9月4日(日)暇で孤独なマツザキ

 特に暇な日曜日だった。昨日借りてきた本を読み終えると、後はもうなにもすることがなかった。

 午後四時。今日は1秒も外の空気を吸っていなかったことを思い出した。日がな一日家でゴロゴロは性に合わない。これじゃもやしだ。あいにく俺はもやしになりたくないので、近所を散歩することにした。


 9月というのに外はまだまだ暑かった。やや傾きかけた西日が目に痛く、余計に暑さを感じた。時折吹く強い風はぬるく、汗ばんだ肌を冷やす効果は薄かった。


 俺は西日を避けるように東へと歩を進めた。帰りによりきつい西日が待っていることなど、このときは気がついていなかった。西日を帆風に背中を帆にしてひたすら歩いた。西にあるマンション群を抜けると公営住宅地があり、それを抜けると川がある。川幅二十メートル弱の川には人がすれ違うのもやっとの華奢な橋が一本かかっている。橋を渡ると一件の中途半端に古い、ろくに庭草の手入れの行き届いていない民家がある。そのさきには俺が生まれてくる前に開発された新興住宅街があり、その向こうには二車線の公道がある。


 橋を渡ってからひたすら川沿いに歩いた。コンクリート護岸のお世辞にも綺麗とは言い難いドブ臭い川だが、そこにも生物はいる。おもに鯉と亀である。どちらも外来種だ。他にも謎の外来魚が複数種いるが、見ていて楽しいのは一種類たりとも存在しない。外来種とはそういうものだ。


 コンクリでかためられる前はもっと自然がいっぱいだったんだよぅ、とは近所のばあさんの言葉。ばあさんは昔を懐かしむとき、目に鮮やかな色を浮かべるのだが、その気持は俺でもよくわかる。少なくとも今のドブ臭い川は誰の目にも決して鮮やかに映るなんてことはないのだから。


 川にはヒトもいた。柵を越え、コンクリートの岸辺に立って釣りをしている老人たちがちらほらいた。こんな川でどこにでもいるような鯉を釣って何が楽しいのだろう? おそらく老人たちはもうリタイアして余生を楽しんでいるのだろうが、俺には生きながらにして棺桶に両足突っ込んでいるようにしか見えなかった。


 あまりにも悲惨な老後だと思ってしまうのは俺がまだ若いからだろうか。ともかく、よっぽど暇が極まっているのだろうと同情した。ま、暇が極まっているのは俺も同じだと気付いて、同情を撤回した。自らを憐れむほど痛々しいことはないし、それは老人の特権だ。若い男のやることじゃないね。


 川の右手側には回転寿司屋があった。そこからよく見知った顔が出てきた。


 タツミだ。今日の彼女はいつもに比べるとおしゃれだった。やや丈の短めな淡いオレンジのワンピースに、一体何が入るのかわかないほど小さいバッグを肩にかけていた。ここからではどのような形状かうかがいしれないが、小さな黒い髪留めで髪をアップにしていた。くるぶしよりほんの少し上の丈の短い白のソックスに、底の厚い黒と白のスニーカーを履いていた。夏らしい爽やかなファッションだった。


 俺は一瞬声をかけようと思ったが止めた。店から彼女に続いて彼女の友人たちと思しき三人の女性が現れたからだ。うち一人に見覚えがあった。おそらくは中学校時代の同級生だ。


 俺は別にやましいこともないのに、女たちに気づかれないように彼女らに背を向けて、柵にもたれ、川を眺めた。風景と同化した。完璧な迷彩だった。


 姦しいと書くように、女の子が三人以上集まるとそれはもう朝のスズメより騒がしい。何事かわからないがなにやら鳴き声に似た言葉を発して盛り上がっていた。やがて彼女らは自転車に乗って渡り鳥のように北へと向かっていった。きっと北の大地にて繁殖するのだろう。


 途中、タツミがこちらに振り向いた。一瞬目が合ったような気がした。おそらくそれは気のせいだ。あの距離からではよっぽど目が良くないと違いを認識することは不可能だ。回転寿司屋を出た時点で、俺に気付いていなければの話だが。


 しかし夕方から回転寿司屋というのも変わっている。まぁ、今の時間は空いているだろう。ある意味合理的ではある。

 少なくとも、一人で夕方当て所もなく散歩するよりは楽しいことに違いない。どちらかを選べといわれたら、俺だってもちろん友人と回転寿司屋へ行くことを選ぶ。こんな老人じみたことをやるよりは、そっちのほうがよっぽど若者らしくていい。


 タツミは青春を謳歌しているというのに俺ときたら……そんなことを思うと、こんな暑い中の一人散歩が馬鹿らしくなってきたので、俺は踵を返し、元来た道を引き返した。帰りは西日がきつかった。やけに目に染みるのは汗のせいだ。きっと、そうだ。

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