クレナイの舞姫

ねこみや

紅の舞姫

14××年__都より離れしその土地に誰よりも美しい少女がいた。

少女の舞は民衆の心を沸き立たせ、戦の前ではその土地に住まう天下の将軍と敬われる若き武将からも重宝されるほどに人々を惹き付け魅了した。

だが多くの人々は少女の舞っている姿以外を見たことがない。…何故なら舞を終えてしまえば少女は忽然と姿を消してしまうから。

当然誰もが彼女の名前すら知らない。

それ故に人々は少女をこう呼んだ、『舞姫』と。


.


「舞!どこだ?まだ拗ねてるのか?」

声を張り上げ、真っ直ぐな廊下を進むのは黒髪と紅の瞳をもつ美丈夫。

その後ろには彼に仕える従者たちが忙しなく主人が探す人物を懸命に見つけようと辺りを見渡していた。

「ほらお前の好きな甘いもの買ってきたんだから気をなおしてくれよ」


「…甘いものは、好きだけど…っそんなもので人をつろうなんてズルいですよ。相楽様は」


甘いものという言葉を聞きつけたのか奥の座敷からそろりと出てきた少女はぷくりと小さな頬を膨らませている。

「ズルくても俺のこと許してくれる?」

相良と呼ばれる美丈夫がダメ押しのように舞と呼びかければ少女は頬を赤らめながら口を開いた。

「ま、まぁ!その甘味に免じて今日だけは…!そう!今日だけは許してあげないこともない、です」

舞の照れ隠しのような言葉を聞き相楽の口元は満足そうに弧を描く。

そんな穏やかな空間を作り出す二人とは裏腹に相楽の従者たちはこう思っていた。

…このやり取りは一体何回目なんだよ、と。

三日に一度は少女を怒らせてしまう主人。

その度に甘味を買いに行かされる自分たちの役目とは一体なんなのだ。これまでの戦を生き残り天下の将軍に仕えるまで地位を得たというのにその業務内容は至極平和。

けれど主人を唯一振り回すことができる少女に出会うまでの冷酷さを知っている従者たちはそんな不満を一つも漏らさない。

…不要なものは容赦なく切り捨てる将軍の姿に尊敬の念を抱いてはいたが、毎日怯えるように過ごしていたあの日々より今の平和な生活が心のゆとりを生み出していることを実感していたためである。


「相楽様!一緒に食べましょう?」

相楽からその甘味を手渡され舞がニッコリと無邪気な笑みを浮かべれば相良は人払いをし二人は奥の間へと共に消えた。

「いつもお疲れ様です。相良様」

「ありがとうな」

部屋の外から人の気配がなくなるのを確認して舞は相良に優しく抱きつき、相良もその想いを返すように優しく抱き返す。

…舞は知っている。

自分にはこんなにも甘い表情を向けてくれるヒトの冷酷さを。

だからこそ自分が今一心に受ける寵愛だっていつ続くか分からないと悩んだ時期もあった。

けれど目の前にいる相良が一番愛情を向けてくれている今が舞にとって"重要な時間"。

そして相楽も"舞姫"と呼ばれていた純粋であるが誰よりも聡い少女に心惹かれ、求めていた。

「それならお前が茶をいれてくれ」

「…もちろんです!」

舞はいつも通りお茶の準備をテキパキと進める。

その姿は手馴れた姿であり、そんな日常に溶け込んだ光景を眺める時間でも舞が相手であれば相楽はたまらなく愛おしくなる。

「相楽様!今日は相楽様を唸らせれるくらい美味しくお茶をいれられた自信があります…っ!」

そっと差し出された茶に相楽が手を伸ばせば舞は嬉しそうに笑を零した。

一口、その茶を飲むとナニかがいつもと違うと感じる相楽。

「茶葉でも変えたのか?」

「いいえ。変えておりませんよ?それとも不味かったですか…?」

不安げに問いかけてくる舞を見て気の所為だったかと入っていた茶を全て飲み干す。

……その瞬間、相楽に身体が内から締め付けられる様な苦しさが宿った。

どういう事だと脳内を働かせても答えは出てこない。

そんな相楽が倒れ込む時最後に見たのは自分が唯一愛おしいと感じていた少女の笑顔だった。


「あぁ相楽様お可哀想に」


天下の将軍が息絶えたというのに臣下は誰一人としてその現実に気づけない。

「でもあなたが悪いんですよ。あなたが…、私のお師匠様を殺してしまったから」

舞は白く細い指をどんどん冷えていく相楽の頬にあて優しく撫でる。その姿は心の底から愛する者を慈しんでいるようで、この現場を一目見ただけでは舞が相楽を殺したなんて思えない。

「……あっけないものなんですね、あなたも」

舞は本当の両親の存在を知らない捨て子。そしてとある神社の神主に拾われ、育てられた子でもある。

非情だと言われるかもしれないが今の舞は実の両親に興味がない。自分を捨てた理由にも興味はない。どんなに残酷なことを言われても傷つかない。

そんな舞だったが昔は…、育て親であり舞を教えてくれた神主が殺される前は違った。それ程までに神主の存在は大きかったというのに目の前で倒れる相良という一人の男は容赦なく手をかけたのだ。


数年前神主が数日帰ってこない日があった。舞は毎日毎日待ち続けていたのだ。自分のたった一人の家族の帰りを。

だがそんな願いは叶わず、神主は戦に反対する一派に属していた故に若き将軍直々に手をかけられたという報せを神主が不在になりザワついていた神社へと説明に来た使いから聞いた。

なにひとつ理由にならない説明。人ひとりの命を容易く扱う有り得ない男。

舞の心はその日から燃え上がるように復讐の炎をともしていた。

そんな舞は神主から教えられた"舞"を使い、自分の存在を自ら噂にしたのだ。

…そうすれば神主を手にかけたその若き将軍にいつか会えるかもしれないと思ったから。そしてその願いは天に届いたかのように現実となる。


「あなたが…私を好きになってくれてよかった」


若き将軍から声がかかり城へ招待され初めて相楽と会った時、隙のない堂々とした振る舞いを見て直感的に感じた。

この男には勝てない。今もしここで殺意の刃を向けてもそれは自分に返ってきてしまうだけだと。

舞は絶望した。

あれ程までに憎んだ相手がこんなにも近くにいるのになぜ自分の身体は恐怖で動かないのか、と。

だがそんな舞にとって幸運だったのはその出会いで相楽の好意が自身に向けられた事だった。冷酷な男になにを気に入られたのかも分からなかった始めはなにかの罠かとも考えた舞だったがこれが最後の機会と思いすぐさま相良の誘いに応じた。

そして相良の城で過ごすうちに天下の将軍と言われる男が本気で自身を望んでいることを感じ、真っ先にその想いを利用したのだ。

舞が二人きりの空間を望めば扉の前に護衛はつくが二人になれる。

相楽が舞のことを心から愛するようになればなるほど無防備な隙も多くなる。

そして最後に…相楽の従者たちに信用されれば懸念される邪魔もなくなる。


長い時間をかけて用意された今日という日。

天下の将軍と呼ばれる程の名将は愛したたった一人の少女に振る舞われた致死薬の茶で命を落とした。

「…でもね私あなたの紅い瞳が好きだった。あなたに少しだけ惹かれてしまう愚かな自分がいても相楽様のその炎のように燃える瞳が復讐心を忘れさせないでいてくれたんです」

もう開くこともなければ見ることも出来ない紅い瞳。

あの瞳だけでももう一度この目に焼き付けていたかったと舞は呟くがそんなことが叶わないのは誰よりも理解している。


第一、この策は時間を重ねることでその価値を生みだすが実際には時間との戦いであった。秘密裏に行動していたとはいえ毒を入手したということを誰にも悟らせてはいけない。それになにか疑わしい行動を起こし、相良の寵愛を逃してしまえばこの計画はすぐさま破綻してしまうのだから。


そんな条件つきの策であったが結果としては十分である。

…しかし舞はまだ浮かれてはいない。




この計画の最後の仕上げを行うために__自らの手でもう一杯茶をいれ、流れる動作で全てを飲み込む。

(さがらさま…ほんとうにばかないとしいひと……)



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クレナイの舞姫 ねこみや @nekomiya03

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