お公家の事情 火にも水にもわがあらなくに
英じゅの
1章 黄色いおにぎりと練りきりの猫
第1話 トリさんと私
物心ついた頃、私の中に不思議な人がいるのに気がついた。この世界に酷似した異世界にある日本という国に生きたという、その人は女性で、人生にさしたる楽しみも持たずに、毎日ただただ働いて、定年退職する数年前に儚くなってしまったらしい。らしいというのは、彼女自身もその辺りははっきりと分かってないからだ。
憑依されているのか、転生体が私なのか、彼女も私も分かっていないが、時々、意識に上がってくる、ちょっと草臥れていて、何でも斜めにものを見る毒舌な彼女は、不思議に面白くて、何だか愉快だ。でも、時々、本当に時々だけど、彼女の哀しくて切ない感情が脳裏に浮かんでくることがある。
「もうコンビニのサラダチキンなんか食わねえ」
…やべえやつかも。
と、思い続けて早幾年。あ、申し遅れました、私、
年齢詐称疑惑って?
いやいや、サラダチキンの切ない人の記憶を合わせると、精神年齢は、がっつり還暦越えだし。
私の生家の嘉承家は、帝都におわす皇帝陛下の代わりに帝国の西側の領土を、もう一つの公爵家であり親戚でもある
そんなことで、私には両親が二組いる。生みの両親と育ての両親。実父の嘉承公爵家当主の
厄災というのは、この世界で百年から百五十年くらいの周期で起こる『人災』。人には悲しみ、憎しみ、喜びなど27種類の感情があると言われ、我々は毎日色んな感情を抱いて生きている。これが実に厄介な代物で、嫉妬、悲しみ、憎しみ、落胆、不安などのネガティブな感情の持続時間の方が、喜びや、希望、満足感、安心感などのポジティブな感情より数倍長いそうだ。
この世界は、トリさんのいた世界と同じように、目に見えるものと目に見えないもので出来ている。ただ、1つ違うのは、世界を構成する目に見えないもの中に、魔素があること。魔素というのは、文字通り魔力になる要素で、この世をつくる全てのものに魔素がある。海や大河には水の魔素、火山には火の魔素、肥沃な土地には土の魔素が豊富にあるというように、場所によって魔素の成分量に違いはあれど、魔素のない場所はない。
そして、この世界の全ての生物は、えらや、肺や、皮膚で呼吸をして魔素を取り入れて生きている。自然から魔素をもらい、傷病の自然治癒として使ったり、身の内にある負の感情の浄化に使う。負の感情は、『思考』を持つ人から流れ出るものが一番強く、人の多過ぎるところ、災害の多いところでは、自然の中で完全浄化できる量を越えることもある。これが100年や200年という長い時間をかけて濃度を上げ漂っている場所で、強い魔力を持った人間が、負の感情に捉われ支配されると、魔物の器を作り上げてしまう。これが厄災。
普通は、魔力の強い者でも、眠ったり食事をしたりして、一時的にも意識が生理的欲求に向き、どんな感情も持続することはないのだが、まれに、それこそ寝食を忘れて、絶え間なく強い負の感情を持ち続ける人たちがいる。妬みからくる呪いなんかが一番質が悪い。
厄災の魔物の器は、魔力持ちの魔力が、己の身に溜め込んだ負の感情で瘴気に変わり、空気中の魔素と化合して出来上がるらしい。魔物は、原因となった人の感情や魔力の種類により、疫病を発生させたり、自然災害をもたらしたりする。そして、感情の大きさ、魔力量により厄災のレベルが決まると言われている。
一般的に、上位の貴族ほど魔力量があるので、公爵・侯爵家クラスの魔力の多い者が魔素の多い場所で泣き暮れて過ごすと、確実に厄災を招き、大災害の発生につながってしまう。闇落ちという、魔力持ちが一番恐れている状況だ。
二年前に発生した厄災がまさに、このパターンで、曙光帝国の北東地域に未曽有の洪水を引き起こした。彼の地の名門伯爵家の令嬢が闇落ちしたのが原因ではないかと言われているものの、七歳児の情報収集力では、それ以上の詳細は不明。
いやいや、世の中には知らなくていいことってあるでしょ。精神年齢が還暦を越えていようと、肉体年齢は七歳だからね。余計なことに首を突っ込んで、どうこうしようなんて体力も気力もないよ。
そんなことよりも、今生では明るく楽しく健やかに生きて、真空パックから出て来る、もにゅもにゅした触感の鶏肉ではなく、毎日、吟味された食材から、手間をかけて調理された旬のものを美味しく頂く。絶え間なき美食の追求が、私の野望だからね。サラダチキンの切ない人、改め、トリさんも、君子危うきに近寄らず、美食道に邁進すべしと後押ししてくれているしね。人は食べたもので出来上がるからね。私は、良いものを食べて、良い人になって、良い人生を送るんだよ。ほんと、それよ。
・・・というのが私の信念で信条だったはずなのに、まさか二年前の厄災の根源に触れるようになるとは、まだこの時は思いもしなかった。
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