24 答え合わせ
「結果ありきの憶測ですけど」
という言葉で始まったウルフの話は、翌日やってきたサマーヘイズ刑事によってすべて裏付けられたから、もう真実として扱ってよいだろう。
「動機となったことは、去年のギャンブル騒ぎだと思います。借金を“昔の学友”に肩代わりしてもらった、という話でしたよね。その友人が何か別の形での見返りを要求し、それがトラブルの原因になったのだろうと考えられます。さて、ここで問題になるのは“友人”が誰で、どんな“見返り”を要求したか、ということです」
ヒントが少ないので少々無理のある推測を立てますね、と断ってから、ウルフは続けた。
「ホール教授の殺害に至るのですから、彼、あるいは大学と関わりがなくてはなりません。しかし警察がなかなか尻尾を掴めなかったくらいですから、外部の人間でしょう。そこで、モフェット・グループの登場です」
「なんで?」
「社長のヴィクター・モフェットとタイナー准教授は同じ学校の出身で、卒業年度も一緒です。交流があるのはおかしなことではありません。また、君がいなくなった後に確認してきたのですが、タイナー准教授の部屋のすぐ横にある通路、あれは保守点検のための作業員用通路で、そこに防犯カメラの類いはありませんでした。ヴィクター・モフェットとタイナー准教授が共謀していたとすれば、通路の鍵を入手することなど容易いはずです」
「君はそれ、どうやって確認したの?」
「……法律には触れていません」
ぎりぎり、と小さな声が付け足した。ちょっと怪しいけれど、彼のことだから本当にぎりぎりのところをくぐり抜けたのだろう。
「話を戻しますね」
「うん」
「モフェット・グループは近年業績を悪化させていました。グランリッド大学の補修工事を請け負ったとなれば、金にもなるし箔が付く。だから確実に請け負いたかった。そこで、去年のことを持ち出しタイナー准教授に命じた――入札の情報を流せ、と」
なるほど、内部情報の漏洩。不正入札。これはばれたらまずいやつだ。
「それをホール教授に嗅ぎつけられた、ってこと?」
「ええ。おそらく、ホール教授は告発する前に自首を促したことでしょうから」
と、彼はデスク上の本に触れた。ホール教授の著書『罪の自覚と償い』――そうか、そういう主義の持ち主なんだ。
「犯行方法は単純です。アパートメントから仮校舎を見ることが出来ましたので、電気が消えたのを合図に作業員用通路を使い、アリバイを確保しつつアパートメントを出る。勝手口から入る予定が、ワイヤーロックがかかっていたので、仕方なく雨樋から仮校舎内へ侵入した。ホール教授が戻ってくるのを待ち、突き落とす。まだ息があったから、引き上げてもう一度落とした。事故に見せかけるために窓の下やキッチン周りの水溜まりだけを拭き取り、侵入者の候補を増やすために窓を閉めて、ワイヤーロックを開けて出ていった。以上です」
「驚くほど単純だね」
「計画はシンプルであるほうが失敗しにくくなるものですよ。変更もしやすいですし」
確かに。そうでありながら、細部はきっちりと練り込まれている。アンドリューズの一件と関連付けられるようにしたところとか。万一目撃されたときのために赤いレインコートを着込んで、ウルフが疑われるようにしたところとか。わざわざ二度突き落としたのは、殺し切れなかったときのリスクを避けようとした、あるいは殺し切れなかったことを恥じた、彼の完璧主義がそうさせたのだろう。
そこまで話して、ウルフはベッドの上で膝を抱え込んだ。
「これで事件はおしまい、のはずなんですが……」
「何か気に掛かってることがあるの?」
「ええ。一つ疑問が」
物憂げな表情になる。
「どうしてタイナー准教授はこの犯行を思いつき、実行に移したのでしょう」
「……どういうこと?」
「犯罪に手を染めるには大きな覚悟がいります。外的要因――つまり、ジュールにクームズがいたように、タイナー准教授にも背中を押した人物がいるのではないか、と」
僕は目を丸くした。さらに深い裏側のことを考えていたなんて。
それから彼の考えを聞いて、僕の目はもっと丸くなった。で、しぼんだ。僕らは鏡のようだったと思う。こんな話、物憂げな顔になるしかない。
「サマーヘイズ刑事から情報をもらったら、確認に行こうと思っています。……一緒に来てくれますか」
弱気な感じでそう言った彼に、僕は即座に「もちろん」と頷いた。
その週の土曜日の昼下がり、珍しくよく晴れた気持ちのいい日差しの中、僕らはキャンデラ・ストリートをのろのろと上がっていった。これからすることを思えば軽い足取りにはなれない。
「いるかな」
「どうでしょうね」
僕らの声には半分くらい、いなければいいのに、という響きが含まれている。
けれど、果たして、彼女の姿はそこにあったのだった。よく晴れた晩秋に似つかわしい淡い黄色のスカーフを巻き、白いレースの日傘を手元に立てかけている。いつか一緒にいた男性が隣に座っていた。
ウルフがわずかに躊躇ってから、しかしすぐに前に出た。
「こんにちは、マダム・バルコニー」
「あら、お若い紳士さん方」とマダムは微笑んだ。「今日はとってもいい天気ね」
「そうですね」
「あなたが来るならティムを連れてくればよかったわ」
ウルフは控えめに微笑んで頷き、それから口調を引き締めた。
「今日は、あなたにお尋ねしたいことがありまして」
「何かしら」
「ホール教授にタイナー准教授とヴィクター・モフェット氏の件を伝えたのは、あなたですか? マダム――いえ、ミセス・クラーク」
唐突なことを聞かれたせいか、急に本名を呼ばれたせいか、ミセス・クラークは動揺に瞳を揺らした。けれどそれも一瞬のことで、グラスを持ったときにはもう平常通りになっている。
「そういえば、伝えたかもしれないわね。何かの折に」とエールを一口。「けれど、それがどうかしたの?」
尋ね返されたウルフは、一秒の間を置いて、思い切ったように告げた。
「あなたがタイナー准教授の背中を押して、犯行に踏み切らせたのではありませんか」
「まぁ」
心底驚いた、という感じで、彼女は目を丸くした。
「どうしてそんなひどいことを?」
「ホール教授がお持ちの近代美術のコレクションですが、遺言ですべてあなたの元に譲渡されるそうですね」
「誰から聞いたのかしら、そんなこと」
「警察から。たいがいのことは聞きましたよ。タイナー准教授によれば、ホール教授は遺言を書き直すつもりだったようですね。やはりコレクションは美術館に寄贈するべきだ、と思い直したとか」
ミセス・クラークは黙ってウルフの目を見つめている。隣の男性が興味深そうに足を組み直して、そのときふいにポケットに手を突っ込んだ。テーブルの下で携帯を開いたのがわずかに見えた。
「あなたは遺言の書き直しが行われる前に、つまり十三日の金曜日が終わる前に、ホール教授に亡くなってもらわなくてはいけなくなった。そこで、ホール教授にはタイナー准教授とモフェット氏の件を明かし、その一方でタイナー准教授をさりげなく唆した。さらに、私たちにも情報をくださいましたね。タイナー准教授が、遺言状を告発状と勘違いして持ち去ってしまったために、彼が逮捕されなくては困る、という事態になってしまったから」
「証拠があるのかしら? ミスター・タイナーが、私に唆されたとおっしゃったの?」
当然の反問に、ウルフは力なく首を振った。そう、証拠は何もない。こんなものはただの言いがかりに等しいのだ。
「私はただの木の
「……ならないでしょうね」
ウルフは悔しそうにそう言った。僕も悔しくてたまらなかった。彼女はただ致命的なタイミングで、致命的な情報を流しただけなのだ。動機はどこまでも利己的で最悪。手口はあくまでも他人頼みで姑息。なのに結局、彼女が一番得をして終わるなんて。
「ですが、ミセス。まともでない方法で得た幸せを、まともに享受することができるとは思わないことです」
「それって呪い?」
「まさか」
「それじゃあ、負け惜しみね」
ミセス・クラークがからかうように微笑んだ。何も言い返せないウルフが黙って拳を握る。
そのときだった。
「いや、彼の言うとおりだと思うよ、マダム」
ふいに隣の男性がそう言った。突然横から主導権をかっさらっていった彼は、すっと立ち上がって一方的に話し出した。
「ちょうど今、連絡が入ってね。君のところに美術品を搬入した俺の部下たちからの連絡だ。君の邸宅で、今年の五月に盗まれた絵画が三点見つかった、と」
僕は目を剥いた。盗難品だって? ミセス・クラークは息絶えたかのように固まっている。
男性はちらりとウルフのほうを見て、面白がるような笑みを浮かべた。
「知ってるかい? パリ近代美術館に侵入した、クモ男のこと」
「ええ、新聞で読みました」とウルフ。平静を装った声をしている。
「クモ男は捕まえられなかったんだけど、そいつから盗難品を買った連中は逮捕できてね。ところが、すでに商品は売られてしまった後だったんだ。その取引先の一つが、こちらのマダムだったというわけさ」
男性は満足げに目を瞑って頷いた。
「まったく、なかなか隙が無くて難儀したよ。新しい美術品を大量に搬入してくれて助かった。おかげで、搬入スタッフに扮した部下たちが、君の家をゆっくり調べられたんだからね」
男性は激闘の末に敗れ去った強敵をねぎらうかのように、ミセス・クラークの肩に手を置いた。ミセス・クラークはまだ状況を飲み込めていないようで、呆然と彼を見上げた。
「まぁ、ムッシュ……あなたっていったい……」
「FBIの美術捜査官、って言ってピンとくる? まぁ、詳しいお話は正式な場で進めよう。ほら、ちょうどお迎えも来たことだし」
サイレンを控えた警察の車が二台やってきて、僕らの真横にぴたりと止まった。警官がミセス・クラークを後部座席へ案内する。彼女はぼんやりとしたまま大人しく案内に従って、車のドアの向こうに消えた。車は幹線道路に出て、あっという間に見えなくなった。
「殺人教唆の立証は難しいだろうがね。少なくとも、己の欲のためだけに暴走した報いはきっちりと受けてもらうよ」
と、男性は爽やかな笑みを浮かべて僕らのほうを見た。
「それでいいかな、お若い紳士くんたち」
「もちろん。ぜひ、正当な裁きを」
「任せたまえ」
彼は頼りがいのある感じで頷いてから「それでは」と二台目の車に乗り込んだ。
それが走り去るのを見送ってから、僕らは顔を見合わせた。
「一件落着、ってことでいいのかな」
「いいと思いますよ」
「もう驚きの展開はないよね?」
彼はちらりと僕を見た。
「……実は、今日は私の誕生日です」
「マジで?! そういうことはもっと早く言ってよ!」
「失礼。言っている暇がなかったので」
「よし、今日はグランダッドで豪遊しよう。お祝いだ!」
ウルフがわざとらしく子どもっぽい声で「やったぁ」と言い、ひょいと駆け出した。走りたい気持ちはよく分かったから、僕もすぐにその後を追った。
キャンデラ・ストリートを駆け下りていく。道中、何人かの知り合いとすれ違ったし、相変わらずウルフの赤いコートは注目を集めていたけれど、そこに含まれる色はだいぶ暖色に近付いていた。
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