第2話 私の新しい彼はちょっと前まで犬だったんです
義之の事は本当に好きだった。点きあって五年もたてば自然と結婚も意識してしまうのだが、一緒に暮らすことを考えていると今まで気にならなかった部分が目に付いてしまい、それを我慢しても良いモノだろうかと考えてしまっていたのだ。
嫌いになったとか愛情が無くなったとかでは無く、義之の考えが私と少しずつずれて行っているのだと思った。私が悪いのか義之が悪いのかわからないけれど、私は義之との間に出来た溝をちゃんと埋めることが出来るのか不安になっていた。今までは気にならなかったほんの小さなすれ違いが私にはとても大きな壁のように感じていたのだ。
「なあ、そろそろ散歩に行こうぜ。飯を食ったら散歩に行かないと気持ち悪くなっちゃうんだよ」
「ごめんね。今準備するから」
義之との間に溝を感じていた時に、私が大切にしているディノ君が人間になったのだ。義之も格好良かったのだけど、ディノ君はそれ以上に私好みの男の子になってくれた。
優しくて誠実な義之も良かったんだけど、私はディノ君みたいにワイルドで引っ張っていってくれる男の子の方が好きなのかもしれない。高校の時も専門の時も好きになる男子はそんな感じだったな。義之みたいなタイプは初めてだったのでうまく行かないのも仕方のない事だったのかも。
「準備終わったよ。さあ、今日もいつものコースにしようね」
「おう、一人だと不安だからよろしく頼むな」
ディノ君は強そうに見えていざという時は頼りになるのだけど、こうして普段は甘えてくれているところも可愛い。ご飯だってまだ綺麗に食べることが出来ないし、私がいないと何も出来ないのだ。
私はディノ君がそばにいてくれるだけで幸せな気持ちになれていたんだし、二人の間に何の溝も感じることなんて無かった。義之と比べるとディノ君は頼りになると思うし、優しいだけでは物足りなくなってしまうんだよね。
「俺はさ、こうしてあっちゃんと話すことが出来るようになって嬉しいよ。あっちゃんは優しいし俺といっぱい遊んでくれるもんな」
「私もディノ君が人間になってくれて良かったよ。私の親も犬を飼ってるんだけどさ、多頭飼いだから人間になる確率は低いんだって」
「そうなんだ。俺もよくわかってないけどさ、あっちゃんが俺の事を大切に育ててくれてるみたいにあっちゃんの親は育ててないって事なのか?」
「そうじゃないと思うよ。私の親も私みたいに大切に育ててるよ。散歩だって毎日行ってるし遊んだりもしてるみたいだからね。ただ、数が多いから一人一人にかける愛情が分散してるって感じなのかも」
「よくわかんないけど、あっちゃんの親なら大切に育ててそうだな。俺も一回会ってみたいかも」
「そうだね。いつか会いに行かないとね」
私の両親は動物が好きで私が小さい時に動物園によく連れて行ってもらっていた。その影響もあって私も動物が好きになっていたのだが、私の両親が好きなのはあくまでも動物であって擬人化したペットには何の興味ももっていないようだった。
テレビで特集を組まれていた時もペットが擬人化することに対して否定的なことを言っていたし、私がディノ君を買うと告げた時も最初は喜んでいてくれたのだけれど、ディノ君だけで他に飼うつもりは無いという事を伝えると明らかに嫌そうな顔を見せてきたのだ。
今の両親の考えではとてもではないがディノ君に会わせることなんて出来ないと思うのだ。
「でもさ、なんで人間と同じになれるやつとなれないやつの差が出来るんだろうな。俺から見れば他の奴らも愛されてると思うのだけどさ、不思議な話だよな」
「そうだね。どこでそんな違いが生まれるんだろうね。でも、私はディノ君が人間になってくれて良かったって思ってるよ」
「俺も嬉しいんだけどさ、自分の変化にうまくついていけてないような感じなんだよな。あっちゃんと話せるようになって嬉しいけど、今まで話せてたやつらが何を言ってるのかわかんなくなっちゃったんだよ。別にあっちゃんと話せれば困ることは無いんだけどさ、あいつらが何て言ってるのか気にはなるよな」
「犬の言葉がわからなくなってるって事なの?」
「そうなんだよ。あっちゃんが言ってることがちゃんと理解出来るようになったんだけどさ、その代わりなのか全然わかんなくなっちゃったんだよ。でも、気にするような事でもないよな」
ディノ君はこんな状況でも悲観的になることは無いんだな。義之は変わったことがあったら原因を追究しちゃうタイプだと思うのだけど、私にはそれも気になる事ではあった。過去の失敗を繰り返さないためだと言っていたけれど、私はミスを何度も確認されるって事は嫌いだった。失敗から学ぶことも大切だと思うけれど、それにしたって限度ってものはあると思うのだ。
私だって好きで失敗しているわけではないんだし。
「最近はさ、たまに来てた男の人見ないけど元気にしてるのかな?」
「え、義之の事?」
私はディノ君の口から義之の話題が出たことに正直驚いていた。ディノ君は私と義之の関係をどう思ってみていたのだろう。そこが少し気にはなってしまった。
「そう。義之って人だと思う。俺はさ、あの人の事好きなんだよね。あっちゃんの事も好きだけどさ、あの人は俺とたくさん遊んでくれたからな。人間になれたんだし今までのお礼も言いたいんだよな」
「義之はディノ君の事も好きだったからね。ディノ君と遊んだ後に家に帰ると待ってる猫に嫉妬されるって言ってたけど、ディノ君が可愛いから我慢出来ないんだって言ってたよ」
「そう言えば、急にかまってくれなくなった時があったもんな。あの人も色々と大変なんだな。で、次にいつ遊びに来るんだ?」
「どうだろう。もう、遊びに来ないかもしれないね」
「なんで?」
ディノ君が疑問に思うのも当然だろう。今まで週に二回くらいは遊びに来ていた義之がもう三週間も遊びに来ていないのだ。別れてから三週間も経つと思うと少し寂しい気もしていたのだが、私はディノ君との生活にすっかり慣れてしまっていたのだ。
「忙しい時期って事なのかな。人間の事はまだよくわからないけど、仕事が忙しいってやつなんだろ。それが終わればまた会えるって事だよな」
「そうじゃないんだよ。私は義之ともう付き合ってないんだ。だから、義之がこの家に来ることはもう無いんじゃないかな」
「付き合ってないって、喧嘩したって事か?」
「喧嘩はしてないよ。お互いに言いたいことを言い合って綺麗に別れたんだ。だから、喧嘩じゃないんだよ」
「そうなのか。ちゃんと理解してないかもしれないけど、あいつにもう会えないってのは寂しいな」
ディノ君の前で嘘はつきたくなかったけれど、私はディノ君に嫌われたくなくて嘘をついてしまった。
義之と別れ話をした時に喧嘩をしていないというのは事実だ。義之は最後まで私の話をちゃんと聞いてくれていたし、私が嫌だと思うところも改善してくれると言ってくれた。でも、私はそんな優しいところも嫌になってしまっていたのだ。優しいのは悪いことではないとわかってはいるけれど、その優しさが私に物足りなさを感じていたのだ。
いつもは私に優しくしてくれて何でも聞いてくれるのに、別れ話だと納得してくれない義之を説得するためにディノ君が人間になったことを話していた。私は人間になったディノ君の事を義之よりも愛しているという事を伝えると、義之は私と別れることに納得してくれたのだ。
「最後に一回くらいあってお礼を言いたかったな。どこかでバッタリ会うなんてことないかな」
「どうだろうね。家もそんなに近くないし、職場だって全然別だからね。もしかしたら、買い物しに行った時に会うことがあるかもしれないけど、その可能性だって高くないと思うよ」
「人間は行動範囲が広いもんな。でも、いつか会えたら嬉しいよ。生きてるうちに一回くらいは会えるといいな」
「生きてるうちにって、ディノ君は大げさだな。どうしてもって言うんだったらさ、ディノ君のために連絡をしてみるけど、会えるかどうかはわからないよ」
「本当か。ありがとうな。あっちゃんはやっぱり優しいな」
義之に自分から連絡をするのは抵抗があった。自分でも酷いことをしたという自覚があるのだから当然なのだが、優しい義之はそれをわかった上で私の事を許してくれるという思いもあったのだ。
それに、今回は私が義之の事を思い出して寂しくなっているから連絡をするのではなく、ディノ君がお礼をしたいという事で連絡をするのだ。久しぶりに義之に会いたいという思いもあるのだけれど、私よりもディノ君が義之に会いたいと思っているのだからね。私が会いたいって思って連絡するのではないんだし、義之もそこのところは理解してくれるといいな。
「あ、久しぶりだね。元気にしてたかな?」
「うん、俺は元気だよ。そっちは少し元気が無さそうだけど、何かあった?」
「えっと、いきなりで悪いんだけどさ、うちのディノ君が義之に遊んでもらった時のお礼が言いたいって言ってるんだけど、時間作ってもらえそうかな」
「ディノ君の話か。うん、大丈夫。次の日曜だったら空いてるけど、そっちは大丈夫?」
「次の日曜は大丈夫だよ。買い物に行くくらいしか予定が無いから」
「じゃあ、14時くらいにあっちゃんの家の近くにある喫茶店に行くよ。そこで良いかな?」
「うん、あそこだったらディノ君が食べれる物もあるから大丈夫。忙しいのにごめんね」
「大丈夫だよ。じゃあ、日曜日にね」
私が義之と会う約束を取り付けた事を感じ取ったディノ君は嬉しそうにはしゃいでいた。その喜びようはすさまじく、今は見えなくなっている尻尾がブンブンと振られているように見えるくらいだった。
でも、私は義之との電話で動揺してしまっていてディノ君のように素直に喜ぶことが出来なかったのだ。
電話の向こうにかすかに女の声が聞こえていたのだ。一人暮らしをしている義之の家にこんな時間に女がいるというのが私にはどうしても信じられなかったのだ。
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