第三者の証言こそが有力って話。

 スマホの受信音を聞いたのは、ここ最近毎日繰り返している『ロウソク修行』の最中だった。


 夜。真っ暗な僕の部屋をぼんやり照らしている一本のロウソク。無風の火がほんのかすかに揺らめくのを全神経を集中させて見続ける訓練。


 その訓練に水を差した犯人であるスマホに構うのは、まだ早い。まだスマホに設定したアラームが鳴っていないので、十分経っていない。


 ロウソク修行を続行。


 小さな火を凝視しながら僕が考えていたことは——『雷夫ライオット』のことだった。


 桔梗ききょうさんは、『雷夫ライオット』がとある暴走族二チームから襲撃を受けたと言っていた。


 専守防衛を標榜している『雷夫ライオット』のことだ。メンバーをやられて黙っているわけが無い。きっと、これから報復をしに行くはずだ。


 そこまではいい。抗争なんて物騒な真似は感心しないが、やられたからやり返す、というありふれた法則で『雷夫ライオット』は動くのだ。


 ——大丈夫だろうか、桔梗さん達。


 『雷夫ライオット』が少数ながら強いことは僕も知っている(実際に見たわけではないが)。けれど、相手はこの辺りで大きなチーム二組だ。下手をすると、この二チームを同時に相手にしなければならなくなる。


 もしもそうなった場合、桔梗さん達は太刀打ちできるだろうか。


 彼らには世話になっている。僕になにか、してあげられることは無いだろうか。


「……あるわけ、ないか」


 思わず独りごちた。その息で、目の前のロウソクの火が大きく揺らめく。


 勘違いしてはいけない。今ではヌマ高で一目置かれる存在となった僕だけど、本当の僕は正攻法ではまともにケンカも出来ない兵法家ひきょうものだ。こんなちっぽけな僕が、いったい彼らのどんな助けになれるというのだろうか。


 結局、僕ができることは、桔梗さん達の無事を祈ることのみ。


 やるせない気持ちだが、仕方がない。五輪書でも、不可能を可能にしろとは書いていない。


 今は、この『ロウソク修行』に専念しよう。


 もうしばらく、動きのほとんど無いロウソクの火と睨めっこを続ける。


 ここ一週間、毎日この修行を続けてきたからだろうか。火のかすかな揺らめきが、最初の頃よりずっと視認しやすくなってきた。


 今よりさらに揺らめきをとらえられるようになれば、相手のわずかな動きから、相手の「次の動き」を予測できるようになれるかもしれない。……かもしれない。


 スマホのアラームが鳴った。十分経ったようだ。


 僕ははぁっと力を抜き、後ろへ倒れて寝転んだ。ロウソクの火も緊張感を失ったように大きくゆらゆらする。


 スマホを取り、アラームを止める。さっき受信したのはRAINのメッセージのようだ。差出人は「加藤樹」——いっちゃん。


 音声ファイルが一つ届いていた。


「なんだ……?」


 僕は自然にその音声ファイルをタップしていた。


『——気分が良いから、もっかいおさらいでもしようかね。いやマジで気分が良いから』


 いきなり、知らない声が聞こえた。


 明らかにいっちゃんじゃない。これは、誰だ?


 聞き覚えの無い音声はさらに饒舌じょうぜつに言葉をつむぐ。


『——滝村、だっけ? ぶっちゃけ『雷夫ライオット』なら誰でもよかったんだが、とにかくその滝村を俺は顔隠して暗闇で叩きのめし、その着ていた服を全部奪った』


 そこまで聞いて、僕は気持ちが硬直した。


 『雷夫ライオット』……そこに所属している「滝村」という人を、暗闇で叩きのめした。


 まさか、これは現在『雷夫ライオット』が戦っているであろう敵二チームの会話なのか? 


 『雷夫ライオット』は、その敵二チームに先に手を出されたという。であれば、この録音が二チームの一員の会話であると考える方が自然だろう。


 ——って、ちょっと待った。


 録音が次に告げた言葉を聞いた瞬間、不穏な気分がさらに増した。

 

『だが俺の目当ては、佐竹パイセン、今あんたが着てる『雷夫ライオット』のジャケットだけ。他の服も奪ったのはジャケットが目的のブツだと悟らせないため。どこまで効果あるカモフラかは知らんがな』


 佐竹だって!?


 なんで佐竹が、敵チームの奴と一緒にいるんだ。


 しかも今、佐竹は『雷夫ライオット』のユニフォームであるジャケットを着ているという。……滝村という人から奪い取ったジャケットを。


『次にあんたの出番さ、佐竹パイセン。あんたにはそのジャケットを着て、『自転車チャリ乙徒オット』と『邪威暗屠ジャイアント』の連中を一人ずつ半殺しにしてもらった。ついでに「神奈川は俺ら『雷夫ライオット』のモンだ、テメェら害虫は死ね」とでも言ってもらって、な。——こうなりゃ後は雪だるま式よ。オキシトシンに突き動かされたバカなジャップ共は即座にヒートアップして戦争ドンパチに移行する』


 ロウソクの火がゆらゆらと激しく揺れる。早まった僕の吐息のせいだ。火はまさに僕の心情を表していた。


 音声ファイルの中の「謎の声」は、笑いながら続けた。


『はははは! いくら少数精鋭の『雷夫ライオット』様でも、巨大グループ二つを、それも物量戦で相手取りゃ勝ち目は無い。物量戦に持ち込むための「入れ知恵」もリーダー共にしておいたしなぁ! 今は太田コンクリート跡地で戦争中よ!』


『……その、大丈夫なんすか? 滝村っていうのをボコったのが、あんただって、バレやしないんすか?』


 本当に佐竹の声がした。


『あ?』


『ひっ、す、すんません……心配だったもんで』


 佐竹は恐縮した声で謝罪した。こいつのこんなビビった声、初めて聞いた……。


『心配いらんよ。顔は覆面で隠してたし、刺青も見せてねーし、暗闇でボコったからな。味方をやられて熱くなってるハクビシン共の脳内じゃ、滝村の件も敵さんがやったもんだと補完されてるだろうぜ。日本人なんざそんなもんだ。すぐバイアスや感情論に囚われて冷静な考察や判断ができなくなる。まさしく愚民だ。なんにせよ……これで邪魔者が一人減る。そして俺はまた一歩近づいたのさ。ヌマ高の『アタマ』に』


 ——ヌマ高の『アタマ』を目指している……?


 どういうことだ。『雷夫ライオット』の抗争が、『アタマ』になることとどう関係があるというのか。


 佐竹の不思議そうな声が聞こえた。


『王さん……あんた、『アタマ』になって、何をするつもりっすか?』


 王。それがさっきからベラベラ喋ってる男の名前か。いや苗字?


 その「王」が、佐竹に軽く訊いた。


『何を?』


『ひぃ、す、すんません……いや、ただその、なんか、ヌマ高の『アタマ』になることに、普通の奴とはを求めてるんじゃないかと……そう思ってっすね。だって王さん、すでに『傲天武陣会ゴウテンブジンカイ』っていう有名グループのリーダーじゃないすか』


 頭をハンマーで殴られたような衝撃が、脳裏に走った。


 傲天武陣会、だって……!?


 桔梗さん曰く、在日中国人の若者だけで構成された小規模ギャング。小さいが、そのやり口のエゲツなさは有名だ。しかも、「王」という男はそのリーダー。


 もう、わけがわからない。


『違うモノ、か……間違っちゃいねーなぁ。少なくともその他大勢のバカ共みたいな、低俗な功名心や名誉欲で『アタマ』を求めてねーってのは確かだ。俺は……もっとを『アタマ』ってのに求めてる』


『それは……何すか?』


『それは——』


 録音は、そこで終わった。


「…………意味、わかんない」


 いまだに頭がぐるぐる混乱していて、現実感が無い。

 

 これは何かの冗談か? いっちゃんは、どうしてこんなものを送ってきた?


 それもまた分からない。


 だけど、音声ファイルを送った後に届いていた一通のメッセージが、全てを物語っている気がした。


『たすけてくれ』


 ぎゅっ、とスマホを握る手に力がこもる。


 ほんの一瞬でもいっちゃんを疑った自分を恥じた。


 今なお、いっちゃんが今置かれている状況がよく分かっていない。


 どうして『雷夫ライオット』を潰すことが、ヌマ高の『アタマ』になることに繋がるのか、今でも全然分からない。


 だけど、たった一つだけ、はっきりと言えることがある。


 ——今回の戦争には、まったく意味が無い。


 どちらの陣営がかかげる大義名分も、武陣会がお膳立てしたものだ。


 偽りの大義のまま、意味のない戦争を起こされている。


 そして、『雷夫ライオット』はそんな意味の無い戦争で潰される。


 考えると、憤りがあふれてきた。


 どうして、『雷夫ライオット』がマトにかけられなければならない?


 桔梗さん達は、神奈川を制覇するつもりなど無い。


 ただ、仲間達と集まり、楽しく過ごし、そしてバランスの良い人間へと成長しようとしていただけではないか。


 自ら人を傷つける気の無い人たちが、どうして傷つけられなければならない。


「——ふざけるな」


 そんなことは僕が許さない。


 止めてやる。こんな戦争。


 僕はスマホを再び操作する。音声ファイルを僕のスマホのフォルダにコピー。RAINの桔梗さんとのトークルームを開き、そのコピーしたデータを送信しようとして——やめた。


 ちょっと待て。よく考えろ。


 今、桔梗さんは抗争の真っ最中だ。送ったところで、それを確認できる余裕があるとは思えない。


 他にも理由はある。


 僕からもらったデータを、敵対している二チームに見せたところで、相手がそれを信じるだろうか? 


 否。


 音声データをでっちあげ扱いされて終わりだ。不利になった時のためにあらかじめ用意しておいた「逃げ道」と疑われる。


 じゃあ、どうすればいい。


 ——


 『雷夫ライオット』でも『自転車チャリ乙徒オット』でも『邪威暗屠ジャイアント』でもない「第三者」である僕が、この手元にある絶対的な証拠を突きつけるのだ。どこサイドにも属していない「第三者」の提示する意見が、公平な価値を持つ。


 正直、それも望み薄だ。


 でも、こうして悩んでいる間にも、抗争は続いている。そして、『雷夫ライオット』はいつ限界が来るか分からない。


 やはり、僕が行くしかない。


 幸い、抗争がどこで行われているのかは録音データの中で言及されていた。——太田コンクリート跡地。いつだったか、人気ドラマのロケ地に使われた場所だ。位置は知っている。少し面倒だけど、歩きで行けない距離ではない。


 僕は立ち上がった。ポケットにスマホを入れ、IHヒーターがオフになっていることを確認してから、パジャマ姿のまま玄関を出る。マンションの一階である。


 鍵を閉め、出入り口へ向かおうと通路の右へ目を向けた瞬間、三人の若い男と目が合った。


 殺気立った目。ヌマ高のヤンキーがよくしている目つき。


 僕へ向かって早歩きで近づいてくる。


 近づくにつれて、一人が着ている半袖シャツから覗く二の腕に、刺青タトゥーがあるのを視認できた。


 


(『傲天武陣会』!)


 僕はお行儀良く出入り口から外出するのをやめ、目の前のコンクリート塀を全力でよじ登って超えた。


クヮイ追上ヂュイシャンチュイ!」「ヂュオ!」「ビエラン那家伙ナージアフオ逃跑タオパオ!」

 

 男達は口々にそう吐きながら僕を追いかけてくる。中国語は分からないが、捕まればただではすまないということだけは彼らの形相からでも分かる。嫌な異文化コミュニケーションだ。


「大丈夫だ、なんとかなる、なんとかなる、なんとかなる! なるったらなるっ!」


 パジャマ姿のまま、僕の逃走劇は始まった。

 



>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>



 ユキちゃん、やっと出てきたって話。




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