10章 Marker(1)


「おい、そこの二人! ここは危険だ、今すぐ……」

キケはユリアの肩を支えながら二人に向かって叫ぶ。

――だが、返ってきたのは言葉ではなくて銃弾だった。

「な……」

こんな状況でも咄嗟に身体を伏せたのは流石キケといったところだろうか。鉛の玉は近くの木の幹に食い込み、鈍い煙を立てて止まった。

(この武器……俺を狙った奴が持っていたものと同じ……)

あの夜、アナンを襲ったもの。木材の燃える臭いとは違う、人工的な火薬の臭い。

「……この距離で外すなんて。ほんっと使えないわね、あんた」

ナタリーはテームに苦々しく吐き捨てて、ついとこちらへ向き直った。

「人一人も殺せない奴、竜以下の知能の奴ら……。私以外は馬鹿ばっかり。私の出世の糧になって死ねること、感謝しなさいよね」

その言葉が終わるより前に、彼女は剣を抜いてこちらへ飛びかかっていた。

(……しまった)

彼らを狙う者は皆飛び道具ばかり使っていたから、かえって近接武器には油断していた。咄嗟に弓を振り回し、ナタリーを押し戻す。体格差で何とか押し切れたとはいえ、明らかに重い体も距離が取れないこの状況も、アナンにとってはかなり不利な状況である。

「テーム! 今の隙に撃てたでしょう!」

瞳はギラギラと前を見据えながら、ナタリーは荒々しく怒鳴った。

例えるなら、獣の眼差し。奪いたい者、守りたい者。どちらに利があるかは暉かだ。

「キケ! こいつの相手を頼む」

「ああ!」

魔法を主に使う三人が完全に戦線離脱している今、特にラーシュの力が使い物にならない状況でここを凌がなければいけないのはどう考えても絶体絶命と言うべき事態である。万が一応援が来てしまったら、などと考えている時間もない。なるべく三人から離れ、ナタリーをキケに引き渡す。

「そんな玩具みたいな剣で、誰かを守りたいとか……自惚れたこと抜かさないでよね!」

右手に体重を預け、少女はあっさりとキケに標的を変えた。大きく飛びのいて彼はなんとか攻撃を受け流したが、どこか様子がおかしい。

(……! もしかして……印が発動していないのか?)

思えばこの場にいる誰も、印が光った様子はない。印の力がなければキケの剣はただの木刀である。魔力を奪われている今の状態と関係があるのだろうか。

そうこうしているうちに覚悟を決めたテームがこちらへ走ってくる。銃を撃たれればひとたまりもない。それならばとりあえず彼の動きを封じた方がいいだろう。それがアナンの出した結論だった。だが、彼は思わぬ形でその考えを裏切られることになる。

「……ごめん。でも……マザーの指示は絶対だから」

(え)

テームはアナンの横をすり抜ける。風。その血生臭さに気付いたのは数秒経ってから。

「な……」

何が起こったのかわからなかった。

ただ腕に走る痛み。切られた。誰に? 彼に。どうして? だって、彼が持っていたのは。

傷口を抑え、慌てて彼の姿を目で追う。テームのその手に握られていたのは血の着いた短剣だった。

(あいつの武器……変形できるのか⁈)

よく見ればその短剣には銃の引き金らしき名残も見える。遠方からの攻撃ばかりに気を取られ、彼が近接武器を所有している可能性を完全に忘れていた。

「……まずい」

テームは真っ直ぐにイスフィ達三人の方へ向かっていく。アナンも必死に追うが、とても間に合いそうにない。

「……これで……!」

テームの身体が飛び込んでいく。決意、躊躇、恐怖。全てを背負った右手が。

「イスフィさん、危ない!」

切っ先がイスフィの顔を貫く直前、ユリアが何とか彼女を突き飛ばした。最悪の事態こそ防いだものの、その刃はユリアの左手を傷つけていた。

「ユリア!」

キケの叫び声が遠い。あともう一振りで、生は死に変わってしまう。

足音、木々の騒めき、交わる剣の音。あらゆる音を振り切って、一粒の静寂。

だが、それを破ったのは意外にもユリアの一言だった。

「……あなた、人を殺せないのでしょう?」

「え……」

穏やかな、それでいて強く輝く瞳に遮られるようにテームの動きが止まる。

「あなたはきっと優しい人なのでしょう。目を見ればわかります」

ユリアの白い手が優しくテームの手を包み込む。それでも目をそらさずに、彼女は言葉を続けた。

「……そんな優しいあなたに人殺しを命じたのは誰ですか? ……あなた方が母と呼んでいたその人ですか?」

「……そ、れは……」

誰も動かない。時が止まったような空間。そのままユリアは畳みかける。

「我が子を危険に晒し、手を汚させる……それがあなたの母なのですか?」

「……ふざけないで」

ナタリーが反応を見せる。ようやく場が動き出した。

「あんたに……あんたに母様の何がわかるのよ! あの子を救ってくれるのは母様しかいないの!」

キケを振り切り突き飛ばした彼女は真っ直ぐこちらへ向かってくる。《リンカーネイション》も任務も何もかも捨てて、ただ怒れる一人の少女が。

「……殺す、あんたは私が殺す!」

咄嗟のことに身体が動かない。跳ねる。飛びかかる。振り下ろす。

その瞬間に。

「え」

突然飛んできた何かがナタリーの手から剣を振り落とした。

そして、聞きなれない男の声。

「悪りぃな、嬢ちゃん。……邪魔するぜ」

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