10月10日(月)

 雨だ。雨ほどやる気の出ないものはない。スポーツの日に雨とくればなおさらだ。

 逆に言えばまったりできる時間でもある。やる気が出ないなら、なにもしなければいいのだ。


 秋雨の午後、俺は自室の椅子に腰掛け、勉強机の上に両足を投げ出し、聞こえてくる雨音に耳を傾けていた。窓の方を見ると、窓の外では雨に打たれる木が木の葉を不規則に揺らし、雨粒が窓ガラスを流れ落ちてゆくのが見えた。


 風情があるな、俺はなんとなくそう思った。何がどう風情があるのかは上手く口にできないが、なんとなく風情を感じた。心が落ち着き、頭がスッキリとクリアになり、雑念が消えてゆく感じ。ひょっとしたら秋の雨にはそういう効果があるのかもしれない。


 目をつむってみた。雨音が耳朶じだに心地良い。雨粒の一滴一滴が、心の中に染み渡るような気がした。呼吸が自然と長く深くなる。頭の中が暗くなってきた。微睡みの訪れ。抗う理由はなかった。俺はそのまま眠りに落ちた。


 唐突に鳴り響く着信音に俺の意識は急速に覚醒させられた。メッセージではなく通話の着信だった。


 着信はいつだって唐突なはずだが、変な体勢で惰眠を貪っていたせいで血の巡りがおかしくなってしまったのか、ただの着信音に俺はめちゃくちゃ驚いてしまい、危うく椅子から転げ落ちかけた。幸い落ちることなく、なんとか安全に起床できた。


 未だ鳴り続ける机の上のスマホを手に取り画面を見た。タツミからの着信だった。タツミからの着信なら、今すぐ出ない理由がない。俺は通話に出た。


「やっほ。お元気?」


 いつもと変わらない元気そうなタツミの声。


「元気だ。で、なにか用か?」


「お、単刀直入だねぃ?」


「それが俺の良いところなんだ」


「でも、女の子は無駄話も楽しみたいもんなんだよ?」


「肝に銘じておくよ。で、何の用?」


「今からちょっと出れない?」


 俺は窓の外を見た。以前変わりなく、雨は降り続けている。


「どこに行くの、こんな雨の中?」


 ふと、頭に浮かんできた古い歌の歌詞をそのまま口ずさんでみた。


「散歩。いいでしょ? 秋雨の散歩ってロマンティックじゃない?」


 歌詞はスルーされた。タツミは知らないらしい。ま、俺らが生まれてくる前の歌だから無理もない。


「タツミってロマンチストだったんだな」


「知らなかったの? 『ロマンが服着て歩いてる』って言われたり、『ロマンの化身』とか、『ロマンチス子』とか呼ばれてるよ」


「あんまり嬉しくなさそうな呼ばれ方だな……。ま、とりあえず散歩に行きますか。中央公園待ち合わせでどう?」


「おっけ~」


 そんなわけで俺たちは近所の公園にやってきた。雨模様ということで、公園には誰もいなかった。秋雨に濡れる遊具たちがなんとなく物悲しく、公園全体が寂しがっているように見えた。ほどなくしてタツミがやってきた。


「おまた~!」


 遠くから声を大にして小走りに寄ってくる傘をさしたタツミに、俺の目は強く引き付けられた。正確にはその足元に。なぜならタツミのおみ足には、釣り用と思しき大きくて無骨な長靴があったのだ。とても一般的女子高生の履くものじゃないそれで、タツミは堂々とこちらへ駆けてきた。


「タツミ、それ……」


「これ? いいでしょ? お父さんから借りたんだ!」


 クルッとその場でターンして得意がるタツミ。長靴以外はごく普通の一般的女子高生の普段着的スタイルなのに足元が面白すぎる。


「さすが『ロマンが服着てる』だけはあるな」


「でしょ~? やっぱり機能美よね、いちばん大事なのは」


 タツミは満面の笑み。俺のビミョーな皮肉はビミョー過ぎて皮肉と捉えてもらえなかった。


「じゃ、行こ。第一回チキチキ、秋雨散歩選手権大会スタートぉ~!」


 第一回チキチキ、秋雨散歩選手権大会なるものがスタートぉ~した。


 秋雨の散歩はタツミがロマンティックだと言ったように、たしかにいつもの散歩とは違った雰囲気を感じられた。しとしと降る雨は夏のそれとはどこか違って穏やかで物憂げで、吹く風も冷たさの中に心地よさがある。濡れた木々と濡れ落ち葉にも、秋の風情が匂い立つようだった。木々と地面が、公園が、街が、世界が秋に濡れて、朧げなトーンを纏っていた。新緑の葉の季節から焦げた茶色の落ち葉へと移ろいゆく季節は、シックでコントラストの低く、優しげな彩度のロマンがあるように思われた。


 その中で、一つ華やいだものがあるとすれば、隣のタツミだ。


 秋雨のタツミは綺麗だった。たとえ釣り用の長靴を履いていたとしても可愛らしかった。ズルいくらい素晴らしい女の子に見えた。最初はミスマッチで馬鹿げて見えた長靴も、今ではタツミによく調和していた。そのよく目を引く、一見していびつに見える長靴さえも、タツミという女の子が身につければキレのあるアクセントに見える。それがタツミという女の子だ。それがタツミの良いところであり、羨ましいところだった。秋雨けぶる世界で、タツミだけがくっきりと浮かび上がっていた。


「ね? 秋雨の散歩っていいでしょ?」


 タツミが言った。


「いいよね? えっ? よくない?」


 タツミが言った。


「え? よくなかった? ひょっとしてご機嫌ななめ?」


 俺は首を振った。


「いや、ご機嫌はすこぶる麗しいぞよ。くるしゅうない、くるしゅうない」


「だったらちゃんと返事してよ~」


 頬をプクッと膨らませるタツミ。普段何もしてないときや、集中してるときはキリッとキレるような鋭い美女の顔つきなのに、こういうときはフグみたいに可愛らしい。相反しがちな二面性を共存させる女の子、それがタツミ。


「悪い悪い、ちょっと考えごとしてたんだ」


 君に見惚れてた、なんて本当のことは口にできない。そんなキザで大胆な真似は俺には似合わない。


「ふぅん、何考えてたの?」


「内緒」


「あ、ズルい! 教えてよ~、私だって秋雨の散歩の良さを教えたんだから~」


 そう言うタツミの足元で長靴ががっぽがっぽ言った。どうやらタツミの足に長靴は大きすぎるらしく、ときどきがっぽがっぽ言う。釣り長靴の美少女、足をがっぽがっぽ言わせながら秋雨を可憐に愉快に散歩する。おかしな取り合わせの奇妙な光景に笑いが込み上げてきた。


「タツミ、お前って本当にズルいよな」


 俺は笑いながら言った。可愛くて面白い、これも同居させづらい二面性だと思うが、タツミは見事にそれを体現していた。本当にズルくて羨ましいヤツだよ、タツミってヤツは。


「えっ、急になに?」


「そういうところも」


「えぇっ? 全然わかんない! ちょっとぉ、ちゃんと教えてよ~!」


「あっははは」


 秋雨の中、俺たちはとまんティックで愉快な散歩を楽しんだ。笑い、雨音、木々のざわめき、そしてがっぽがっぽの散歩道。

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