第2話 第2堡塁陥落
「北富士第2堡塁陥落」
当時の陸上自衛隊で、これほどインパクトのあるニュースは他に無いだろう。
それは当然のことであった、難攻不落の第2保塁を、任官3ヶ月の新米小隊長が、よりによってあの悪名高き54連隊6中隊の隊員と共に、たったの1個小隊で陥落させた、それも戦車の配属すら無い状態で。
更にその勢いは止むことなく、ついに第3堡塁の側壁へ到達、これに慌てた審判部が、一時停戦を命じる事態となるほどどであった。
三枝啓一は行く先々で伝説を残してゆき、こんなに短い期間で彼は自衛隊の内外においてすっかり有名人となっていた。
彼のカリスマ性は、それだけの偉業と成績を残しながら、偉ぶったところを一切見せることなく、部下と飲みに行けば朝まで理想を語り明かし、右に喧嘩あれば共に殴り合い、左に不幸があれば共に号泣する、そんな喜怒哀楽の激しい若者であった。
カリスマ、そんな点においては同じ兄弟でありながら弟の龍二とは対照的といっても過言ではない。
物静かで頭脳明晰、体力抜群ながら、積極的に人と関わることをしない、それでも彼の周りには常に友人に囲まれ、頼られる。
10歳も離れたこの兄弟は、おおよそカリスマ性という部分以外で似たものは極めて少ないというのが周囲の見解である。
秀才の兄に天才の弟、そんな言葉が囁き始めるのは龍二が中学3年の頃である。
三枝家は剣道名門、真陰流宗家の家系である。
決して一子相伝ではないものの、歴代宗家の半数は三枝家であり、特に近代5世は三枝家によって継承されていた。
32世宗家である彼らの父から、この宗家を継いだのは弟、龍二のほうであった。
三男の昭三はまだ幼く、兄は自衛隊での活躍に頭角を現していたころでもあり、父としては龍二の方が堅実に継いでくれるとの判断もあったことだろう。
しかし兄はそうとらえてはいなかった。
弟への敗北、剣道に対する気持ちの良い諦めという解釈で自らを納得させていた。
そして、弟の太刀筋には何かあるということもよく知っていた。
何かこちらの考えが読まれているような、勝っても負けても、動じることなく冷静に、それは一種の余裕、その余裕は一体どこから来るものか、剣道を離れ、防衛大学校の門をくぐり、物理学の世界でもその謎は研究対象にすらなり得た。
また、幹部自衛官として戦術を学ぶ三枝1尉であれば、それが何であるかも薄々感づきはじめていたことでもあった。
この兄弟にはこのような才能と能力のエピソードが多かった、そして「出来過ぎる弟」の存在は、兄を余計に明るく振る舞わせたのかもしれない。
三枝龍二は剣道真陰流第33代宗家である。
剣道の名門、北勢高校へ進学はしたが、彼は剣道部には入部できなくなっていた。
名門流派の家元が、高校剣道界で選手として登録できるわけもなかった。
この時代の剣術は、統一された競技としての剣道と、流派ごとの競い合いの双方が存在し、幕末の武芸に少し似ていた。
連盟理事に名を連ねることができ、日本の剣道界を牽引できるレベルの高校生、高校大会程度であれば来賓扱いの地位であるため、他校の生徒との実力差を考えれば、選手に甘んじることが逆にできないのである。
そして三枝龍二は、なんの躊躇もなく剣道部をあきらめ無名のサッカー部へ入部するのである。
それには特に理由と呼べるものは無かった。
単に、剣道部を諦めるよう剣道部顧問の教諭から諭され、サッカーなんてどうだと言われたから、またサッカーなら多少の経験があったから、そんな程度の理由である。
また剣道へのこだわりも、それほど大きいものではなかった。
家が剣道の宗家、兄が同じく北勢高校剣道部主将、流れとして当然という程度の考えからであり、特別思い入れがあるものではなかった。
龍二自身は兄に対し、尊敬と憧れは強いものであったが、剣道に対しての愛情は希薄なものであった。
そしてサッカー部入部と同時に全国大会出場、こんなところも北勢高校内外での三枝3兄弟の伝説を強固なものへ押し上げていったのである。
そんな龍二の天才的能力が、マスコミを通じ世間の知るところとなって間もなく、兄の三枝啓一1尉は、親戚で幼なじみの三枝 澄と婚約、そしてあのカンザニア諸島派遣の話が舞い込んでくるのである。
三枝 澄は、色白で長いストレートの黒髪が印象的な女性で、学生時代は地元でも話題の美少女であった。
当然弟である龍二とも幼少期から親しくしていた、それは兄のそれとは異なり、幼なじみと言うよりは年の離れた美しい姉であった。
事実、彼女のことを「澄姉さん」や「姉さん」といって慕っていた。
そんな彼女を慕ってくる龍二を、澄もまた弟のように愛情を注いだ。
彼女は現在、鎌倉聖花学院で教師をしており、この結婚を機に退職を予定している。
高校生の龍二にとっても、やはり年上のお姉さんであり続けた。
兄との結婚は祝福できるものであったが、龍二にとっては、何故かとにかく負けた気がしてならなかった。
この分野に途方もなく鈍い龍二が、自らの感情に気が付くのはもう少し後のことである。
カンザニア派遣が危険な任務となることは明白であった。
この世界で、新国連軍とS条約同盟軍が通常兵器により対峙する、素人が考えても世界の最前線に立つこととなるだろう。
三枝1尉は周囲の反対を押し切り、婚約者を残し老朽の戦闘艦「しなの」へ乗艦、カンザニア諸島ドグミス国連軍基地へと赴任していった。
ドグミス基地、それは国家主権復興を目指す旧ドグミス国軍の兵士達から取られた名前であり、今や新国連軍側の戦いの象徴となりつつあった。
この基地を死守する、そんな意気を派遣隊の兵士全員の胸の内には秘められていた。
ところが、条約軍の侵攻勢力は国連軍の見積もりを遙かに越えるものであった。
まさか、これほどの短い期間に、本格的な決戦を意識した兵力を、この小さな海域にそろえてくるとは思っていなかったのである。
交戦、それは即ち四度目の世界大戦を意味する。
戦火を交えたその瞬間から、同盟している双方の国家は戦時体制へと移行する。
そして際限のない戦いへと発展することは容易に想像できた。
そして、これまで両陣営は、この事態を最も恐れていた、国連軍もそれを見越して、牽制の意味合いの濃い派遣であったはずである。
このカンザニア諸島を前線とした両陣営のにらみ合いが数年は続き、何らかの協定締結という青写真が国連軍合同参謀本部にはあったろう。
しかしこの予想は軽々白紙に戻されたのである。
ドグミスの復権とカンザニアの保護、国連軍が散々名目とし、世論を説得する材料としてきた大義は、条約軍側の大艦隊襲来により、方針は180度変更されたのである。
各国の派遣軍は国連軍参謀本部の指示により、蜂の巣をつついたように撤収を開始した。
小型艦艇での輸送では到底追いつかず、戦闘艦「しなの」、全通甲板型輸送艦「いすみ」「おおよど」は、それぞれ艦載機で、垂直離着陸が可能で、ドローンを大きくしたような輸送機「ワンカー」をフル稼働で空輸に当たらせた。
しかし警備中隊長の三枝1尉は納得が行かず、そのイライラを爆発させた。
「敵が強ければ、掌を返す、軍人として恥ずかしくはないのか」
ついに三枝1尉は、その正義感の矛先を国連軍本部へぶつけるのである。
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