第五章
親友とアンドロイド
――わたしは博士に必要とされてなかった。
――わたしは
――博士は、わたしを見てくれてたんじゃあ、なかった。
バケツをひっくり返したような雨が、地面を打ちつけている。
ついさっきまでは晴れていたのに、本当に運が悪い。
ロジーは行く宛もないまま、街中を歩いていた。
何も考えずに家を飛び出してしまった手前、今更また自宅に戻ることなんてできない。
「そうだ、わたし……!」
ロジーは、ハッと気づき、胸元のLEDライトに手を当て隠した。自宅用の服装のままなので、ライトが露出してしまっている。このままでは、誰かに見られたとき不審がられてしまう。
何か隠せるものはないか探したが、今はスマホしか持ち合わせていない。周りにもそういった隠せるような物は何もなかった。
ロジーはその場でため息をついた。
「……わたしが、人間だったらよかったのに」
そうは言っても仕方ない。一旦家に戻るか……と考えたとき、ちょうど誰かが歩いてくるのが見えた。
「およ。ロジ
――エリカだった。
◇
「どうぞ上がってくださいッス。あ、今タオル持ってくるッスね!」
ロジーはエリカの自宅であり、和菓子屋にいた。今は和菓子屋の裏口――ここが自宅でいうところの玄関なのだろう――で、エリカが戻ってくるのを待っている。
雨はまだ止みそうにない。ザーザーと強い音を立てて降りつづけている。
やがて、エリカがタオルを持って戻ってきた。
「お待たせッス! どうぞこれ使ってくださ……ロジ姉、胸、痛いンスか?」
ロジーがずっと胸を押さえているのが気になったのだろう。エリカはそんなことを聞いてきた。ロジーは慌てて首を横に振って、タオルを受け取る。
「いえ、そんなことはないですよ。タオル、ありがとうございます」
ロジーはライトが見えないように慎重になりながら身体を拭いた。
エリカは首を傾げつつも、「じゃあ部屋に案内するッス」と、これ以上言及することはなかった。
◇
いよいよ、エリカの部屋に案内されたロジー。
ミニテーブルの上には、白い湯気を立てたココアが置かれていた。
「遠慮せずくつろいでくださいッス。そのココア、めちゃくちゃおいしいンスよ」
エリカはそう言って微笑んだ。その顔を見て、ロジーの心は非常に痛む。
――今までは博士になんとかしてもらいましたが……。
ロジーはココアに視線を落とした。
おいしそう……だと思う。だが、ロジーは食べ物も飲み物も、摂取することはできない。
必要なのは、電気だけだ。
「ロジ姉、あそこで何してたんスか? 一人で、傘も差さずに」
エリカが話しかけてきたので、ロジーはとりあえず会話に専念することにした。
「……それは、その……。ちょっと、博士とケンカしてしまったんです」
――ケンカ。
人間とアンドロイドがケンカをするなんて、とロジーは自分の口に出したことに対し、改めて可笑しさを感じた。
「そうだったンスか。それで、勢いのまま飛び出して来ちゃったって感じッスかね?」
ロジーは頷いた。
言われてみて、なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろうとロジーは思った。
家政婦アンドロイドとして失格だ。
――……。いいえ、無自覚な家政婦アンドロイドのままなら、よかったんです。
「どうしてケンカなんてしちゃったンスか? よければ、話してほしいッス」
エリカは優しい声で言った。その慈愛に満ちた微笑みに、ロジーは安心感を覚え、ゆっくりと話しはじめた。
「……博士は、わたしのことを見てくれていなかったんです」
エリカは神妙な面持ちになる。
「博士はずっと、わたしを通して、お姉さんのことを見ていたんです」
口に出してみると、また悲しみが胸の中でいっぱいになった。まさに裏切られたような、そんな気持ちになるのだ。
「わたしは今までずっと、博士に優しくされて来ました。だけど、それはわたしのためじゃなかった」
――対等に見てくれていると思っていた。
――『物』としてではなく、一人の『人』として見てくれていると思っていた。
エリカは口を挟まず、じっと話を聞いている。
「……わたしに対する優しさかと勘違いしてた。だけど違う。全部、お姉さんのためだった。わたしじゃなくて、博士は、お姉さんのことを見ていた。……それが、悲しくて辛かったんです」
ロジーはそこで口を閉じた。
話を聞き終えたエリカは、ひと呼吸空けてから口を開いた。
「先輩にお姉さんがいることは、なんとなく知ってたッス」
ロジーは顔を上げた。
「高校でいっしょになったとき、先輩は孤立してたッス。誰とも関わろうとしないで、屋上で一人、ただノートに向かって、数式みたいな……何かを書きつづけていたッス。ウチはそんな先輩が気になって、毎日話しかけてた。先輩は苛立ちとかウザったそうにしないで、無感情でウチのことを無視してたッス。だけど、ウチが高二になってからは、少しずつだけど話してくれるようになった。そこでお姉さんと暮らしてたっていう話を聞いたンスよ」
エリカはそんな昔を見つめているような顔で、話を続ける。
「大学もいっしょのとこへ行って、そこで、先輩は今の先輩になったッス。髪も金髪にして、明るく話すようになってくれたッス。ウチは、やっとお姉さんのことを吹っ切れたのかなって思って、安心してたンスよ」
エリカはロジーに近づき、ロジーの手に自身の手を重ねた。
「先輩は、最初のときこそ、ロジ姉と出会って、まるでお姉さんが再び戻ってきてくれたようで、喜んでいたかも知れないッス。……だけど、今はもう違うッスよ」
「違う……?」
エリカは頷いた。
「先輩は、ロジ姉本人のことを、ちゃんと見てるッスよ。だって先輩は、本当にロジ姉のこと……」
エリカはそこで言葉を区切った。ロジーは気になってしまう。
「……ううん。これは先輩から直接聞くべきッスね。……とにかく、先輩はロジ姉本人のことしか見てないってことッス。高校のときからいっしょにいるウチが言うんだから、間違いないッス!」
エリカは太陽みたいに明るく笑いかける。
ロジーの心の中には、温かくてぽかぽかしたもので満たされていくような感じがした。
――博士は、わたしのことを見てくれている?
ロジーは今まで過ごしてきた日々を、振り返っていく。確かに、エリカの言うとおり、姉ばかりを見ていたわけじゃないような気もする。その優しさは、自分の姉に向けるようなものではなかった。物として扱うものでも、もちろんなかった。そうであったのなら、きっと今の自分はいないだろう――家政婦アンドロイドのままだったろう。
――そうか。だからわたし、博士のことを好きになったんだ。
「……ありがとうございます。エリカ様。おかげでわたし、なんだか自信が湧いてきました」
エリカはロジーの顔を見て、もう安心と思ったのか、ロジーの前に置かれていたココアを口にした。
「えっ、エリカ様?」
予想外の行動に、ロジーも戸惑ってしまう。
エリカは空のコップを机の上に戻すと、ロジーに向かってウインクして見せた。
「ウチだって、ロジ姉のことはロジ姉としてちゃんと見てるッスからね。人間だとか、そうじゃないとか関係なく」
ロジーは目を丸くした。
「……いつから、ですか?」
ロジーは恐る恐る聞いた。
「うーん。ほんとついさっきッスね。でも出会ったときから、もしかしてって、なんとなく思ったりもしてたッス。高校生のころから、先輩、何かやろうとしてたのは知ってたから」
ロジーは開いた口が塞がらなかった。エリカはそんなロジーに構わず、話を続ける。
「――ロジ姉は、大事な友達ッス……いや、親友ッス!」
えへへ、とエリカはまた笑った。
ロジーもマネして、エリカのように笑った。無表情が多いロジーも、今日ばかりはぎこちないながらも笑っていた。
ロジーは、次は表情作りの練習もしないとな、と思うのであった。
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