10月8日(土)

『本日、午後三時、駅前のミスドにて待つ(戦車の絵文字)』


 つい今しがた、タツミからメッセージが送られてきた。ちなみに現在時刻午後二時五十五分。自宅からミスドまではどう頑張っても十分以上かかる。


 それでも俺はいかねばならぬ。昨日の誤解を解かねばならぬ。ぶっちゃけ誤解でもなんでもないような気もしないでもないが、ちゃんと弁明をしておきたい。男の沽券に関わる話だ。

 というわけで俺は急いで着替え、家を飛び出し、ロケットの如く必死にチャリをぶっ飛ばした。


 今日は前日に比べてより寒くなったとはいえ、全力疾走すれば、ミスドにつく頃にはもう汗だくだった。俺は汗を袖で拭き拭き、秋の冷たい風に身体を少し冷ましてからミスドに入った。


 タツミは奥の席にいた。テーブルの上に大量のドーナツが並んでいて、既にいくつか食べた痕跡がある。タツミと目が合った。いつものタツミならニコッと微笑んでくれるのだが今日は違った。ジトっと目を細め、俺に向かってちょいちょいと手招きした。普段と違った感じに、俺の中に緊張が走った。俺はおずおずとタツミの方へ向かい、彼女の正面に座った。


「うぃっす……」


 俺が軽い挨拶を言うと、タツミは軽く頷き、トレーの上の大量のドーナツを指さした。


「それ、食べていいよ」


「えっ」


「私が呼びつけたから、奢り」


「そ、そっか。ありがとな」


 やっぱりいつものタツミと違う。どこかつっけんどんな感じ。おそらく昨日のことで何かしら思うところがあるのだろう。しかし嫌われてはいなさそうだ。嫌っているなら、わざわざ俺を呼んで、奢ったりしないもんな。


「「昨日……」」


 二人同時に同じことを口にした。タイミングぴったりだが、良いタイミングとは言えない。そこでちょっと沈黙。店内の音が一際大きくなったような気がした。店員と客のやりとり。テーブル客の雑談。外から入ってくる雑踏の音。


 タツミは手に持っていた食べかけのオールドファッションを一口いった。そのタイミングで俺は言った。


「そっちからどうぞ」


 タツミはもぐもぐしながら頷いた。咀嚼していたものをゴクッと飲み込み、テーブルの上にあるコップのオレンジジュースを一口のんだ。


「昨日はごめんね」


 タツミが少し目線を下げて言った。目を見ては言えない、といったふうに。


「えっ……」


 意外な言葉だった。まさか謝られるとは思っていなかった。タツミが何に謝っているのかわからず、俺は次の言葉を待つしかなかった。


「私、昨日マツザキくんとランジェリーショップで会ったでしょ?」


「うっ……」


 いざタツミの口からそれを言われるとめちゃくちゃ恥ずかしい。過去のことではあるが、まだ一日しか経っていない生新しい傷でもある。俺は顔が熱くなるのを感じた。


「そのときに、自分から話しかけておきながら、マツザキくんの話をよく聞かずに逃げてきちゃったから……」


「ああ……」


 あのときのことが克明に頭に蘇ってしまった。ああ、今思い出してもめちゃくちゃ恥ずかしい。例えるならコンドーム買ったら店員が知り合いの女性くらい恥ずかしい。コンドーム買ったことないけど。ああ、穴があったら入りたい。そういえばドーナツには穴があるな。俺はタツミのトレーからドーナツを手に取り、一口かじった。エンゼルフレンチ。甘すぎて涙がでそうだぜ、まったく。


「だから、今度は逃げないでちゃんと聞くね? なんでマツザキくんは昨日、ランジェリーショップなんていたの?」


「はっ……!」


 タツミの表情は謝罪のしおらしい感じから一転して、鋭く厳しい顔つきになっていた。異端審問官の目つきだ。


 俺は息を飲んだ。唐突な尋問に慌ててしまったが、よく考えると最初から俺は機能のことを釈明するつもりだったのだから、慌てる必要なんてどこにもない。冷静になるんだ、俺。俺は今一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。だいぶ落ち着いてきた。これならちゃんと話せそうだ。俺はタツミの目を真っ直ぐに見た。純真、潔白、清廉な嘘偽りのない目で、俺はタツミに訴えかけた。


「昨日俺があそこにいた理由はだな――」


 俺は全てを正直に話した。別にやましいことなんて何一つないのだからそうするのが正しいと思った。優しく賢く物わかりのいいタツミなら、それで何の問題もないと思っていた。


 が、ちょっと雲行きが怪しかった。ウンノの名を出したときから、タツミは少し不機嫌になり、ランジェリーショップの下りではもう仏頂面だった。話を終えたとき、タツミは難しい顔をして顔を店のガラスの方へと向けていた。


 そして長い沈黙……。いたたまれなくなった俺はエンゼルフレンチを食べた。全部食べたあと、今度はハロウィン限定メニューと思しき白いやつを手にとって食べた。やっぱり甘かった。喉の乾きを覚えたが、立ってドリンクを買いに行くような空気感でもなかった。


「それじゃ、マツザキくんはお礼にウンノさんに似合うパンツをわざわざ直々に真剣にチョイスして買ってあげたんだ?」


「うぅっ……!?」


 俺の説明に語弊があったのか、少しタツミの言っていることがおかしい。


「いや、俺は選んでない……。そういうの見てもよくわからんから、お金だけ渡して好きなもの買ってもらっただけだ……」


「でもそれっておかしいですよね!? だったらわざわざお店の中に入る必要ありませんよね!?」


「うぐっ! いや、それはそうなんだけど……。ほ、ほらっ、ウンノって強引なんだよ! しかもちょっと意地悪なところもあって、人が恥ずかしがったりしてるのを見て楽しむたちの悪いヤツなんだコレが! で、無理矢理連れて行かれちゃったってワケ。ドSって困るよな、まったく!」


「ふぅ~ん……」


「いやいや、本当だって。マジでガチのリアルな話なんだって! なんならウンノに聞いてくれてもいい!」


「じゃ、マツザキくんはウンノさんと付き合ってるわけじゃなくて、パパ活してるわけじゃないってこと? 信じていいんだよね?」


「ああ、俺は断じて付き合ってもなければパパ活なんてしてない! 天地神明に誓う! それにウンノはさ……だってほら、ニシオアイツがいるじゃん……」


 言って、俺は頭の中で体育倉庫でのウンノとニシオのあのシーンを思い出してしまった。


「あ、そうだったね……」


 同じことを思い出したのか、タツミも顔を赤くして俯いた。俺も俯いた。ちょっぴり気まずい沈黙。それから少しして、そっと顔を上げ、やや上目遣いのタツミが言った。


「それじゃあさ、私にも買ってくれる……?」


「えぇっ……!?」


 驚くべき発言だった。それはそれを言ったはずのタツミも同じだったらしく、言った直後に顔を真赤にさせていた。


「ご、ごめん……今のナシ……ホント、ただの冗談だから……」


 そんなに恥ずかしいんなら最初から言わなけりゃいいのに。そう思ったが、口には出さなかった。

 しかし、顔を真赤にさせて俯くタツミも可愛い。自分で言った冗談で自爆ってのも、可愛さに拍車をかけている。


 とにかく、弁明は成功した。俺は一安心、これで気楽にドーナツが食べられる。食べかけの白いドーナツを一口いった。やっぱり甘かった。クセになる甘さだった。


「しっかしウンノも凄いやつだよ、普通同じクラスの男に下着買わせるかね? 好きな男だとか付き合ってたりするならわかるけどな~」


 さりげなく、話題を日常会話的にシフトさせた。


「じゃあウンノさんって、ニシオ先生にも買ってもらってるのかな……?」


 どうやら今日のタツミはどうしてもの話がしたいらしい。よかろう、ならば俺もちょっとだけノってやる。


「そう言ってたよ。だから俺に買わせる必要なんてないのにな~」


「やっぱり二人は特別な仲なんだね……。そうだよね、普通ランジェリーショップに一緒に行くなんて、特別な間柄じゃないとおかしいよねぇ……」


 そう言って、タツミはニヤッと笑った。


「ぐぅっ、その話はやめようぜ……。それは俺に効く……」


「あははっ」


 タツミが笑った。その笑顔はもういつものタツミのいたずらっぽくも可愛らしい笑顔だった。


 多少スネに傷はできたが、いつものノリに戻れた。俺は心からホッとした。ランジェリーショップに行ったことでタツミとの仲がぎくしゃくしたり、仲が壊れたりしたらと思うと、昨日から気が気でなかった。とにかく、なんとかなって本当に良かった。目の前で笑うタツミを見て、俺は心の底から安堵した。

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