11月9日(水)

 今週から文化祭週間に入っている。言い出しっぺという理由だけでリーダーに祭り上げられてしまった俺率いる我がクラスは、一階の空き教室を使わせてもらうことになった。


 普通、出し物は自分のクラスでやるものだが、我がクラスの出し物『トンネル迷路』は教室内にダンボールを張り巡らせなければならないという性質上、空き教室でないと授業に影響がでてしまうから、特別かつ優先的に空き教室の使用が許されたというわけ。


 作業はすでに昨日から始まっている。クラスで空き教室に集まり、和気あいあいとダンボールを切ったり折ったりつなげたり、まったりほんのりと着々とダンボールによるトンネル迷路が作られてゆく。クラスの皆といっても、部活動連中は部活の出し物があるのでこっちにはいない。こっちは帰宅部や部活動の方であぶれた連中の、極少人数でやらなければならなかったので、少々忙しい。


 忙しくはあるが楽しくもある。それに作業自体は至極単純なものだからテキトーにおしゃべりをしながらでもやれるので、気負いやプレッシャーなんてのもない。空き教室のそこかしこで男女が輪になって仲良くやっていて、クラスの親睦と男女交流の場にもなっている。そういえば外に出ていったダンボール回収部隊も、多くは男女混合だった。これはひょっとすると、文化祭きっかけでカップルが誕生しそう。そんないい雰囲気に溢れている。


 俺の仕事は空き教室の現場監督兼作業員だ。迷路の設計も俺の仕事だったが、それはもう終わっている。俺はあえて簡単な迷路しか設計しなかったが、それというのも、その場でいいアイディアが出たら、すぐにそれを取り入れられる余地を残したのだ……というとかっこいいが、本当のところはあんまりいいアイディアが出なかったというのが事実で、そもそも一人で考えるより皆にアイディアを出してもらった方がいいと思ったのだ。ま、これはこれでいい発想だと自画自賛してる。


 現場監督といってもそっちの仕事はほとんどない。俺の考えた簡略な図案はコピーして皆に渡してあるし、誰かからいいアイディアが出た場合はほとんどそれを採用している。一応、リーダーとか現場監督とか呼ばれているが名ばかりでしかない。今の俺は一介のただの作業員だった。


 俺は二時間ほど作業すると、休憩を取るため一旦教室を出た。すぐ後ろから、誰かが着いてきて、俺に声をかけてきた。


「マツザキくん、私もいい?」


 ウンノだった。薄く小さく微笑してみせた。目の細く鋭い微笑は可愛らしいというより綺麗過ぎ、かつ妖艶過ぎてなんとなく背筋の寒くなるようなウンノらしい表情だった。


「ああ、じゃ、一緒に行こか」


 俺たちは二人並んで歩き出した。と、思ったら、突然ウンノが俺の腕に腕を絡めてきた。


「おわっ……!?」


 俺は驚いて、とっさにその腕から逃げた。


「失礼しちゃう」


 そう言って、ウンノはわざとらしいふくれっ面をした。目だけがかすかにニヤニヤ笑っている。俺をからかっているのがまるわかりだ。


「失礼はこっちのセリフだ。つかさ、ウンノにはニシオ先生アレ……コバヤカワ君がいるだろ?」


「コバヤカワ君とはなんにもないわ。ただ、彼が私のこと好きなだけ」


 クスッと笑うウンノ。冷え冷えとした微笑なのに、それがどこか魅力的なのがウンノの凄いところ。


「じゃニシオ先生アレは?」


ニシオ先生アレにも最近飽きてきたのよね。最初は刺激があって楽しかったんだけど、慣れちゃったらもう、ね……?」


「……」


 の経験値が俺とあまりにも違いすぎる。正直ついていけないし、付き合いきれない。こういう場合はさっさと話題を変えるに限る。


「そういや、こないだのテストの点はどうだった? 俺は勉強会のおかげで結構良い点が取れたんだ。よかったら、また次のテスト前に、一緒に勉強会しようぜ?」


「そっちはタツミさんとどうなの? もう?」


 昨日の晩ごはん何食べた? くらいのノリで凄まじいぶっこみ方をされて、俺は思わず廊下の火災報知器にぶつかりかけた。


「ウンノ、お前、なんちゅーことを……」


「で、?」


「……そんなことに答える義務なんてないよ」


「ふ~ん……。じゃあ、私とタツミさん、どっちと?」


 今度は廊下の出っ張った柱に衝突しかけた。


「まだ宵の口ですぜ、旦那……」


 現在、午後六時五分前。文化祭ウィークは午後九時まで作業が認められている。日は落ちたが、まだまだ下ネタの時間じゃない。


 なので俺はあくまで冗談として返した。が、ウンノは本気とも冗談ともつかない微妙な表情をしていた。ウンノがこの会話を楽しんでいるのだけは間違いなさそうだが……。


「で、どっちと? ちなみに、自慢じゃあないけど、私、テクには自信があるの」


「……もう勘弁してくれよ。いたいけな青少年からかって楽しいですか?」


「べつにからかってなんかないから。至って大真面目に聞いてるの。ちなみに私、今穿いてます」


「内容が不真面目すぎるんだよなぁ……。とかもいちいち言わなくていいから」


「ねぇ、マツザキくん、今ならめくって確かめていい、って言ったらどうする?」


「……!?」


 ここで俺はウンノを見るべきじゃなかった。露骨に顔をそらして、興味のないふりをすればよかった。なのに俺はウンノを思わず見てしまった。つま先からナメるように頭の天辺までを。スレンダーでしなやかなウンノのボディを、ウンノそれ自体を肉眼で確認してしまった。ゴクリ、と喉が鳴ってしまった。ウンノの誘惑、それはいたいけな青少年にはなかなか抗いがたい魅力……まさに魔性……。


 ウンノは突然、素早く、なおかつ自然に俺に抱きついてきた。気がついたときにはもう、ウンノの両腕が俺を捉えて離さない。


「ウンノちゃん……!?」


 変な声がでてしまった。


「いいよ……? どうする……?」


 いかに今が放課後といえど、文化祭ウィークの、しかも学校の廊下でこれは色々とマズい。しかし、俺の頭の中は混乱の極みにあってどうしようもない。クラクラとした目眩と火照り、そしてウンノに襲われ、もはや自分ではどうすることもできなかった。


 と、そのときだった。ウンノが急に俺から飛び退くように離れた。それから半歩下がって俺の後ろに立った。


「あ……」


 いつのまにか目の前にタツミがいた。すっごくニコニコ……しているのは口元だけで、目は全く笑っていなかった。タツミはつかつかとやってきて、俺の目の前に立ちふさがった。


「なんだか楽しそうなことしていますわね? わたくしもご一緒させてよろしくあそばせて?」


 タツミが間違いすぎたお嬢様言葉みたいなのを言った。声は笑っていたが、やはり目は笑っていなかった。


「あらら……。正妻のご登場ね。それじゃ、間女は消えますよ」


 場にそぐわない楽しげなトーンでわけのわからんことを言い捨てて、ウンノは小走りに去っていった。


「ねぇ、今のどーゆーこと? どーゆー意味? どーゆー事情? どーゆー理由?」


「いや、俺にもさっぱりわからない」


 マジで、さっぱりわからない。


「ふぅん……。ところでマツザキくん、不純異性交遊って知ってる?」


「……」


「ちょーっとおはなし、いいかなぁ? 私、風紀委員やってるんだよ? 風紀を乱す不埒な輩には、それ相応の罰が必要なんだよ? わかる?」


「言いたいことはわかる。が、その前に、ちょっとでいいから俺の話を聞いてくれ。本当にちょっとで済むから、そこの自販機前のベンチでね? ほら、ジュースも奢るからさ……」


 この後、俺は結構な時間を弁明に費やさなければならなかった。最終的にタツミはわかってくれたようだが、おかげで今日の俺の作業はあまり捗らなかった。


 おのれウンノ……。やつは自分を間女と言っていたが、間の字が違う。正しくは魔女だ……深く、強くそう思った。


 ……それでも、なぜか憎めない女、それがウンノ。心底恐るべき魔性の女だ。

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