11月10日(木)

 火事だ。


 通学路上の国道のすぐ近くにある大きなマンションの三階が朝っぱらから盛大に燃えていた。ベランダから噴き出し天に昇る黒煙とオレンジの炎。何台もの救急車と消防車がかけつけ、懸命の消火活動が続けられているが、燃え盛る炎は一向に衰える気配もない。


 俺は登校途中だというのに思わずチャリを止め、野次馬の群れに遠巻きに加わった。不謹慎だが、


「すっげ~……」


 思わず口から溢れた言葉が正直な感想だった。


 小火ぼやくらいなら何度か見たことはあるが、こんな本格的な火事は初めてだ。危ない、恐い、怪我人や死人が出なければいいのに、というような心配よりも、炎と煙にただただ圧倒された。


「マツザキくん!」


 背後から声をかけられ、振り返るとタツミ。驚いたような顔で火事を見る目は、なぜか妙にキラキラしている。


「おう、タツミ。これヤバいよなぁ……」


「うん、すっごいよねぇ……」


 ちょっと違和感があった。俺は危険で恐い、という意味でヤバいと言ったのだが、タツミの言葉は違うニュアンスを含んでいるように聞こえた。


 そのとき、弾けるような音とともに、ベランダのガラスが砕け散った。どよめく野次馬。危険を警告する警官隊と消防隊。


「きゃーっ! すっごいぃ!」


 タツミが叫んだ。それも何か変だった。タツミの声音は遊園地の絶叫マシンに乗っているような、恐怖の中に楽しさが混じっているような、そんな不謹慎な響きだった。


「ねぇねぇ! 見た? 見た!? 今のヤバいよね!? 恐いね! ビックリしちゃうね! 誰も怪我とかしてないといいのにね!」


「お、おう……」


 なんだろう、言葉自体は場に合っているのだが、響きが違う。タツミの言葉が妙に楽しげに聞こえるのは俺がおかしいのだろうか?


「さ、そろそろ学校行こうぜ。あんまり見てると遅刻するからな」


「まだ大丈夫だって! もうちょっと見ていこうよ! こんな機会滅多にないんだから!」


「おいおい、不謹慎だろ……」


「そういう意味じゃないって! 火事という惨劇を目と頭と心に刻みつけることによって、自分も気を付けよう、火は恐いんだからちゃんと取り扱わないとな~、って自らを戒めることができるでしょ? だから今はとってもいい機会なんだよ?」


「……」


 一理ある。が、どうしても納得いかない。理屈は通るが、タツミの騒ぎ方がなんとなくテーマパーク風なのだ。はっきり言って、はしゃいでいるようにしか見えなかった。


 しかし、正直なところそれも少しわかってしまう。火は魅力的でもある。危険で恐いものほどなぜか魅力的というのは、男女の関係にも似ている……別に似てないかな……? ま、ともかく火が面白く楽しいという感覚は俺にもある。


 多分タツミはその感覚が俺より強いのだろう。世の中には火に性的興奮を覚える人もいると何かで聞いたことがある。ひょっとしたらタツミもその類なのかな……?


 チラッとタツミの横顔を見る。やはりイルミネーションを見るようなキラキラした乙女チックな目をしてる。タツミよ、火事はたしかに一大イベントではあるが、そういうのじゃあないと思うぞ……。


「あー、満足した。じゃ、行こっか?」


 タツミがふーっと大きく息をついて言った。


「今、満足したって言わなかったか……?」


「変な意味じゃないよ。勉強になったって意味」


「……それもどうなんだろうな?」


「もうすぐ冬だからね~。お互いに気をつけないといけましょ~。良い教訓が得られて良かったね~」


 そんなことを言いながら、タツミは鼻歌まじりにチャリを漕ぎ出した。俺もすぐにその後を追い、俺たちは未だ燃え盛る火事現場を後にした。


 タツミは学校についてもどこかいつもより上機嫌だった。間違いなく、火事の影響だった。


「でも凄いよね~。ゴーッ、ボーン、バーン、ガシャーン、モクモク~、ボワ~、って感じだったよねぇ! 恐いよねぇ! 危険だねぇ! 気をつけないとねぇ!」


 教室に入る直前までこんな感じだった。火事に興奮するのはわかるが、なぜそんなに楽しげなんだタツミさん……!?


「タツミ、君はひょっとして、火が好きだったり、火事が好きだったりするのか……?」


 思い切って聞いてみた。


「何言ってんの? 花火とかはきれいでいいと思うけど、火事が好きなわけないじゃん!」


 あはは、と笑いながら、俺の背をばしばし叩くタツミ。どうやら火や火事に対する感覚は俺と変わらないようだが、それにしてもやけにテンションが高い。やはり火事によってちょっと、いや、かなりになっているのだろう。火事がタツミの中の変なスイッチを押してしまったらしい。やはり火は危険だ。火は物だけでなく、人の心まで燃え上がらせてしまう……。


 火とかけまして、タツミと解きます、その心は、どちらもでしょう……うん、全然てない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る