11月20日(日)

 今日は寒い。夜から朝にかけて雨が降り、今はもう止んだがまだ空一面を雲が覆っていて陽がない。吹く風も冷たく、もう冬がそこまで来ている。


 寒いが、一日ずっと家に閉じこもるのは耐えられない。どんな寒さも冷たさも、この俺の熱く脈動する魂を冷ますことなど不可能なのだ。


 そんなわけで、俺は熱い魂と本能の赴くままに、部屋を飛び出し、外へと繰り出した。目的はない。何も決まっていないがそれでいい。そんな無軌道な生き方もたまにはいい。


 もう一人、そんな人間がいた。

 タツミだ。


 近所をテキトーにぶらぶら歩いていると、スマホにタツミからのメッセージ。


『おっす、オラタツミ!(猿の絵文字) いっちょやってみっか?(竹刀の絵文字)』


 おそらく暇してるのだろう。忙しい人間の送るメッセージではない。


『ドラゴンボール好きなのか?』


 足を止めて、返信したあと、またすぐ来た。また俺は足を止めた。


『ううん。よく知らない(カメレオンの絵文字) マツザキくん、そういうの好きかな? って(鯉の絵文字)』


『嫌いじゃないけど、意味はよくわからないな』


『察してよ(赤ちゃんの絵文字)』


『かまってちゃんか。悪いがこっちは暇じゃない。日曜日の昼、近所をブラブラするという大事な使命が俺にはあるんだ』


『それは大事な使命だね!(イカリの絵文字) じゃ、ワシも手伝ってやろう(サメの絵文字)』


『いやいや、わざわざタツミさんの手を煩わせることじゃあございませんよ』


『私のこと嫌なの?(牛の絵文字)』


『もちろん、嫌じゃない』


『じゃ、今どこ?(ライフルの絵文字) すぐ行くから、そこで大人しくケツ洗って待ってて(鎖鎌の絵文字)』


 俺は現在地をスマホのカメラで撮って、その画像をタツミに送った。


『しゃー!(蛇の絵文字) 動くなよ? ダッシュで行くぜ!(バイクの絵文字)』


 五分後に、タツミが来た。大げさな荷物は持っていない。はじめようか、テキトーな散歩。暇つぶしを探して。


 俺たちはとにかくテキトーに歩き回った。無軌道かつ無作為に、ただひたすら風の吹く方へ、足の赴く方へと。


「ねぇねぇ、まだカマキリいるよー!」


 タツミが花壇を指差す。


「ああ、オオカマキリだな」


「あっちにもカマキリ!」


 今度は草むらを指差す。


「ああ、チョウセンカマキリだな」


「あ、またまたカマキリ!」


 生け垣を指差すタツミ。


「ああ、それはハラビロカマキリだな」


「わっ、なに、あのちっちゃいの!? すっごい飛ぶんだけど!」


「コカマキリだな。見た通り、オオカマとかと違って飛ぶのが得意なんだ」


 飛んでいったコカマキリを追いかけて、タツミは草むらへと入っていった。そのとき突然、草むらからネコが飛び出した。おそらく寝ていたのだろう、タツミに驚いて寝起きにも関わらずネコは元気に草むらの奥深くへと走り去った。


「ネコがいたよ!」


「首輪ついてたから、多分飼い猫なんだろうな」


「ネコよ~、逃げなくてもいいんだよ~」


 タツミは草むらの中へとどんどん進んでいく。ひっつき虫やらその手の植物が鬱蒼としげっているのに、全くお構いなし。これがうら若き女子高生のやることか? まるで虫取り少年だ。


「おいおい、マジかよ……」


「あれ? マツザキくん、もしかして草むらが恐いの?」


 挑発的に笑うタツミ。もちろん俺はそんな安い挑発には乗らない。まず意味がわからないし。草むらが恐いやつっているのか?


「草むらは別に恐くないが、草むらには恐い生き物もいるぞ? たとえばダニとかヘビとか、この季節でも蚊はまだいるし」


「やだやだマツザキくんったら、そんな大人ぶった口利いちゃって! あなたはいつからそんな夢もロマンも失くし、老いさらばえたジジイみたいになっちゃったの? あの頃のマツザキくんは本当に夢とロマンに溢れた寝小便タレのイキの良い小僧だったのに……」


「まるで俺の成長を見てきたような語り口に見せかけつつ、巧妙に人のことをディスるなよ」


「ふふふ、悔しかったらここまでおいで~」


 ずんずんと草むらに進み、俺から逃げてゆくタツミ。タツミよ、それは浜辺でやることであって、決して鬱蒼と茂った草むらでやることじゃあないんだぜ?


「別に悔しくはないが、行ってやるよ」


 俺は意を決してタツミの後を追った。散々草むらの中を駆け回って、十分後、草むらから出た俺たちの全身はくっつき虫とかその類の植物の種まみれになった。


「最悪だ……」


 大量のくっつき虫とそのお仲間を全身に散りばめた自分の姿を見て、一気にテンションが下がった。幼少の頃、これらをくっつけたまま自宅に帰り、母親に苦言を呈されたときのことを思い出した。


「もういい歳した大人だってのに、何が悲しゅうてこんなガキみたいなこと……」


「たまにはいいじゃん? 幼児帰りができるのも、今のうちだけだよ?」


 全身種まみれのくせして、タツミはニコニコしている。やんちゃ、はつらつ、わんぱく、三拍子揃っているにも程がある。


「まぁまぁ、元気だして、ね?」


 がっくりと落とした俺の肩に、タツミがそっと手をおいた。


 そのとき、俺はさっき草むらに入った時に見つけ、今の今まで隠し持っていたものをタツミの眼前に突きつけた。


「くらえ!」


 それはイモムシ。正式名称はスズメガの幼虫。結構デカい、プリプリしたイモムシだ。生物が日を恐れるのと同じで、女の子はイモムシを怖がるもの。俺の必殺カウンターアタックが見事に、


「え、なにそれ!? どこで見つけたの!?」


 決まらなかった。タツミは俺の手からイモムシをひったくってまじまじと見つめたり、なでたりしていた。


 このとき、初めて敗北感を味わった。


 さすがタツミだ。彼女を虫で驚かすには、ムカデを服の中へぶっこむしかない。しかしそれはやり過ぎだし、俺にとってもリスクがありすぎる。スズメガの幼虫を愛でるタツミを横目で見ながら、俺は全身のくっつき虫とそのお仲間の除去に取り掛かった。

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