1-5 値段交渉と迷宮の気まぐれ

「やっと終わった……」

「た、助かったのか……」


 精根尽き果てたような声で呟き、五人の冒険者たちのうち何人かは崩れるように座り込んでいた。生き残ることができたという安堵感から緊張の糸が切れてしまったのだろうが、迷宮内においては好ましい態度とは言えない。


 なぜなら、迷宮内の魔物は時間の経過によってどこからともなく補充されるからだ。そして血の匂いなどを嗅ぎつけた魔物たちは一直線にこの場所へと向かってくることになる。

 つまり、急いで倒した魔物の処理を行う必要があるのだ。


「気持ちは分かるがへばっている時間はないぞ。さっさと片付けないと新しい魔物が寄ってくるからな。解体は後回しだ。とにかく状態ごと、魔物の種類ごとにまとめていけ。それから……」


 そのことを理解しているリーダーらしき男がちらりとこちらを見た後、矢継ぎ早に指示を出していった。仕方なしにのろのろと動き出す仲間たち。どうやらリーダー以外はまだ年若く、迷宮探索の経験も浅いようだ。言葉の意味も精々が半分程度しか理解していないだろう。


 そんな様子をディーオは黙って見ていた。助けに入る際に報酬についての話を出したが、あれはあくまでも「このくらい吹っ掛けるぞ」という目安のようなものである。

 本当の交渉はこれからで、そうした事情があるため積極的に動くことを控えているのだ。そしてリーダーが一人になったところを見計らって話しかけた。


「珍しいですね、教官がこんな所にいるのは」


 実はこのリーダー、マウズの冒険者たちの中では比較的有名な人物だった。極端に強い訳ではないのだが、人をまとめて行動するのが上手いのだ。

 冒険者協会からその能力を買われて冒険初心者や迷宮初心者――中でも有望だと判断された者たち――の実地指導役を任されている。

 ゆえに『教官』と呼ばれ、ディーオやブリックスも彼の世話になった者たちの一人だった。


「まあ、ちょっと色々あってな……。それはともかく、まずは礼を言わせてくれ。割って入ってきたのがお前で助かったぜ、ディーオ。お陰で怪我らしい怪我もなかったし、利益も出そうだ」

「結構いましたからね……。ざっと三十体はいたように見えましたけど?」


 倒した魔物の中には原形を留めていないものもあるので、今となっては正確な数字は分からないのではあるが、冒険者協会への報告のこともあるのでできるだけ誤差は小さくしておく必要があるのだった。


「いや、恐らく五十近くはいたな」

「五十!?よく耐えられましたね」

「戦闘能力だけは高いんだよ、あいつら。だから天狗になっちまってる。今回のことで懲りてくれればいいがなあ……」


 先ほどの殊勝な態度は疲労からくるものだったらしい。


「モンスターハウスを起動させてしまったんだから、相応の人から『お説教』をされるのでは?」

「モンスターハウスについては十階層より下だという思い込みが俺にもあったからな……。パーティーとしてのお叱りでは堪えないかもしれない」


 マウズの迷宮が発見されてから、モンスターハウスの罠が見つかったり起動させてしまったりしたのは十階層以下がほとんどで、九階層以下の浅い層では数件しか発見事例がない。

 これは他の迷宮にも共通している点でもあり、そのため他にも覚えなくてはいけないことが山ほどある初心者にとっては縁遠い存在だという認識が強い風潮にあるのだった。

 『ラビトの悪夢』の後、一時は初心者に対しても細かく厳しい注意がされていたのだが、二十年という歳月と共に風化してしまっていた。


「大きな怪我もしていないから、余計に図に乗ってしまうかもな……」


 心底弱ったという顔で教官は魔物の残骸の仕分けをしている仲間たちを見つめていた。迷宮経験ではだんトツの教官ですら間違えるほどの事なのであれば、初心者である自分たちが失敗してしまっても仕方がないと捉えるかもしれないのだ。


 加えて、先にも述べたように、彼はそれほど腕っぷしが強いという訳ではない。反対に引き連れていた者たちは戦闘能力という一手に置いては彼を上回ってしまっているのだろう。

 敬意は払いながらも、どことなく見下しているようにも感じられるのだった。


「どこかにあいつらの伸びた鼻っ柱を叩き折れる腕の立つ冒険者はいないものか……」


 チラチラとわざとらしく視線を飛ばしてくる教官に、ディーオは首を横に振ることで答える。


「勘弁してくださいよ。確かに教官には色々とお世話になりましたけど、そういうのはちょっと……。それにただ叩き潰すんじゃなくて、再起できるだけの余力を残しておかなくちゃいけないんでしょう?そんな器用なこと俺にはできませんよ」


 暗に叩き潰すだけならできると言われて苦笑いを浮かべる教官。


「分かった、分かった。だが、どうしようもなくなったら手を貸してくれよ?」

「そうですね。一件お願いを袖にしてしまっているので、冒険者協会から依頼されたら断れませんね」

「ははっ。その時は頼りにさせてもらうさ」


 二人ともまさかすぐにその時が来てしまうことになるとは夢にも思わず、軽い気持ちで約束を取り付け合ったのだった。


「ところで、お願いを袖にしたって、今度は何をやらかしたんだ?」

「最近やって来た二等級冒険者グループの手伝いを断りました。詳しくは街に戻って協会の人たちに聞いてください」

「は……?二等級のやつらを振ったのか?相変わらず無茶苦茶するな」

「俺だけじゃなくて、ブリックスも同意見でしたからね」

「ふうん。それじゃあ戻ったら詳しい話を聞いておくか」


 マウズではほとんどの冒険者が迷宮に集中しているので、冒険者仲間の情報というものも重要となる。

 例えば、誰と誰の仲が悪いといった大まかな事情だけでも知っておかないと余計な騒動に巻き込まれてしまう可能性もあるのだ。

 特に教官は冒険者協会の準職員とでも言うべき立ち位置にいるので、一般の冒険者よりも公平公正な態度が求められることもあるのだった。


「それじゃあ、そろそろ商談に入りましょうか?」

「そうだな。もうじきあちらも片付きそうだし、手早く取り決めておいた方がいいだろう。まず、助けてくれた礼として約束通り三割はくれてやる」

「へえ……。大盤振る舞いじゃないですか。で、追加の条件は?」

「倒した魔物を全て街まで運んでもらいたい」

「帰るから、ポーターとして雇いたいと?」

「そうだ。その報酬として一増しでどうだ?」

「話になりませんね。一割増です」

「それこそ話にならない。二分」

「八分」

「三分だ」

「七分」

「お前、がめつくなり過ぎだぞ。初心者から巻きあげようとするな。三分五厘」

「八階層まで来ておいて、何が初心者ですか。六分です」

「五分。これ以上は絶対に出せんぞ」

「……仕方がない。それで手を打ちますか」


 肩をすくめていうディーオに、拳骨を降らせる真似をする教官。そんな気安いやり取りを挟んで商談はまとまったのだった。


 さて、決まったからには即行動といきたかったのだが、ディーオの脳裏に示された地図には新たな光点が浮かび上がってきていた。


「ちょっと時間をかけ過ぎました。魔物が再出現しています」

「なんだと!?まだ半刻は経っていないはずだぞ?」


 モンスタ―ハウスを制圧してから新しい魔物が現れるまでの猶予は平均して半刻――一刻は約一時間――だと言われている。これは過去数々の迷宮での統計の結果だ。

 もっとも正確に計測したものはごく僅かであり、大半は冒険者たちの体感によるものなので、それなりの精度だと捉えられている。それでも目安となるものがあるだけで安全性は格段に変わるものなので、迷宮に潜る冒険者の常識の一つとなっているのだった。


「気まぐれは迷宮の十八番おはこですからね」

「こちらに気付いているのか?」

「真っ直ぐ向かって来ています。数は……、二か。俺が相手をしますから片付けを急がせて下さい」


 数の有利を活用されないように狭い通路へと出る。後ろから何やら騒いでいる声が聞こえてくるが、どうせ教官から事情を説明されて自分たちが戦うとでも言って騒いでいるのだろう。

 面倒なので無視することにした。


 そして待つこと暫し、前方に二つの影が見えた。潜影の猟犬シャドウハウンド、本来は影に潜み突如襲いかかってくる危険な魔物であるが、血の匂いに酔っているのかその姿を露わにしていた。


「ガウッ!」


 一頭がそのスピードを生かそうと立ち止まることなく飛びかかってくる。


「はい残念」


 だが、対するディーオの手にはいつの間にか二メートルを優に超える長槍が握られていた。その穂先は鋭い牙の合間を掻い潜り口腔奥へとするりと入り込むと、あっという間にシャドウハウンドの串刺しを作り上げていた。


 しかし、一メートル超える魔物が飛びかかってきた勢いをそれだけで殺すことはできない。掴んでいた槍の柄をわずかばかり外に押し出すようにして力を込めてから手を離すと、ディーオの体を避けるかのように長槍ごと串刺しの魔物は後方の床、つまり部屋の入り口付近へと落下していったのだった。


「一匹終了。後はお前だけだぞ」


 と、もう一頭へと視線を向ける。皮肉なことに共にいた仲間が一瞬で物言わぬ肉塊にされてしまったことで、残ったシャドウハウンドは冷静さを取り戻していた。

 「グルルルルル……」と警戒の声を上げながらこちらを見つめるその目には、油断の色は見当たらない。同時に仲間を殺されたことへの怒りも感じるので、追い払うことはできなさそうだ。

 迷宮内の魔物は外に出現する同一種のものに比べて野性的な面が薄れているとされているので、その影響もあるのだろう。


「何をやってるんだ!早く退くか、武器を拾うかしろよ!」

「止めろ!邪魔になるから近寄るんじゃない!」


 シャドウハウンドと対峙していると後方がまた騒がしくなってくる。状況を理解しようともしない態度に頭痛がしてきそうだ。

 一瞬言われたように退いてやろうかという考えが頭をよぎるが、相手は迷宮初心者なのだと言い聞かせてその場に踏み留まる。


「聞こえているのか!?そのままじゃ危な――」

「喧しい!ピーピーさえずってないで黙って見ていろ!」


 先程の決意もあっという間に崩れ去り、思わず振り返って怒鳴りつけてしまった。


「ディーオ!?」


 それを見逃すようなシャドウハウンドではない。好機とみて牙を剝きだして襲いかかってくる。しかも先程の仲間がやられたことから学習したのか、地面すれすれという低い位置を保っていた。そのまま接近して背後から首筋へとかぶり付く!


「またまた残念」


 しかし、それはディーオが仕掛けた罠だった。ひょいと体を屈めると、目標を失くしたシャドウハウンドは無防備な態勢で空中にその身を投げ出すことになった。

 脳裏に浮かぶ地図によって彼には魔物の動きが手に取るように分かっていたのだ。うるさい背後の新米どもを一喝するという目的はあったが、それだけで敵に背中を向けるような真似はしないのである。


 そして床へと降り立つ時にはその腹に短槍を突き立てられ、二頭目のシャドウハウンドもまた命の灯を消し去ったのだった。

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