8月31日(水)炎天下、男を賭けたバレー

 風のない午後だった。俺は独り、大きな銀杏の木のすぐ下の運動場へ続く階段に腰掛け、購買で買ったパンを頬張っていた。気温34度だが、木陰の下は存外涼しく感じられ、まぁ死なない程度の暑さだった。


 別に独りが特別好きというわけじゃない、というより、閉め切られた狭い教室の中で何十人も寄り添って同じ空気を吸うのが好きじゃなかった。仲のいい連中はエアコンから離れたがらないので、俺は必然独りで昼を過ごすことになる。


 寂しさはない。むしろ気楽でいい。少し暑いが、それも慣れだ。どうせ授業中には嫌でもエアコンの冷風を浴びさせられるのだから、たまには身体を温めてやらねばならないだろう。


 焼きそばパンを食べ終わり、次は好物の竜田揚げパンを食べようと、袋から出したときだった。


「やっぱりマツザキくんだ」


 背後から声をかけられた。振り向かなくてもわかる。もう声を覚えてしまった。


「タツミか、こんなところで……」


 言いながら振り返ると、タツミだけじゃなかった。他に見知らぬ顔の女の子が二人もいた。一人はバレーボールを持っていた。


「はじめまして! ヨシオカです! よろしく~!」


「私はウリタ。ふぅ、よろしくねぇ」


 バレーボールを持って元気いっぱいなのがヨシオカさん、低血圧っぽい話し方をするのがウリタさんだそうだ。


「ああ、よろしく」


 とりあえず俺は頭をぺこりと下げた。


「マツザキくん、今暇でしょ? パス回ししようよ!」


 タツミが言った。後ろでヨシオカさんが一本立てた人差し指の上でバレーボールを回転させていた。


「これが暇に見えるのか?」


 俺は袋から出した竜田揚げパンを見せた。すると、


「えいっ」


「あっ」


 突然、タツミが俺の竜田揚げパンに食らいついた。竜田揚げパンには小さめの竜田揚げが3つ挟まれているのだが、一つを完全に持っていかれた。


「お、おまっ……!」


「これ美味しいね~」


 もぐもぐと美味しそうに咀嚼するタツミ。いつもの俺ならその可愛さに免じて寛大な心で対応してやるところだが、今日の俺は違う。まず第一に腹が減っている。第二にやつが奪ったのは好物の竜田揚げパンだ。恨み晴らさでおくべきか……!


「マツザキくん怖い顔しないでよ~。もちろん弁償するって! ただし、私にバレーボールで勝てたらね……!」


 タツミはキラリと目を光らせた。


「いや、なんでだよ。フツーに弁償しろよ」


「うふふっ、マツザキくん、ただ弁償するだけじゃないよ! 私が負けたら、マツザキくんの言う事なんでも聞いてあげるよ!」


「ん? 今なんでもって言ったか?」


 なんでもと言われて、興味をそそられない人間はいない。それを言ったのが美少女なら、男としてなおさらだ。


「ふぅ、マツザキくん、急にやる気だねぇ」


 ニヤッと唇の片端だけを持ち上げてウリタさんが笑った。


「やっだー、マツザキくんって聞いてたよりもムッツリ~ニ! 見た目によらず意外とイタリア人くらいナンパなタイプ?」


 ヨシオカさんが大げさに笑って言った。


「聞いてたよりもって……普段から俺のことをなんて言ってるんだ?」


 呆れた目線を容赦なくタツミへと注いでやったが、当のタツミはどこ吹く風という感じだ。


「それが知りたかったら、この勝負、受けるしかないよね? マツザキくんは勝負から逃げるような人じゃないよね?」


 タツミが挑発的に笑った。


「ふぅ、マツザキくん、男になるチャンスだよぅ」


「そうそう、男を見せるんだマツザキくん!」


 ウリタさんとヨシオカさんの二人も囃し立てる。

 男として、たしかに逃げるわけにはいかないだろう。昨日のこともある。負けっぱなしで終わるマツザキくんじゃないんだよ。


「いいだろう、受けてたってやる。が、昼食べ終わるまでちょっとまってて」


 俺は残った竜田揚げパンを食べた。食べていると冷静になってきた。後ろで既にパス回しを始めている三人娘の楽しげな声を聞きながら冷静な頭で考えた。なんでわざわざこんなクソ暑い中バレーボールをしなきゃならんのか、と。


 ま、それも青春かと納得した。青春とは理由なき無軌道なものなのだろう。それでいいんじゃないか。この世の全てに合理的理由がつけられるとは限らない。特に人間はそうだろう。感情がある限りはどうしても非合理的場面が多々あるに違いない。


 約5分後、食べ終わった俺は、軽く準備運動を済ませて、タツミとの決闘を開始した。『第一回チキチキ、落としたら負けよ! チーム対抗バレーボールパス回し選手権! 罰もあるよ!』が始まった。


 俺はウリタさんとコンビを組んだ。ウリタさんはちっちゃくて細くて、色白でいかにも根暗オタクっぽい外見の印象とは異なって意外に運動ができる。俺の動きについてこられるだけの技量があった。


 俺とウリタさんコンビなら女子2人相手に有利に立ち回れると思ったが、その予想は外れてしまった。どうやらヨシオカさんはバレーボール部員か、もしくは経験者だ。テクが違う。むしろテクニックの差をなんとか男の体力で補わなければならなかった。


 状況はなんとか五分だった。


 一進一退の攻防が十分に渡って続いた。中天をギラギラと燃える太陽の下、青と黄に彩られたボールが眩しく飛び交う。


 そこへ、


「助太刀するぜ!」


 やってきたのは我がクラスメイト! タケウチ、イシダ、カワナのおとぼけ三銃士だ! さしずめ俺はダルタニアン。誓いのため、我もとへと馳せ参じた……とおもったら、


「俺、タケウチ! よろしくね~」


「俺はイシダ!」


 タケウチとイシダはなんとタツミ軍へと合流しやがった。俺はダルタニアンじゃなくてシーザーだったらしい。イシータス、お前もか。


「カワナ、信じられるのはお前だけだよ」


「いや、俺もあっちに付きたかったんだけどさ、人数に偏りがあると面白くないだろ?」


「……」


 きっと照れ隠しに違いない。多分そうだ。おそらくそうだ。絶対そうだ。そうでないわけがない……。


 意外にみんなバレーができる。とはいってもパス回しだが、これが終わり果てなき戦いの様相を呈してきた。誰もが汗まみれ埃まみれ汁まみれ。ひたすら何かに憑かれたように俺たちはパスを回しあった。


 やっていると、他の連中までが続々と参戦してきた。人数が増えすぎてめちゃくちゃになった。チーム戦というテイもなくなった。俺たちはただバレーボールを打ち上げまくった。きっとそれが青春なのだろう。


 戦いの終わりを告げる鐘の音が鳴った。午後の授業開始5分前の合図だ。それで決着つかずに終わった。俺たちは皆へとへとだった。特に最初期メンバーの俺とタツミたち4人はもうへろへろのぐちゃぐちゃのぐだぐだだった。


「勝負はお預けだね……」


 校舎へと引き上げる途中、タツミが言った。さすがのタツミさんも非常に疲れた顔と声だった。


「お、おう……」


 俺の声も負けじと疲れ果てていた。炎天下のバレーは健康優良少年少女から体力も精根も奪い去ってしまう。


「でも楽しかったね!」


 ニッコリとタツミが笑った。疲れた顔に汗が光って奇妙なほど爽やかで美しい笑顔だった。元が美少女なおかげも多分にあるに違いない。

 その笑顔は疲れて強張った俺の顔をほころばせる威力があった。


「そうだな」


 俺は頷いて言った。負けじと精一杯の笑顔を返してやった。

 ま、それも青春か。疲れ切った暑すぎて靄のかかった頭でそんなことを思った。

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