第39話 秘密の宿泊

 昭三と佳奈は結局、日が傾く前には横須賀に戻っていた。

 二人は、よりにもよって陸軍工科学校の秘密の入口をくぐってしまうのである。

この秘密の入口は、実際に使う生徒は皆無であるが、なぜか生徒たちの間で暗黙の了解として語り継がれる入口であった。

むしろ、入口と言うよりは出口の方が正しく、以前に脱走を試みた生徒によって作られたと語り継がれている。


昭三「佳奈さん、偉そうなこと言って、結局ここしか帰る場所が無いなんて、本当に面目ない」


佳奈「いいんですよ、まずはこれからの事を考えなければですよね。でも二日続けてここに来るなんて思いませんでしたわ」


 佳奈は、昭三に気を使わせまいと優しい表情で昭三に返答する。

 そんな健気さが、昭三を一層焦らせるのであった。

 こんな時、頼れるのもまた、学校の同期生だけである。

 昭三は通信ツールで、経塚と連絡することとした。


経塚「おう、三枝、どうした?もう帰っているのか?」


昭三「ああ、ちょっと事情があってな。経塚今どこ?」


経塚「もう校内に戻ったよ、明日の課題もあるし。お前は?」


昭三「・・学校は学校なんだけど、ジャズ部の部室にちょっと来てくれないか?」


 そう言うと、経塚は何か事情あり、と察し、ほかのバンドメンバーに声をかけて、部室棟に向かった。

 プレハブの小屋が学校の外れに、ひっそりと立つ部室棟にたどり着いた一同は、その扉を開けて驚いた。

 そこには昨晩一緒にセッションした、あの上条佳奈も一緒だったからである。


経塚「お前、何、どうしたの?」


 昭三は事の次第をゆっくりと話し始める。

 昨晩のこと、今日一日のこと、そして佳奈の許嫁のこと。


経塚「それじゃあお前等、駆け落ちってこと?」


佳奈「はい、私たち、二人で生きていこうって・・」

 

 そんな真っ直ぐな瞳に、経塚達は恥ずかしくて直視出来ないながらも、この二人の話していることは本当であると感じたのである。

 経塚は急に険しい表情になり、二人に話しかけた。


経塚「昭三、何やってんだお前、オレはお前の兄さんたちが戦っているのを見てこの学校に入学したんだぞ。啓一さんが生きていたら、こんなザマ見てどう思うんだ。思い出せ、大人の言うことを何でも信じるな、自ら考えて行動しろ、じゃないのか!」


 昭三は意外であった。ジャズ部にいて随分一緒にいたが、経塚がそんな理由で入学していたことを知らないでいたのだ。

 そしてまた彼も、密かに熱いものを心に秘めていたことを、嬉しく思うのであった。


経塚「よし、籠城だ!この部室棟を占拠する。上条さんと三枝を守るんだ!」


 昭三は、まさか、何を言い始めるのかと思ったが、その言葉にジャズバンドのメンバー達も同調し、真剣な眼差しとなって行くのであった。

 昭三にとっては意外な事態であった。

 もっと軽い思考のメンバーだと思っていたからである。

 しかし、あの日のドグミス日本隊と、龍二達サッカー部の激闘は、それだけ多くの若者達の心を動かすのには十分な事件であった。

 そう、他のジャズ部員達も、普段は口に出さないだけで、あの日の事をきっかけに、陸軍に志願した15歳の少年達であった。

 普通の高校に行けば、こんな校則と軍律の厳しい環境ではなく、もっと適当に楽しく青春を謳歌できたことだろう。

 彼らの成績ならば、望めばどんな高校でも入学できる学力を持ちながら。

 それらを俗世と考え覚悟を決め、日本中から集まった少年達、それが陸軍唯一の高校である陸軍工科学校の生徒達なのである。


昭三「みんな、本当にそれでいいのか?」


経塚「かまうものか、一つの戦いに全力を尽くせない軍人なんぞ、所詮、国なんて守れんさ」


 佳奈は、同い年の少年達が、これほどまでに覚悟を決めて志願しているという事実に、自分自身が少し恥ずかしいとさえ思えた。

 しかし、彼らは自分たちの為にここまで言ってくれている、それが頼もしく、ありがたいことでならなかった。


経塚「具体的な事を考えるのに時間が必要だ。二人は今晩ここで過ごすといい。電気は付けるな、当直にバレるからな。毛布とランプ、食事はすぐに運んでくる」


 頼りになる友人達だと思いつつ、制服のまま人目を気にしながらの逃避行がようやく終わったことに、安堵の表情を浮かべる二人であった。

 経塚達は、約束の物資と食事、学校祭で体調不良でピアノを交代してもらった東郷も、簡単な湯沸かし器と茶器、インスタント食料を差し入れ、二人に「しっかりな」という意味のウインクをして生徒舎へ帰っていった。

 経塚達は一度居室に集まり、簡単な打ち合わせをした。

 とりあえずこれからの事、明日のことなど。


経塚「佳奈さんはお嬢様学校の生徒だから、多分親御さんは心配するだろうな」


東郷「それにしても今時、許嫁なんてまだあるもんなんだな」


経塚「上流社会という概念があるもんなんだな、正直驚いたよ。当直には三枝のこと、何て言おうか」


 一同は考えた。まず生徒同士で何か適当な言い訳をしても、教官や区隊長は受理しないだろう。

 特殊事情ならば、親などの立場のある人から連絡を入れなければならない。


経塚「これは下手に言い訳するより、単に帰隊遅延ということで放置しかないかな?」


東郷「さすがに帰隊遅延はまずいだろ、っていうか遅延しても帰って来なければ無断外泊だし、それって脱走兵だよな、退学レベルだぞ」


 結局、公衆電話から親を名乗り、当直に明日まで自宅に居ます、という直ぐにバレそうなアリバイ工作を実施することで結論が出たのである。

 しかし、事態は予想以上に早い速度で進展していゆくのである。

 そんなこととは知らず、昭三と佳奈の二人は、寒い部室の中で、二人だけの時間を楽しんだ。

 たくさん話がしたかった、幼い頃の話、どうして楽器を始めたのか、それぞれの学校でのエピソード。

 佳奈は、高等部で初めてとなるピアノのコンテストに出る事になっていたが、今となってはそれも過去のこととなってしまった事実も告げられた。

 昭三は、何とかしてあげたいと思いつつ、自分自身も明日はどうしたら良いのかが解らない不安と戦っていた。

 会話が進むに連れ、12月の部室は気温をどんどん下げてゆく。

 さすがに暖房器具はなく、温もりを求める二人は、ごく自然と一つの毛布にくるまり、コーヒーを飲みながら、それでも満たされた時間を過ごすのであった。


 一方、龍二達もまた、その悪い知らせについて、北条の車内で聞いているところであった。









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