第70話 小野子爵
瓢箪から出た駒、嘘から出た
帰りの支度をしながら、真護が「魔力制御が完璧になったら、頑丈な【風壁】を四条先生にも張ってあげるんだ」と宣言した。あの人は、色んなところで、墓穴を掘るタイプだ。土の四条家の人だから穴に落ちても心配はいらないけど、あの東久迩先生の「伝説の右」の一撃は躱さないと死ぬ。
「ふーちゃんと一緒に頑張るからね」
やる気満々の真護の決意に水を差して悪いけど、私は【風壁】はもう出来るんだよね。それに風なら、感覚派の東条よりも南条の理論立ての方が性格的に向いているしなぁ。これを言うと真護どころか、誠護おじいさまや、享護おじさま、一族郎党巻き込んで泣くのが東条家なので、絶対に言わないけど。
「真護、今、思いついたんだけど、【風壁】なら小野じゃない?峰守お爺様に頼もうよ」
そうだよ。小野は、一族で私について来てくれるって宣言したくらいなんだから、風の制御の訓練だって頼めば教えてくれるはずだよ。むしろ、南条や東条に習うよりも中立で、両家の間で気を遣わず済むのでいいかもしれない。
「それだ!【風壁】なら小野が一番だって、父上も仰ってた」
二人で、お祖父さまにお願いして、小野家に話をつけてもらおうと話しながら帰ろうとしていると、明楽君が追いかけてきた。
「明楽君、どうしたの?」
「えっと、ふーちゃん、真護君、あのね。さっきの話、小野に頼むって話」
「うん。私達、魔力の制御がまだまだだから、小野家に訓練を頼もうと思って」
「僕のお父さんのお家の小野?」
「そうだよ」
「僕も、ふーちゃんと真護君と一緒に訓練できる?」
おおっ、これは、まさしく棚から牡丹餅、ヴォルぺからポポーのミルクプリンってやつ?
「もちろんだよ、明楽君。私と真護は今から、お祖父さまに小野にお願いしてもらえるようにお願いするんだけど、一緒に来る?」
そう言うと、明楽君が大きく頷いてくれた。やった。やったよ。今まで魔力を否定してきた明楽君が、魔力制御の訓練をしたいと自分から言ってくれた。三人で魔力制御がんばろうキャンペーンだよ。
あまりに嬉しくて、前にも試した【風天】の応用で、三人の後ろに小さなジェットエンジンのように風の流れをつけた。これだと、歩かなくても前に進むから楽ちんで、楽しいんだよね。真護と明楽君も大はしゃぎだ。
「ふーちゃんは、何でも出来るのに、まだ訓練するの?」
明楽君が訊いてきた。
「何でもは出来てないって。出来たとしても、制御はめちゃくちゃ大事だからね。父様の話だと制御を極めると【風壁】の応用で空を歩けるようになるし、【風天】を制御すると空を飛べるんだって」
「ふーちゃん、それやりたい。僕も制御を頑張って、ふーちゃんと空を飛ぶ」
真護が宣言した。
「僕も!僕もふーちゃんと空を飛びたい」
明楽君も、大きな声で嬉しそうに言った。
「うん。三人で飛ぼうね」
嬉しくて、楽しくて、いつもより魔力が多く出過ぎたのか、ものの五分で家についてしまったよ。ちょっと疲れたかも。実は、これも制御が甘い証拠なんだよね。
三人で玄関の前に立つと、牧田がいつものように、間髪を入れずに扉を開けて迎えてくれた。
「ふーちゃんのお家は自動ドアなの?」
明楽君、気持ちは分かるんだけど、牧田はうちの七不思議の一つで、考えちゃダメなんだよ。何も考えずに、もう丸っと受け入れてくれるかな。
「牧田、ただいま」
「おかえりなさいませ。今日は三人でお帰りでしたか」
「うん。お祖父さまにお願いがあってね。お祖父さま、いらっしゃる?」
お祖父さまは、いわゆるセミリタイアで、病院が忙しい時だけお手伝いに行かれるので、家にいらっしゃる時間がまちまちだ。
「はい、いらっしゃいますが、お客様が来られましたので、瑞祥の方におられますよ」
土御門さんのお母様と賀茂さんのことかな。それだったら、真護は挨拶済だし、あの二人なら明楽君を紹介しても問題無さそうだな。
「じゃあ、三人で、そちらにご挨拶に行くよ」
「左様ですか。それはようございますね」
牧田が止めないというのは、全く問題がないということだ。両公爵家三代、六人の当主に仕えた実績は伊達ではないので、特に人間観察は誰よりも牧田の判断はあてになる。
牧田に真護と明楽君のカバンを預かってもらって、手を洗ってから瑞祥にあるサンルームに向かった。この季節、寒がり一族の瑞祥家では温かいサンルームでお客様を迎えることが多い。三人で、とことこと歩く後ろを、牧田が歩行を合わせて律儀について来てくれる。近くまで来ると、人の声が聞こえるので、当たりのようだ。牧田が戸口のところで、中にいらっしゃるお祖父さま達に声をかけてくれた。
「旦那様、若様が、ご学友とお帰りになりました」
瑞祥家なので、牧田のいう旦那様は、お父さまになる。お父さまが振り向いて、手招きをして下さった。
「ああ、ふーちゃん、お帰り。真護君も。明楽君、来てくれたんだね。いらっしゃい」
何も言わずに明楽君を連れて来たので、お父さまはちょっと驚いて、すぐにとても嬉しそうな顔をして下さった。
お父さまの前では巨大な猫を被る真護と、いつもお行儀のいい明楽君が、ぺこりと頭を下げて、それぞれ「ごきげんよう」「こんにちは」と挨拶した。サンルームには、瑞祥のお父さまとお母さま、お祖父さまと土御門さんと土御門伯爵夫人と陰陽頭という、なかなかの豪華な顔ぶれ。それに、奥のソファに、もう一人知らない紳士が座っていた。誰かな、知らないおじさんだ。
紳士が明楽君を凝視しながら、よろめくように立ち上がった。いつもの人見知りが発動して、お父さまの後ろに隠れたい衝動にかられたが、明楽君を挙動不審者から守らないと。真護が、素早く私にくっついてきたが、お前じゃない。明楽君の腕を引っ張ろうとしたが、おじさんの方が早かった。何で?私、真横にいたよね。
明楽君は、知らないおじさんに完全に抱き込まれていた。この不審者、めちゃくちゃ素早い・・・と思った瞬間、この人の正体が分かった。
「風の小野だ」
お父さまの方を見ると、頷いて下さった。明楽君を抱きしめて号泣しているおじさんの「鷹邑」という、かすかな、くぐもった涙声が聞こえた。間違いない。この人は、小野家の人だ。
見知らぬおじさんにいきなり抱きすくめられて、さぞかし吃驚しているんじゃないかと思ったが、明楽君は、号泣しているおじさんの背中をぽんぽんしていた。出来た子だよ、ほんと。
「
お祖父さまが、呆れたように声を掛けると、おじさんは、頷きながらも、まだ明楽君を離そうとしなかった。真護は完全に怯えて、まだ私に引っ付いている。確かに、知らないおじさんが、めちゃくちゃ素早く友達に抱き着いて、目の前で大泣きしたら、ドン引きするけど。でも、この人、明楽君の伯父さんだよ。さっき、お祖父さまが、俊生って呼ばれたから、山科の当代小野子爵だ。
「俊生、明楽を放してやれ。お前、まだガキどもに素性を明かしていないだろ。明楽に変態オヤジと思われていいのか。ふーと真護は、絶対にそう思ってるぞ」
げっ、バレてた。お祖父さま、もう小野子爵だって分かったから、思ってませんよ。
「はい、失礼しました、御前。瑞祥公爵、公爵夫人、土御門伯爵夫人、陰陽頭、土御門陰陽師、お目汚し、申し訳ありません。嘉承の君、東条の君、はじめまして。私は、小野鷹邑の一番上の兄の俊生です」
涙声ながら、きちんと周りに詫びて、私達にも丁寧な挨拶をして下さったが、明楽君をがっつりホールドしたままだった。泣き顔なので分かりにくいが、確かに峰守お爺様を彷彿とさせる顔立ちだ。明楽君と同じで、小野家は色白というより、色素の薄い細身な人が多いようだ。多分、あれだ。瑞祥家と同じで、高位魔力を保とうと血が近いところで混じり過ぎて、先祖が儚くなりかけた一族なんじゃないかな。嘉承は図太さが、子々孫々、骨太の体格に出ている家だけど。
明楽君が怯えているんじゃないかと思ったが、本人はまだ気遣うように、小野子爵の腕をさすってあげていた。私の豆柴ちゃんは、何て、いい子!明楽君の伯父さんは、子爵と名乗らずに、鷹邑の兄と名乗られた。彼の中では、子爵であることよりも、元外務大臣であることよりも、お兄さんであることの方が大事なんだな。何となくだけど、お祖父さまや、嘉承の父が小野家を庇護する理由が分かったよ。
「嘉承不比人です、小野子爵。ごきげんよう」
私が挨拶をしたので、へばりついていた真護も、いつもの猫を被り直した。
「東条侯爵家が嫡男、真護と申します。小野子爵、お見知りおき下さい」
真護、だから、お前は何でそこでマウントを取るかな。私が爵位にこだわらない小野家の家風を好ましく思っている真横で、侯爵家風を吹かす東条真護。こいつは何でこうも空気が読めないんだ。わざとか。
真護は侯爵家の次代なので、身分的には伯爵家当主と同等とされる。正式な場では子爵よりも上位になるが、今、それいる?真護は変なところで、人見知りがバックファイアーを起こして強気に出るところがあるんだよね。私は、だいたいお父さまの後ろに隠れてやり過ごそうとする事勿れ主義だから、どっちもどっちだけど。
「真護は、もう葛葉と賀茂には挨拶を済ませているんだよな。明楽、こっちのババアが土御門葛葉で、お前の魔力判定をした陰陽師の母親だ。こっちのオッサンは、陰陽寮で一番偉いやつ。賀茂な」
お祖父さまが、口悪く紹介したが、二人は気を悪くした風でもなく、明楽君に微笑んだ。
「明楽君、ごきげんよう。陰陽寮の賀茂義之です。私も昔、西都公達学園にいたんだよ」
賀茂さんは、やっぱり優しいいい人だよ。頭を串刺しにして撃破した罪悪感がちらりと心に浮かんだが、あれは人形だしね。でも、ちょっとごめんなさい。
「長人様、ババアは酷いんじゃありませんの?明楽君、土御門葛葉ですわ。まぁまぁ、鷹邑君に瓜二つじゃないの。俊生君が取り乱すのも分かりますよ」
伯爵夫人が、穏やかな声で明楽君に挨拶をされた。そういえば、土御門さんは、小野鷹邑を帝都の公達学園中等科からの親友って呼んでいたから、伯爵夫人とも面識があったようだ。
「鷹邑です。葛葉おばさま、この子は鷹邑ですよ」
小野子爵が、明楽君を全てから守ろうとするかのように、抱きかかえたまま、土御門伯爵夫人に言った。
「俊生君、気持ちは分かりますけどね、この子は・・・」
土御門伯爵夫人が、小野子爵を宥めようとする。
「この子は、鷹邑だよ」
土御門さんが、母親を遮った。そして、立ち上がって、その場にいた全員の顔を見てから、もう一度、今度は力強く言った。
「この子は、小野鷹邑です」
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