鬼人の村

愛大

第1話

木漏れ日が赤黒い血液を照らし出す。

夜には充満した濃密な魔力が紅色の濃霧となって溶け出し、醜悪凶暴な魔物を生み出す。

そこに上等なにんげんは無い。故に虫の魔物は鳥の魔物に啄まれ、鳥の魔物は狐の魔物に喰い破られ、狐の魔物は狼の魔物に噛み砕かれる。

土壌は血を吸い、育った木々は赤黒く変色。葉の先にすら血が巡り、実る果実は鉄の味。

人一人寄り付かない不気味な森の奥深く。そこに、歪んだ食物連鎖の頂点が居た。


「東の崖だ、追い込め!」

鋭い声が木霊する。揺れる木々が葉を散らし、少量の血液が散った。

地には猪の身体に狼の脚が付いた様な風貌の魔物が全速力で駆けている。

木々の合間を軽やかに跳び、枝を伝ってそれを追う少年が二人。

青い服を着た少年は石を研いだナイフを。赤のバンダナを巻いた少年は手製の弓矢を携え、獲物を追い詰める。

「左の二つを落とす!」

「いや、奥の一つで良い!正面の幹で方向を変えるぞ!」

右前方には小さな崖。小回りは効くが止まることを知らない猪狼ちょろうを追い込むのには、絶好の立地だ。

周囲の木々には石を蔓で編んだ網で包んだ罠が幾つも吊るされている。

正面の大木に差し掛かり猪狼ちょろうが方向転換を試みる直前。青い少年が蔓を切って石を落とす。

物音に敏感な猪狼ちょろうは落ちた石に反応して直ぐ様踵を返した。

まんまと誘い出された先は行き止まりだ。バンダナの少年は崖の上。

弦を引き絞り、真っ直ぐ駆けてくる猪狼ちょろうの脳天をじっと狙って─矢を放った。

正確に眉間を打ち抜かれ、勢いをそのままに猪狼ちょろうは倒れ込む。土煙が立ち上り岩壁に体を打ちつけた所で、ただの肉となった其れは動きを止めた。

「やったな!」─と、ハイタッチを交わす二人の少年。

その頭部には、人ならざる膨らみがひとつ。


鬼人。頭部に「角」と呼ばれる特殊な器官を持つ人種。

魔物以外で魔力を一点に溜め込める、世界唯一の種族。

彼らは血みどろの森の奥深くに集落を築き、魔物の肉を食らって暮らしている。

見た目こそ人間と大差はない。しかし、金属をも容易く砕き魔法への耐性を持ち合わせる強靭な肉体。

桁外れに発達した運動神経。獣よりも獣らしい、彼らの根本たる強い闘争本能。

短命で少数だが、化け物じみた身体性能を誇る戦闘種族だ。

森の雰囲気でも魔物の危険性でもなく、人々がこの血みどろの森に立ち寄らないのはその奥深くに80人足らずの彼らが潜んでいる事が最大の理由だった。


希望のぞみちゃん、どうしたの?」

少年たちの鮮やかな「狩り」を、ぼんやりと眺める希望のぞみ。仕掛けた罠の確認を終えて戻ってきた小春が、希望のぞみの頬を突きながら心配そうに声をかける。

「…西河せいがさん。ごめんなさい、ちょっと気になって」

「小春、で良いのにっ。ふふ、直輝なおきくんと晴久はるひさくん、息ぴったりだもんね」

口に手を当てて淑やかに笑う小春。切り株に腰掛けて、脚をぱたぱたと揺らした。

「…力になれなくてすみません。私がしっかりと動ければ、こんな…」

肩をすくめて俯く希望のぞみに、小春は首を振って返す。

「私もそんなに動けないんだから、お互い様だよ」

それに希望のぞみちゃん、罠作り手伝ってくれたじゃない!と嬉しげに肩を揺らす。

てきぱきと仕留めた獲物を棒に吊るして帰宅の支度をする少年らを眺めながら小春は、

「それに私、小角だしさ。申し訳ないのはこっちの方。希望のぞみちゃんは、病気で…。ペアとして、私が支えてあげなくちゃいけないのに」

ちらりと包帯を巻いた希望のぞみの角に目を向けつつ、少し寂しげに呟く。


暫しの沈黙。それを打ち破るかのように後方から響く、破裂音。発砲音とも紛う程、鋭い音が鳴り響いた。

「わっ!?」

思わず耳を塞ぐ小春と、直ぐ様振り返って警戒を取る希望のぞみ

森の闇に目を凝らし、出処を探る。それが此方に向けられた物なのかを、冷静に考察する。

誰かの罠にしては音が大き過ぎる。そこまで稚拙な罠を張る様な人物は思い当たらない。

魔法だとしても余波は感じられなかった。また、先の音から魔物の低級魔法とも考え難い。

とすれば、こんな森に足を踏み入れる物好きな人間の銃声と考えるのが妥当。そう思案した希望のぞみは、手を掲げて声を出さないよう合図を送る。

頷く小春も怯えているらしい。いざという時の為に退路を確認しつつ、そろりと木陰に身を寄せて様子を伺う、と──


「フ、ゥ───」


丈の長い、派手な衣装をなびかせる少年。そしてその向かいには少年の三倍はあろうかと言う巨熊が向かい合っている。

少年は素手。両手を前方に突き出し、腰を落として構えを取っている。

対する熊は、何やら怯えている様子だ。よくよく見れば、熊は右腕部が折れているらしいし、少年の右の拳には血がこびりついている。

もしや先の破裂音は、彼が─そう思った矢先に、少年が動いた。

地を蹴った、と認識した時には既に少年は熊の懐に潜り込んでいる。

蹴り上げられた土が地に落ちるよりも早く空中で身を捩り、脚を繰り出した。

それには、陰から覗く希望のぞみにも小春にも命を狙われている熊本人にすら反応できない。

─豪脚が顎の骨を砕き割り、口の両端から鮮血を吹き出してその巨躯が地に伏すまで。



呆然。開いた口が塞がらない、とは言ったものだ。

強烈な一撃。否、腕を折ったのも含めれば二撃だろうか。

どちらにせよ、潰れた頭部を見るに、あの蹴りで即死は免れない。一撃必殺の早業だ。

「見世物ではないぞ。何の用だ、女ども」

話しかけられた事に気づくまで、数秒かかった。小春がその場で跪く。

「ご、ごめんなさい、鳳我ほうがくん!凄い音が、聞こえたから…」

「なら失せろ。邪魔だ」

ぎ、と睨みつけられて、体が強張る。

とんでもない威圧感。両肩に重い岩を乗せられたような感覚を覚えて、希望のぞみの口は開かない。

「そ、その…少しだけお肉、分けてくれないかなぁ、って…」

…小春は、別のようだが。

「図に乗るな、小角とはぐれもの。この俺が、雑魚の群れに餌をやる道理がどこにある?」

慈悲もなく一蹴。巨熊の脚を持ち上げ、引きずりながら鳳我ほうがはその場を後にする。

足から力が抜け、崩れ落ちるようにへたり込んだ。隣の小春も同様に直ぐ側の幹にしがみつく。

「…あれは?」

鬼神鳳我きしんほうがくん。村長の孫で三本大角の、村最強…って、聞いてたけど、ホントだったみたい」

最強。間違いはないだろう。超人的な戦闘能力を誇る鬼人と言えど、獲物も無しの真っ向勝負で熊を殴り殺す程の膂力の持ち主は中々居ない。

村から、鐘が三度鳴り響く。狩りの終了直前を示す其れを聞きながら、二人は「規格外」を実感していた。

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