9月26日(月)
朝起きてからすぐに理解した、今日はとても暑くなる日だ、と。先日までとは違って、今日は寝起きから暑かった。暑すぎはしないまでも、暑くなりそうな兆候が既に空気中に漂っていた。それは匂いでもあったし、肌でも感じられるものだった。長年の経験から、それらが暑くなる日の特徴だった。
学校へ行く準備が整うと、俺は家を出た。九月ももう終わりとは思えない日差しがそこにはあった。刺すような、痛みに似た鋭く焼けるような光線だった。昨日も大概暑かったが、今日のそれは危険を孕んでいるように思えた。全身の毛穴が開き、一気に汗が噴き出してきた。
「暑くなるな……」
思わず言葉に出た。俺はため息をついた。暑い日と寒い日の登下校ほどキツイものはない。それがチャリならなおさらだ。しかし俺は行かねばならない。それが学生の使命だからだ。この国において、この程度の暑さに参っているようでは生きていけない。俺は重い足を無理やりチャリのペダルに乗せて、暑く長い通学路を走り出した。
「あ、マツザキくん!」
途中でタツミと出会った。それはちょうど中間地点、四車線ある国道の待ち時間の長い信号のところだった。
「今日、あっついねぇ!」
そう言うタツミの声は普段と変わらない、元気一杯で爽やかな感じなのだが、どこかその顔に翳(かげ)りがあるように見えた。どこがどうとか、具体的には言えないが、なんとなくいつもの調子とは違って見える。
「大丈夫か?」
俺は聞いてみた。
「なにが?」
「いや、体調とかさ、昨日の疲れがまだ残ってるんじゃないかと思って」
「そう見える? 別にそんなことはないけどね」
タツミは笑ってみせた。眩しく厳しい日差しの中なのに、その顔はやはりどこか暗く見えてしまう。だが、本人が大丈夫だというのなら、きっとそうなのだろう。
「そうか。それならいいんだ」
杞憂なら、それに越したことはない。
俺たちは二人で登校した。適当かついい加減な何のひねりもウィットもないただのくだらない世間話をしつつ、この暑い中チャリを漕いだ。二十分後、学校についたときには、俺たちはかなり汗をかいてしまっていた。
「やっと着いたな。もう九月も終わるってのに、この暑さは本当に勘弁して欲しいよな?」
駐輪場にチャリを置きながら、タツミに同意を求めるように言ったのだが、あのお喋りなタツミにしては珍しく返事がなかった。不思議に思ってタツミの方を見ると、タツミの様子がおかしかった。目がうつろで、チャリの鍵をかける手もおぼつかない。そして次の瞬間、タツミの身体が大きくふらついた。
「あぶッ――」
転げそうになるタツミを俺は慌てて抱きとめた。
「おいおい、大丈夫か!?」
「あ、ごめんね。なんかちょっとふらついちゃって。でも、もう大丈夫だから……」
言葉とは真逆に、タツミは全然自分の力で立とうとはせず、俺の腕にしがみついたままだった。蒼白の顔面に汗の粒が浮かんでいる。
「全然ダメじゃん」
俺は呆れたように言った。しかし、ダメなら、やるべきことは一つだ。
「ほら、カバンかせよ」
「うん……」
俺はタツミのカバンを肩にかけた。これで両腕がタツミだけに専念できる。
「一応保健室行くぞ。つーわけで、ほらよっ」
俺はおもむろにタツミを抱き上げた。思っていたよりもタツミは軽かった。これなら簡単に保健室まで運んでやれる。
「ちょ、ちょ、マツザキくん……これ、すっごく恥ずかしいよ……」
「そうか……?」
とは言ってみたものの、言われてみれば周りの視線が凄い。ほぼ全員がこっちを見ていた。おいおい、見せもんじゃないぞ。映画『ボディガード』ほど絵になるもんじゃないし。こっちは救護活動としてやってんだからさ。なんて思っても口には出せない。俺も恥ずかしくなってきたが、だからといってやめるわけにもいかない。こっちは正しいことやってんだ。何を恥ずかしがることがある?
そんなわけで、俺は表向き堂々とタツミを保健室まで運んでやった。俺の仕事はここまで。後は保険医の領域だ。
「マツザキくん、ありがとう」
いつものタツミらしくない、弱々しい声だった。
「マツザキくんって、ときどき王子様みたいだよね」
「みんなそう言うよ」
俺はハリウッド俳優ばりに気取って言ってやって、保健室を後にした。
タツミは、午後にはすっかり元気になっていた。保健室送りのお礼ということで、自販機のジュースを奢ってもらった。
「もう大丈夫なのか?」
聞いてみた。
「うん、ごはん食べたからね」
「ご飯、食べたから……?」
「うん、今日は寝坊したから、朝ごはん抜いちゃったんだ……」
照れて、恥ずかしそうに笑うタツミは可愛かった。なるほど、空腹+暑さでやられたってわけか。しかし俺はそんな可愛らしさに惑わされずに言ってやった。
「朝飯はちゃんと食え!」
これ大事。皆も朝食は絶対に食べよう!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます