水鵠メイク・ウェイブス

 日曜大工から始めるとは言ったものの、実際の所はそう簡単なものでもなかった。何しろ、阿城木あしろぎが作ろうとしていたのは、自分達の舞う場所──『水鵠衆みずまとしゅう』の為だけの舞台だ。

 上野國こうずけのくに舞奏社まいかなずのやしろ総掌そうしょうである横瀬よこせ貞千代さだちよに偽物だと断じられてもなお、阿城木は自分達を上野國舞奏衆まいかなずしゅうであり、水鵠衆だと認識していた。誰からも認められなくても、自分が──そして、七生ななみ千慧ちさとが認めてくれている。

 だが、こうなってしまった以上、水鵠衆がゲリラ的に舞奏披まいかなずひらきに出るという作戦は難しい。阿城木を水鵠衆から外す、という条件は断固として飲み込めないと七生も去記いぬきも言っているし、かといって阿城木がのこのこと上野國舞奏社に頭を下げに行ったところで、ノノウとして飼い殺されるだけだろう。そこに阿城木の望むものはもう無い。

 たとえ認められなくても、阿城木は胸を張って、七生千慧の率いる水鵠衆の一員でいたい。

 さて、上野國舞奏社が使えないとなると、場所の問題が出てきた。去記の住みついている廃神社は舞台こそあるものの、人が多く入れる作りにはなっていない。とはいえ舞奏まいかなずの出来る舞台はそうそう転がっているものではないし、観囃子みはやし席がちゃんと用意出来る規模となれば尚更だ。

 そこで阿城木が選んだのは、親に頭を下げることだった。居間に正座し、父親の阿城木たかしに頼む。

「今使ってる稽古場じゃない方の……もう一つの建物、どうにかして舞台に出来ないか」

 息子の言葉に対し、阿城木崇はふむと顎に手を当てた。阿城木が指しているのは、かつて地元の人々の集会場として開放していた建物だった。そことは別にちゃんとした公民館が出来てからは、物置になっている場所だった。

「舞台にすることは不可能ではない、と俺は思う」

「本当か? なら……」

「だが『不可能ではない』だけだ」

 阿城木崇はじっと息子を見つめながら言った。

「お前はそれが必要なことだと思ってるんだな?」

「ああ……俺らにはこうするしかないと思ってる。必要だ。ただ単に舞える場所が必要ってだけじゃない。俺達に必要なのは居場所なんだ。自分達がそこにいていい、自分達がそこで舞ってていいんだって、認めてくれるような場所だ」

 横瀬から名指しで追放宣告を受けた時に、阿城木は酷い疎外感を覚えた。それと同時に、もしかしたら七生が感じているものや、去記が抱えているものも、同じものなのではないかと思ったのだ。だとしたら、二人にあげられるものは──あげたいものは、自分達の為の舞台なんじゃないかと思った。

「だから……力を貸してほしい。出来の悪い息子だけど、いつかちゃんと恩は返す」

「……なるほどな」

 ややあって、阿城木崇は真面目な顔で続けた。

「好きに使え。お前だって、日曜大工くらいは出来るだろう」

「ああ、なんとかやってみる。手伝いも、自分の手でなんとか集める。本当にありがとうな、親父」

「助けを求められたら応えるのが阿城木家だ。それが身内であってもな」

 そう言って、阿城木崇が不器用に笑った。本当に嬉しい時、父親はこういう顔をする。阿城木は心の中でもう一度感謝した。ありがとう。これ以上のものはない。

「話はまとまったみたいね!」

 その時、見計らったかのように母親の魚媛うおめまで登場した。スパーンと威勢の良い音を立てて開かれた襖のダメージを心配してしまうくらいだ。

「お袋……聞いてたのかよ」

「ふっふっふ、おかーさんっていうのはそういうもんなのよ。安心しなさい、入彦いりひこ。地元のみんなからアイドルのように愛される可愛い魚媛ちゃんパワーで、手伝いを集めてあげるわ。他ならぬちーくんとコンちゃんの為でもあるんだし!」

 小柄な魚媛が腕を大きく広げて言う。身体が小さいから、両腕を広げてもそう大した大きさではない。だが、彼女の内側で育ってきた人脈が、阿城木の想像もつかないくらい広いことは知っていた。

「……いきなりお袋に頼んのもダセーって。俺がやろうとしてることなんだからさ。手伝いを集めるにも、自分の伝手でやんなきゃ駄目だろ」

「あら、それは思い上がった発言ね。私もあんたの伝手の一人よ。伝手が伝手を呼んじゃ駄目なの? いいから、最初の一人に私はカウントしなさいな。そうじゃないと寂しいじゃない

 言いながら、魚媛がバンバンと背を叩いてくる。

「言ったでしょ。私達は最初の観囃子。誰が認めなくても、私達は水鵠衆の観囃子だから」

「ああ、その通りだ」

 阿城木崇も大きく頷く。これ以上何も言えそうになかったので、阿城木は黙って頭を下げた。

 自分達は戦わなければならない運命にある。だが、三人ぽっちで戦わなければいけないわけじゃない。こうして、味方になってくれる人がいる。

 ここがあまりに孤独から離れた『居場所』であることに、涙が出た。


 阿城木家の敷地内に舞奏用の舞台を建てる計画は、極めて順調に進んだ。阿城木魚媛の号令もあり、有志の手伝いどころか、実際に建築の仕事をしている人間も協力に来てくれたのだ。身内だけでどうにかしようとしていたことが、まるで地元の一大事業のような様相を呈してきていることに驚く。

 そこまでしなくてもいい、と思いながら礼を言うと、彼らは決まって「入彦の為ならいくらでも手を貸してやんよ」だとか「私も今まで阿城木のお家には助けてもらったから」と返されるのだった。阿城木家が今まで積み重ねてきたものの大きさを感じて、何も言えなくなる。いつか自分が返していかなければならない、と思いながら、今は感謝をしながらそれを受け容れることにした。

 元々集会所だった建物を舞台に改造するとして、大きく作り変えている時間は無い。

 なので、大胆に壁を撤去し、そこに舞台を増築していく形にすることにした。全体の構想を考えたのは阿城木自身だったが、集会所がまるでドールハウスのように開かれていくのを見て、とんでもないことになったな、と改めて思ってしまった。

「阿城木って、舞台まで作れちゃうの? フレンチトーストだけじゃなくて?」

 作業を見ていた七生が、冗談とも本気ともつかない声で言う。

 阿城木は流石に現場で作業を手伝うことにしていたが、七生と去記はなるべく集会所の大改造には関わらせないようにしていた。単純に力仕事が向いていないように見えたのもあるし、第一怪我でもされたら困る。

 そう説明すると、去記は割合すんなりと受け容れたのだが、七生の方は最後まで抵抗した。その小さな身体でどうするのか分からないが、僕もやると言い出して聞かなかったのだ。

 最終的に、阿城木が「お前は水鵠衆のリーダーだろ」と言うと、本当に不服そうではあったが、七生は引き下がった。それ以来、七生は稽古場で舞奏の稽古と、当日の演出を考えることに集中していたが、こうして時折『現場』を眺めに来るのだった。

「俺が作ってるわけじゃねーって。手伝ってくれる奴らの功績。ちゃんと全部終わったら宴会でもやってもてなさねーとな」

「でも、阿城木がこんな突拍子も無いことを考えつかなかったら、みんな動かなかったわけでしょ。ほんと、ミネラルウォーター風呂の時といい、阿城木ってそういうとこだよね」

「褒めてんのか貶してんのか分かんねーよ」

「褒めてるよ」

 予想に反して素直に返され、一瞬言葉に詰まる。

 七生は眩しいものを見るような目で、出来上がっていく舞台を見つめていた。夕暮れの海の色が、出来上がっていく居場所を見つめている。

「でも、そこまで舞台は広くないよね」

「しゃーねーだろ、席のこと考えたらこれ以上デカく出来ねーし、そもそも間に合わねえ」

「そうだけど……この広さで舞奏って出来るの?」

 どこと比較しているのかは知らないが、七生は不安そうだった。確かにこのまま進めていれば、一般的な舞奏社の舞台よりは一回りほど小さくなってしまうだろう。

「俺達だから出来んだよ。俺達の舞奏は、基本的には七生を立てる舞奏だ。だから、多少狭くてもどうにかなる」

 この狭い舞台上で、自分と去記はとにかく七生の舞奏を魅せるように動く。ある意味で、自分達の舞奏は三人で一つの舞奏だ。七生千慧という中心を意識し続けて動けば、舞台はそう狭く感じないだろう。七生だけが手狭に映らなければいいのだ。

 それに、七生が目立てば阿城木と去記も自然と目立つように──そういう風に、水鵠衆の舞奏は構成されている。七生はそんなことを気にせず、存分に舞えばいい。

「ていうか、集会所壊しちゃっていいの? 集まれなくなっちゃうじゃん」

「外にちゃんとした集会所が出来たわけだし、まあ、最悪ここの観囃子席で話し合えばいいだろ。舞奏も見られて得じゃん」

「そういう問題なのかな……」

 言いながら、七生がちらりと蔵の方向に視線を向けた。阿城木が、忍び込んでいる七生を見つけた蔵だ。

「敷地内にある建物を解体して舞台を作るっていうから、僕がいた方の蔵が解体されたらどうしようって思っちゃった」

「あれは現役の蔵だろ。物置に使ってんのにバラせねーよ」

「そっか。そうだよね」

「何だよ。バラされたくないのか?」

「別にそういうこと言ってるわけじゃないから」

「もしかして蔵に愛着あんのか? ……やっぱ、居心地いいとかあんの?」

「やっぱって何!? 何がやっぱなわけ!? やっぱネズミっぽいからってこと!? 省略された言葉が聞こえちゃったんだけど!」

 七生がチューチューうるさく喚く。省略したのに面倒なことになったな、とスルーしていると、七生が不意に言った。

「別に居心地良くはなかったよ。暗くて埃っぽかったし、どうしていいか分からなくて心細かったし」

 あの時、七生は心細かったのか、と改めて思う。不遜で自信満々で、人の家の蔵に勝手に入り込んだのに偉そうな七生が。

 七生は小動物めいているが、確かに蔵には似合わなかった。七生が似合うのはあの阿城木家の食卓で、馬鹿みたいな顔をして小倉トーストやらフレンチトーストやらを頬張っている方がよっぽどいいのだ。


 舞台の完成を誰より心待ちにしていたのは、拝島はいじま去記だった。舞奏披までという期間限定で阿城木家の居候その二となった去記は、七生よりも頻繁に舞台の様子を見に来ては、うろうろにこにことせわしない反応を見せた。

 上野國で噂の的になっていた九尾の狐は、意外にもすんなりと手伝いの人々に馴染んだ。フェイクファーの尻尾を触らせているのを見て、少し胸がざわつきもしたが、概ね理想的な関係を築けているようだった。

「入彦、楽しみだの。我は早くあの場所で舞ってみたいぞ」

 それが口癖になってしまったんじゃないかと思うほど、去記は何度も同じことを言った。それを適当に流しながら、阿城木はやはり去記に必要だったのは、こういうことだったんじゃないかと思う。

「我はきっと頑張るぞ。我らの為の舞台で、我らの観囃子の為に舞ってみせるのだ」

 去記は右目の辺りに指を添えながら、頻りにそう繰り返した。それを見ながら、阿城木はずっと思っていたことを口にした。

「去記」

「何だ? どうしたのだ?」

「お前、コンタクトした方がいいんじゃねーの」

「それは……両目が黒い我の方が可愛い的なこと……?」

「真面目な顔で返されると突っ込んでいいのかわかんなくなんだけど……。可愛いとかじゃなくてさ」

「可愛くないってこと!?」

「いいか、一旦それ置いとくからな。別に、化身けしん見せなくていいんじゃねーかってことだよ」

 阿城木がそう言うと、去記が分かりやすく目をぱちぱちとさせた。赤い瞳はもう見慣れたが、出会った時には、去記の両目は黒で揃っていたのだ。

「化身を見せなくてよい? 入彦はおかしなことを言うのだな。我が化身を見せなければ、我が特別であることを誰が理解出来るのだ? 誰が我の舞奏が素晴らしいものだと?」

「じゃあ、阿城木入彦の舞奏が素晴らしいものだって、誰も理解出来ないってことか?」

 あくまでフラットにそう言うと、去記は痛いところを突かれたと言わんばかりに言葉を詰まらせた。だが、阿城木は別に去記を責めたいわけじゃない。しっかりと目線を合わせて、言葉を続ける。

「お前が横瀬さんに言ってくれたことは、俺の励みになったよ。めちゃくちゃ嬉しかったし、それがあるなら大丈夫だって思えた」

「……うん」

「でもさ、あれ聞いた時に思ったんだよ。お前なんだか『呪われてたい』みたいに見えるなって」

 去記が分かりやすく目を伏せた。その様は、まるで説教を受けている子供のようだ。例の拝島綜賢そうけんは、こういう去記の表情を見て、その上でそれを利用してきたのだろうか。

「お前の気持ちも理解出来ると思ったんだわ。だって、お前に本当に咎が無くて呪いも無いんだったら、今まであった苦しいこととか何だったんだよって思っちまうもんな。だから、無理にとは言わねーよ。出したくなかったら、出さなくてもいいって話」

「……けど」

 去記が、消え入りそうな声で言った。

「この目が無くても、我は水鵠衆でいていいの?」

「いていいに決まってんだろ」

 間髪入れずに阿城木は言った。

 確かに、最初に去記に会いに行ったのは、舞奏社に所属していない化身持ちがいる、という理由からだった。化身が無ければ、自分達が引き合わされることはなかっただろう。

 でも、それだけじゃない。化身が無ければ出会えなかったが、自分達は無事に出会ったのだ。なら、もうそのきっかけは要らない。

「俺はお前に、水鵠衆にいてほしいよ。お前が俺にいてほしいように。お前が七生にいてほしいみたいに」

 阿城木が言うと、去記はしばらく黙ってから「……考えておく」とだけ返した。


 そして迎えた上野國舞奏社舞奏披の日、阿城木家の敷地に出来た──『水鵠衆の舞台』は無事に完成した。全ての仕上げが済み、リハーサルがてら水鵠衆が一舞いを披露した頃には、もう夜が明けていた。固唾を吞んで見守っていた手伝いの人々も、最後の一音が終わると共に歓声を上げた。

「ちょっと待てって。まだ本番じゃねーから」

 阿城木は気圧されるようにそう言ったものの、喜びは隠しきれなかった。ここが、上野國舞奏社を追い出された水鵠衆が手に入れた、自分達だけの舞台なのだ。

「まだ本番ではないが、この歓声には偽りが無いであろう?」

 そう言ったのは、隣に立つ去記だった。

 彼の右目には、今や懐かしいコンタクトレンズが嵌められている。人工的なもので覆われた瞳が、それでも入彦には美しく見えた。

「どうした、我の目に見蕩れたか?」

 入彦の視線に気がついたのか、去記が悪戯っぽく笑う。

「ああ。マジでいい色してんな」

「ふふん。泣く子もはしゃぐ九尾の目だぞ」

「ちょっと、何やりきった感出してるの? むしろこれから気合いを入れなくちゃなんだからね! うー、色々あって仮眠しか取れてないし、ねむ……」

 軽く眠そうな目をしながら、七生が言う。こんな状況でも眠気を覚えられるのだから、逆に神経が太いような気もした。どうにか七生を自宅に引きずって行くと、臨戦態勢の魚媛に迎えられた。

「あ! おかえり! ていっても庭が舞台なんだけどね! ほら、ベビーカステラ焼いたから、入彦もちーくんもコンちゃんも食べて! お父さんは今、みんなのこと宣伝に行ってるから! ほんとのほんとにラストスパートよ!」

「ベビーカステラ!? 本当に!?」

「本当よ。ハチミツも入れたから、たっぷり食べてね」

「ありがとうございます! これでいくらでも頑張れます!」

「お前、急にしゃっきりするな……」

「我もベビーカステラ好きだぞ。お祭りのあった日の捧げ物には、たまにこれが混じっていたのだ」

 これはパンと同じ枠に入れていいものなのだろうか、と思いながら、阿城木も黙々とベビーカステラを口に運んでいく。魚媛が作ったベビーカステラは、口当たりがよく、噛めばほろほろと解けていった。だが、これはどのくらい食べれば満腹になるんだろう?

 お代わりも焼けちゃうからね、という魚媛の言葉が終わるなり、不意にインターホンが鳴った。パタパタと慌ただしく魚媛が玄関に向かう。

「朝食時に申し訳ありませんね。少し、お邪魔しますよ」

 そうして聞こえてきた声に、反射的に背筋が冷えた。

 全く乱れない一定のリズムで、来訪客が廊下を進んでくる。足音ですらその人と分かってしまうのだから、彼女の存在感といったら素晴らしい。

 すうっと開かれた襖の奥に、魚媛に連れ立たれた横瀬貞千代が立っていた。

「おや、ベビーカステラとは洒落た朝食だこと。今日の上野國舞奏披でも、ベビーカステラの屋台の出店予定があるのですよ。私も小さい頃は、こういう子供騙しでお腹を膨らませるのが夢でした」

 そう言って、横瀬が低い笑い声を上げた。

「どんな来客でも受け容れるのが阿城木家。どうぞ、横瀬さん。よかったらベビーカステラも召し上がってくださいな。私、いくらでも焼きますから」

 魚媛が明らかにツンとした声と顔で、横瀬を食卓に着かせる。その目が無言で「負けんじゃないわよ」と言ってくるが、そんなことを言われても、という感じだった。『対決』するつもりは勿論あったが、どう考えても舞台はここじゃない。

 一体どうしてこんな朝早くに、横瀬は家に来たのだろうか。目の前でベビーカステラを食べ「これはなかなか」と笑っている老女は、相変わらず底が知れなかった。

「さて、阿城木入彦」

「……はい」

「どうやら、上野國舞奏披と同日同時刻に、この場所で私的な舞奏披を行うとのことで。いやはや、宣伝に躊躇いを無くしたあなた方は強いこと。随分広まっていましたよ」

「これは私有地で行われる私的な催しです。それに、俺達は水鵠衆の名前を使っていない。横瀬さんが止める正当な理由は何一つない」

 予め用意してあった言葉を口早に告げる。

 上野國舞奏披に合わせて、自分達の舞台を使った自分達の舞奏披をやる。そう決めたはいいが、上野國舞奏社はきっとどうにかしてそれを止めようとするだろうと思っていた。

 だが、阿城木の警戒を余所に、上野國舞奏社からの──というより横瀬貞千代からの妨害はまるで無かった。拍子抜け半分、余計に恐ろしいのが半分の状況だったが、まさか当日の朝に仕掛けてこられるとは思わなかった。しかも、こんなに無防備な食卓で。

 身を固くしている阿城木の前で、横瀬は優雅に微笑んだ。

「いえいえその通り。上野國水鵠衆を名乗ってもいない人々の、私有地でのお遊びに私どもは文句を言えない。その通りその通り。よくお勉強されたのね、誰のアイデアかは分からないですけれど」

 横瀬は軽く頷きながら、静かに続けた。

「あなた方を見に来る人々もいるでしょう。よろしいことです。けれど、それは上野國舞奏披から人を奪う行為でもありますね」

 阿城木は分かりやすく息を吞んだ。

「それは上野國舞奏社で舞奏披を行っているノノウ達を踏み躙る行為なのだとは思いませんか。ルールを守って、正しく舞奏をやっている彼らを傷つけることなのでは?」

 それは、頭の隅にはあったことだった。上野國舞奏社には、阿城木の他にもノノウとして勤めている人々がいる。こうして私的にゲリラ舞奏披を行うことは、彼らとも明確に対立することだ。場合によっては、観囃子を奪われたと感じるかもしれない。

 そんなことをして、本当にいいのだろうか、とは正直思った。ノノウだって、舞奏披の為に稽古を重ねてきたのに、こんな当てつけのようなことをされたらたまらないだろう。運命が掛け違えていたら、同じ屈辱を味わっていたのは自分だったかもしれないのだ。

「……その通りだと、僕も思う」

 その時、七生が静かに言った。

「ちゃんと稽古を重ねてきたノノウには、残酷なことをしてしまうだろう。けれど、元より僕らが挑むのは舞奏競まいかなずくらべだ。舞奏は、そもそも競い合い、戦い合うものなんだ。僕らは上野國のノノウと歓心を競う。ただそれだけ。これが舞奏の伝統でしょう?」

 そのまま、七生が好戦的に笑ってみせる。上野國舞奏社に伝わる、長刀なぎなたが背後に見えた。七生の中には、いつでもその長刀があるのだ。

「彼らが僕達を赦せないなら、舞奏で戦いましょう。僕らは切り捨てられる覚悟を決め、血振りをすることを見据えて舞うんです。波風を立てて失礼、上野國舞奏社総掌」

「なるほど、あなたの気持ちは分かりました」

 そう言って、横瀬が立ち上がった。魚媛に「ベビーカステラをごちそうさま」と言って、立ち去っていく。

「……びっくりした、なんなのだあれ」

 去記が呆けたように言う。

「さあな。宣戦布告かもな」

「はー、あのお婆さん本当に怖いんだけど! あんなに怖い総掌っているの!? いや、どこもあんな感じなのかな……」

「俺が言うのもなんだけど、横瀬さんはかなり特殊例だぞ」

「うええ、上野國に来るのやめればよかった……」

 心にも思っていなさそうなことを七生が言う。それを軽く笑いながら、阿城木は言った。

「ありがとな」

「へ、な、何のお礼?」

「さあな。ベビーカステラ平らげの礼?」

「だったらもっと普段から感謝してよね! こんなんでいいならいくらでも食べるんだから、五個食べるごとに一回感謝して!」

「だったらいつもいつも作ってやってる俺に感謝しろよ。おはぎ二個つくるごとにひれ伏せって」

「か、感謝してるし!」」

 頬を膨らませる七生を見ながら、阿城木ももう一つベビーカステラを口に放り込む。

 切り捨てられる覚悟と、血振りをする意思。その両方を携えて、自分達は今日、舞台に立つ。今までさざなみすら立たなかった世界に、大きな波乱を生んでいく。上等だ、と阿城木は心の中で呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る