第14話
1000mを通過した。六甲大との差は11秒。俺は焦る気持ちを抑えて、後ろで漕いでいる翔太さんを意識する。そして練習中のやり取りを思い出した。
「カタカナで"ドライブ"ってよりも、英語で"Drive!!"って感じだな」
「え、なんすかそれ」
「まあ、俺が勝手に言ってるおまじないみたいなもんだ」
自分でエルゴのトライアルをした次の日の朝。乗艇する前に俺たちは六甲戦のレースプランを話し合っていた。エイトのメンバーは既に乗艇を始めていて、今いる艇庫の一階には俺と翔太さんしかいなかった。4時30分でも既に外は明るくなり始めていた。最近、朝が楽しみになってきている。早く水上に出て漕ぎたいと思っている自分を発見する。でもその前に今日は作戦会議だ。
翔太さんが『秘策』と呼んでいたものは言ってしまえばミドルスパートのことだった。ミドルスパートというのは、レース中盤でそれまで継続していたリズムを一旦断ち切って、思い切ってレートを上げて、艇速を上げる作戦だ。それまでの試合の流れを一気に変えられる可能性を秘めている一方、失敗すればそこで負けが決まってしまうリスクもあった。マラソンの途中で、ペースを見誤って上げると、そのあと目も当てられない走りになるのと同じだ。
「無理にミドルスパートでバテてしまったら自滅してしまうのでは?」という俺の問いに翔太さんは丁寧に応えてくれる。
「確かに俺もそう思う。でも陸上のトラックのように整備された道を行くんじゃなくて、ボートはあくまで自然の中でのレースなんだ。コース上の流速や、波の高さも様々だから、自分たちが"今どのくらいのペースなのか"、"うまく漕げているのかどうか"、それを相手との距離で測っている部分が多いにある。だから相手との距離が縮まれば、相手にプレッシャーを与えることができる。"もしかして上手く漕げてないんじゃないか"ってな。ましてや剛田たちのような強者なら、自然と1000m以降も差が広がっていく未来を頭に描いてるに違いない。そこを利用して、動揺を誘うんだ」
なるほど。それなら俺にも覚えがあった。陸上でもトラックに強い選手と、ロードに強い選手がいる。中でもロードに強い選手は未知数な実力を発揮するイメージがあった。トラックでの記録はそこでは関係ないとばかりに、駅伝で手が付けられないほどスピードに乗ってごぼう抜きする選手もいる。
それから相手との距離で走っている時の心持ちが全く違うのもよくわかる。相手が近づいてくれば力が湧くし、遠のいていけば走る気力が削がれた。それにきっと近いのだろう。ボートはすべての試合がロードということだ。
翔太さんの説明を聞いて単純な俺は、ミドルスパートめっちゃ良いではないかと感じ始めていた。
そしてそのミドルスパートの鍵になるのが「Drive!!」なるものなのだそうだが、要は漕ぐ出力を上げるための掛け声である。クルーによっては「足蹴り」とか、「アタック」とか様々な呼び方がされている。そのことを翔太さんは「Drive!!」と呼んでいるらしい。
「ニュアンスでいうと、人生は勝手に動き始めるんじゃなくて、自分から動かすんだ。っていうそんな意味を込めてるつもりなんだけどな」
片足立ちした翔太さんは、空中で足を前に出してボートを漕ぐ動作を一度だけ真似た。
「ボートやってるとよく言われるじゃん、”ボートは人生に似てるんだ”ってやつ。先が見えない中で進んでいくとことかさ。でも見えてないけど2000mって決まってんだから、自分の現在地くらい分かるだろ。横に何mとか書いてあるしさ」
翔太さんはまずは一般論を語り、そのあと自説を展開した。嫌味な感じはしない。誰かを攻撃するためではなく、単純に不思議に思っているだけという風に聞こえる。
「そこじゃなくて、Drive!!させるとこだよ。ボートと人生の共通点は。どこからでも、自分から変えられることだよ」
「ドライブですか」繰り返す俺に翔太さんは訂正する。
「ああ、そうだな。でも正確に言うと、発音がちょっと違くて"Drive!!"って感じだな」
どう違うのかイマイチ分からないが、「ドラァイヴ」と聞こえた。要は翔太さんの中でよりネイティブっぽい感じってことなんだと思う。
「人生もボートも ”Driveさせようぜ、自分から” って感じかな。伝わるかこのニュアンス?」
Drive!!させる。自分から。
最初は冗談半分で聞いていたのに、俺はなぜだかその言葉に妙に納得してしまった。確かに、ドライブじゃなくて”Drive!!”だ。
「どした、なんか笑ってる風に見えるけど」
「笑ってるんですよ」
「なんだ杉本。普段めっちゃ真面目なのに、急に気持ちわるいよ」
そう言いながら翔太さんもニヤニヤ笑っている。目にかかる髪が光を受けて揺れていた。
翔太さんの思想は一貫している。自分次第でいつでも勝ってもいいんだと言ってくれる。そのために、自分からDrive!!させるってことなんだと思う。少し一緒に漕いだだけで相手の気持ちが手に取るように分かる気がする。ボートの不思議な部分か。それとも翔太さんのことを分かっている気になっているのは、俺の単なる自惚だろうか。
「それって、エイトでは流行ってるんですか」
「いんや、ぜーんぜん。俺だけだね、そうやって言ってるの。川田も全然使ってくれない」
じゃあ、俺が後継者って感じか。
そんなこと考えるなんて、自分らしくない。そう感じながらも、顔の筋肉が緩むのがわかる。
かっこいいこの人が好きだ。
*****
「杉本!!」
1000m地点で力強い翔太さんの声がする。まだまだこのレースはここからだ。なぜかって。それは俺たちがまだ諦めてないからだ。
「Drive!! いこう!」
“任せてください”心の中でそう呟いた。
「さあいこう!」
翔太さんの声を聞きながら、全身をバネのようにしならせる。艇が進んでいる。跳ねているようにさえ感じる。このまま飛べそうだなんて幼稚な考えが浮かんだ。でも本当にそう感じるのだ。このまま加速して空までいけそうな気がする。計測すれば約0.3m/sの加速。それが空を飛ぶ感覚を呼ぶのがボートという競技だ。
Drive!!させる。自分から。
今この瞬間は漕ぐペースを上げる合言葉に過ぎない。
でもその言葉が俺の生涯を通しての信念になる予感がした。
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