃ小学生の終わりの会の言い合いだよ」


土御門さんが洩らした感想に、むっとする。


「土御門さん、最近の小学生を侮らないでね。私達、もっと建設的な終わりの会をしていますから」


冥王に報告して、強制送還してもらうからね。


「二人とも、今は、浩子さんの話をちゃんと伺うこと!」


真面目な賀茂さんに怒られてしまったよ。


「あの、何かすみません。その、私は、西国の端にある小さな村の出身なんですが、もう向こうには肉親らしい肉親もおりませんし、独身ですから、稲荷屋の皆を自分の家族のように思っておりましたので、高村さんが、そういうことを言って、女将さんと昭二さんに軽蔑したような目で見られたのがショックで。その時はもう悪寒も頭痛も耐えきれないほどでしたので、その場を去りました」


そうだよね。浩子さんは20年以上もの間、真面目に稲荷屋のために働いてきたのに、それはないよって思うよね。


「それで、気がついたら、節美ふしみ稲荷神社の前におりまして、そこで真っ白な狩衣姿の若い神主さんに声をかけて頂きました。ちょっとうちにそのままで入られると困る。それは喜代水案件だからと言われまして。気がついたら、こちらの境内におりまして、保護して頂いたんです」


何かよく分からないけど、稲荷神社の神主さんが、浩子さんを喜代水に行くように言ってくれたってことでいいのかな。神社と寺院で案件の違いがあるの?叔父様の方を見ると、ものすごくにっこりされた。ああ、はい。答える気はないってことですね。


「浩子さん、何かあったら、いつでもうちに来ればいいよ。でも、稲荷屋が離さないと思うけどね。賀茂さんが言った通り、ちょっとだけ待っててもらえる?」


私がそう言うと、優しい小僧さん達も、わちゃわちゃっと集まってきて「はいー。さくっと片付けますー。待ってて下さいー」と言ってくれた。

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