10月12日(水)

「マツザキくん……」


 名を呼ばれて顔をあげると、久しく見なかったタツミの真面目の顔がそこにあった。俺とバカ話しているときはふにゃふにゃとした可愛らしい顔なのだが、今の真顔のタツミはキリッと氷のような冷たく鋭い表情をしていた。その表情から、おそらく真剣な相談か悩み事があるのだろうと察した俺は、読んでいた文庫本にしおりをはさみ、


「よし、場所を変えよう」


 俺たちは昼休みの図書室を出て、校舎裏のいつものところへと場所を移した。


「で、どうしたんだ?」


 冗談や軽口の一つでも言ってやりたくもあったが、ここへ来てもなお、タツミは真剣な顔を崩さないから、さすがの俺もクソ真面目に対応せざるを得なかった。


「うん……」


 そう言って、タツミは沈黙した。なかなか言いづらいことらしい。昼休みは有限だが、かといって急かすのも違う。なので俺はひたすら黙ってタツミ自身が話せるようになるまで待つことにした。


「実はね……」


 タツミがようやく重い口を開いた。


「ちょっと前に友達とね、ちょっとした言い争いというか、口論というか……ケンカみたいになっちゃって……。どうしたら仲直りできるかな?」


 意外な話だった。タツミは性格も明るく社交的で寛容で優しく頭の回転も早い、いわゆる誰とでも仲良くできる優等生タイプだから、そんな揉め事が起こるなんてちょっと想像もつかなかった。そんなタツミでも解決に困るようなトラブルを俺が解決できるんだろうか。


「仲良くしたいんなら、折れればいいんじゃない? たとえ自分が間違ってなくても」


「……」


 タツミは無言で俯いた。折れたくはないらしい。


「でもさ、仲良くしたくて、なおかつ相手が折れないんじゃ、自分が折れるしかないんじゃないか?」


「そうだけど……」


「もしくは両者ともに折れる、てのもあるな。間を取って、議論をなぁなぁにするってやつだ」


「それは嫌。相手も絶対に折れないと思うし! 第一、私間違ってないから」


 タツミは力強い声で言った。絶対に曲げられない信念がそこにはあった。タツミなら和のために持論を折って相手に譲るかと思ったが違った。普段はのほほんとしていてわけのわからんことを言ったりするタツミだが、その心の内には一本の固い芯が通っている。


 しかし友人と仲違いしてまで譲れないものとは一体なんなんだ? そういえばまだ聞いていなかった。俺は唐突に気になってきた。そこに解決のいとぐちがあるかもしれないから、ここは一つ聞いてみる。


「なるほどな。ところで、その原因ってなんなんだ?」


 タツミは少し顔を上げ、こっちを見た。探るような怪しい目つきで、俺の目を見ていた。


「言いたくないなら、別に言わなくていいけど……」


「ううん、そうじゃない。だけど、これを話して友達と揉めちゃったから、ちょっと躊躇っちゃっただけ。マツザキくんとも揉めたらヤだなって、少しだけ思っちゃった」


「そ、そんな揉めるような内容なのか?」


 ちょっと想像がつかない。一体どんな話なんだ? 政治とか宗教とか野球の話か? そんな話をする女子高生がいるのか? いよいよ気になってきた。


「うん、だけど大丈夫。私、マツザキくんのこと信じてるから」


「聞く前から信じられても……なんだか物騒な気配がしてきたな……。でもまぁ、気になるから教えてくれ」


「じゃあ言うね。マツザキくんは……『たけのこ』と『きのこ』どっち派?」


 そう言って、タツミはスカートの左右のポケットから『たけのこの里』と『きのこの山』を取り出した。左手に『たけのこ』。右手に『きのこ』。


「は……?」


「『たけのこの里』と『きのこの山』どっちが好き?」


「それが、お友達と口論した内容なのか……?」


「……」


 こっくりとタツミは真剣な目をして頷いた。

 俺は呆気にとられた。タツミとご友人、そんなバカな話で口論に至って仲違いしたのか。全くバカげてる。なんでこんなことで揉められるのか? いい歳をしてそんなことで言い争えるなんてくだらない。あのタツミがこんなしょーもないことを真剣に悩んだりしてるなんてどうかしている。はぁ、俺は一つ深いため息をついた。


 こんなもの、答えは決まっている。


「当然『きのこ』だ」


 できる男はきのこ派、それ以外はありえない。


「……えっ?」


 タツミは瞠目した。信じられないといった風に、その大きな瞳がより大きく見開かれていた。


「な、なんで……? 普通は『たけのこ』でしょ? 『きのこ』なんて邪道も邪道じゃない。酷いよマツザキくん……信じてたのに……」


 その言葉に、今度は俺が瞠目する番だった。あのタツミが『たけのこ』派……? ありえない。優秀で見る目のある人間なら、自然と『きのこ』を選びとるものだし、それが宿命というものだ。まさかタツミが下賤の象徴たる『たけのこ』派だったとは……。


 となれば、『きのこ』派たる優良人種の俺が、タツミを正道へと導いてやらねばならない。それこそマニフェスト・デスティニー。良い『たけのこの里』は『死んだたけのこの里』だけだ。


「タツミ、君が折れろ。君の御学友は何も間違ったことを言っていない。そして我々は仲良くできるはずなのだ。君が間違った信仰を捨て、正しい道を選び取ることができるならね」


「っ……! 『きのこ』派っていうもそうですね……! 『たけのこ』派をなんだと思ってるんですか!?」


 そう言って、タツミはぴゃーっと走り去ってしまった。あとに『たけのこ』と『きのこ』を残して。俺は遁走する後ろ姿を眩しげに見送った。


「タツミ……」


 愛した女は敵陣営の女だった。こんなに悲しいことがあるだろうか? 俺たちは現代のロミオとジュリエット。ならば二人の愛を成就させるには、共に一つの墓で眠る必要があるのだろうか……?


 そんなことを考えながら『たけのこ』と『きのこ』を拾った。なんとなく『たけのこ』を食べてみた。


「ん……!?」


 意外と美味い。これはひょっとすると……。


「んん……!」


 手が止まらない。バカなッ! 『たけのこ』の味がこれほどまでとは……! まさか『たけのこ』は『きのこ』に優るというのか!?

 急いで『きのこ』を開け、食べ比べてみる。『たけのこ』の方が美味く感じられた。俺の今までの人生の中で築き上げてきたものが、がらがらと音を立てて崩壊する。


「ば、ばかな……俺は……一体何を……」


 俺は『たけのこ』の空き箱片手にその場で崩れ落ちた。右手の『きのこ』の箱にはまだ少量残っている。午後の授業開始五分前を告げるチャイムが聞こえ、俺の頭の中で虚しく響き渡った。


 その夜、タツミからこんなメッセージがきた。


『「きのこ」も結構美味しいね(炎の絵文字)』


 どうやら、あのあとタツミも食べ比べたらしい。俺はこう返した。


『「たけのこ」も悪くなかったよ(水の絵文字)』


 こうして俺たちは仲直り(?)した。

 タツミと御学友も仲直りできたらしい。

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