6 暗闇の中の孤独と

 異変に気が付いたのは寮の数十メートル手前でのことだった。


「なんか暗くない?」

「そうですね」


 もう外は夕闇に包まれているというのに、寮からは一筋の明かりも見えないのだ。カーテンを閉め切っていたって、少しくらいは見えるものなのに。


「何かあったのかな」


 寮の扉を開けると、ちらちらと揺れるろうそくの火に出迎えられた。ありったけのろうそくを出してきたみたいだ。それが廊下に点々と並び、不規則に揺らめいている光景はなんとも不気味。寒いのは覚悟していたけれど、こんなのって聞いていないよ。

 そのとき不意に、寮母さんがひょいと顔を出した(すんでのところで僕は悲鳴を飲み込んだ)。


「ああ、おかえり。あんたたちが最後よ」

「何があったんですか?」

「配電盤まで壊れたみたいでね」


 なんと。セントラルヒーティングが盛り上げたストの機運は配電盤にまで伝播したらしい。さすが暖房、熱を上げることに関してはプロフェッショナルだ。なんてジョークも空元気。


「いよいよ住めない環境になってしまいましたね」

「まったくだ。どうする?」

「私は帰るからね。ここにいるならちゃんと暖かくして過ごすように」


 僕らは「はーい」と従順に頷いて、寮母さんから懐中電灯を受け取った。


「そういえば、何人か物好きが集まって怪談話でもやってるようだよ。参加してきたらどうかしら」

「あー、そうなんだ。教えてくれてありがとうございます」


 心からの感謝をこめて僕は言った。おかげで捕まる前に逃げることが出来るからね。

 寮母さんを見送って、僕は即座に


「よし、逃げるね。僕はトムのところに行く。よかったら君もおいでよ」

「二人で押しかけたら迷惑でしょう」

「ひと晩くらい大丈夫さ。僕は床でも寝れるし、君は無理?」

「平気ですが……」

「じゃあ決まりだ。トムのところへ――」


 そのときだ。

 耳をつんざく悲鳴が暗闇の寮に響き渡った。

 唐突に、瞬時に、寮内が喧騒に包まれる。それらの絶叫が、どこから聞こえてくるのかもわからない。反響してぐわんぐわんと暗闇が揺れる。


「大丈夫ですか、ロドニー?」


 僕はぼうっと立ちすくんでいたらしい。ウルフに声をかけられてはっと我に返る。


「あ、ああ、うん、大丈夫だけど……」

「何があったんでしょうね」


 興味津々、って声を出しながらそちらへ向かわないのは、僕に気を遣ってのことだろう。ちょっと申し訳ないけれど本当にありがたい。今ひとりぼっちにされたらマジで発狂しかねない。


「おそらく、ネズミかゴキブリが出ただけでしょうけど。そういう叫び声ですよ」

「本当に?」

「たぶん」


 ばたばたと階段を駆け下りてくる音がして、寮生が三人ほど飛び出てきた。そしてウルフの姿を認めるなり、


「あっ、魔法使い!」

「助けてくれ!」

「なんか変なのがいたんだ!」

「やっぱネズミでもゴキブリでもないじゃん!」


 ウルフが「いったん全員落ち着いてください」と溜め息混じりに言った。


「何があったのか話してもらえますか」

「いや、俺ら、部屋で酒」――言いかけてパッと周りを見回したのは、寮母さんがいないか確認したのだろう。一応寮則違反だからね。そして小声になり――「酒を飲みながらさ、あれこれ話してたんだけど、そうしたら突然懐中電灯が消えて……」

「どっかからがさごそ音がしたんだ。で、そっちに行ってみたら、チューインガムの箱になんか変な、これぐらいの大きさの何か・・がいたんだ」


 これぐらい、と彼はモルモットくらいの大きさを手で示した。


「なんだかよく分かんなかったけど、どう見てもネズミじゃなかった」

「なんかしわくちゃの人の顔みたいのが見えてさ」

「捕まえようとしたら引っ掻いてきやがった」

「声が甲高くて不気味で」


 彼らの話を聞きながら、僕は消えていきそうになる手足の感覚を引き止めようと、懐中電灯をぎゅっと握りしめた。幽霊ゴーストじゃないだけまだマシ、でも怖いものは怖い。今にもこの暗闇の中からその何か・・が飛び出してくるんじゃないかって気になってくる。

 静かに話を聞いていたウルフが、おもむろに口を開いた。


「なるほど、グレムリンか」

「グレムリン? それって、前にグランダッドで話してた」

「ええ、それです。彼らはチューインガムが大好物なので」


 ウルフは軽やかに頷いた。


「では、速やかにストの煽動者を捕まえましょう。ちょうど近くにいるようですし」

「え?」


 僕が引き攣った声を上げたとほぼ同時。

 唐突に懐中電灯の光が消えた。

 悲鳴を上げるよりも早く、コートの右側、ポケットの辺りに違和感。

 何かがぶら下がっている!

 情けない悲鳴を上げて一目散に逃げ出そうとした僕は、首根っこを急に掴まれて息を詰まらせた。うぐっ、と絞め殺された鶏のような声が飛び出る。ウルフに掴まれたのだ、と理解するのに三秒。そしてその間に事はすべて済んでいた。


「はい、捕まえました」


 飄々とそう言って、彼は僕の後ろ襟を離した。へたりこんだ僕の頭上で、何かがキーキーと鳴きわめいている。猿の声のようにも聞こえるし、フォークで皿を引っ掻いた音のようにも聞こえる、不気味な声だ。


「こいつでしょう?」


 三人が口々に、そうそうそいつだ、と言う。そして安心したような(同時に警戒するような)溜め息。

 僕が恐る恐る――姿を見たいような見たくないような気持ちで――そちらを見上げたときには、ウルフは右手をどこかにしまいこんでいて、鳴き声もぱったりと聞こえなくなっていた。しまう直前、金色の光がキラッと一瞬だけ見えた。


「これで、配電盤もセントラルヒーティングもすぐに直ると思いますよ。ストはおしまいです」


と、背を向ける。僕は慌てて立ち上がった。


「どこ行くの?」

「魔法庁へ。この手の魔性ませい生物は彼らが管理していますから」

「もう勤務時間外じゃない?」

「緊急時に備えて、夜勤の人がいます」

「なるほど。じゃあ行こうか」


 当然のように横に並んだ僕を、ウルフがきょとんと見下ろした。大げさな瞬きを繰り返す目は相変わらず真っ黒。足元でちらちらと揺れるろうそくの光を反射して、そこに驚きと困惑がはっきり映る。僕はそれに気が付かなかった振りをして笑いかけた。


「何、どうかした? あ、もしかして、魔法庁って一般人が行ったらまずい?」

「いえ、そんなことは。君さえ良ければ問題ありませんよ」

「……怖いことある?」

「一般の方が立ち入れる場所に危険はありません」

「ああ、それなら良かった。安心したよ」


 ウルフがそれ以上何かを言うことはなかったので、僕らは連れ立って外へ出た。

 オーウェルは確かに言っていた。人間には孤独が必要だと。でもその前に、ぬくもりと交際も必要だ、ってね。

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