浪磯のなんでもない日常(後編)

「ぎゃーっ! わたくしのコミュニティ掲示板がクッソほど燃えてやがりますわーっ! えっまた炎上? マジで!?」

 九条比鷺くじょうひさぎはそう絶叫しながらスマホを放り投げた。横にいた三言みことが器用にそれをキャッチして「また炎上したのか?」と心配そうに尋ねる。

「そうだよ、また炎上だよ! え、今回マジでヤバいって……うっそだろ信じらんない、何で俺ばっかこんな目に……」

「今回は何をやったんだ?」

「えー……大したことやってないって……雑談放送……で、なんか流れで言った発言が拡散されて……」

 タオルケットに包まったまま、比鷺は涙目でスマホを突きつける。そこには『くじょたん、人気アイドルに暴言。ファンガチギレ』というタイトルの短い動画があった。



『えー、八谷戸遠流やつやどとおるのファンなの? うわー、趣味悪すぎ。あんなん顔だけじゃない? ていうか俺、あの映画のCM見るだけで笑うんだけど。「千切られたいの~?」とかいう決め台詞ヤバすぎじゃない? 何を千切るんだっつーの。主語入れろよ主語。笑うわ』



「これが切り取られて、八谷戸遠流ファンまで回って、その……」

 比鷺は苦々しく呟く。これで通算三度目の炎上だった。しかも、今回は外に広がるタイプの炎上なので、なお悪い。謝罪はしたくないが、これ以上怒られたくもない。八方塞がりだ。

「……遠流の悪口を言うのはよくないな。友達だろ」

「う、正論……。だーってさー、うっかり出ちゃったんだもん。いいじゃん幼なじみなんだからこんくらい。ていうかあいつは連絡も寄越さない薄情もんだし! あーでも周りは俺達の関係知らないんだもんなー! 詰んだ。あいつがこんな人気者だと思わなかったんだよ……。ファンにちょー怒られてる……」

 今をときめく人気アイドル・八谷戸遠流は比鷺の幼なじみだ。

今日部屋に遊びに来ている三言と合わせて、小さい頃は三人でよく遊んでいた。『九条屋敷の比鷺くん』として周りから遠巻きにされていた比鷺にとって、二人は数少ない友達だった。



 しかし、遠流はあっさりと自分と三言を捨て、何の相談も無しにアイドルなんかになってしまったのである。比鷺にとって、これは明確な裏切りだった。気取った顔でテレビに映る遠流を見る度、比鷺は苛立ちと寂しさでいっぱいになる。そうしてとどめの炎上だ。もう嫌だ。遠流なんか嫌いだ、と比鷺は何度も唱え続ける。

「はー、どうしよ。勝手に鎮火しないかなー。無かったことになんないかなー! もうくじょたんって言ったら実況より炎上の方が有名じゃん」

「こんなことを言うのはなんだけど……比鷺は本名で活動してるわけじゃないんだから、名前を変えればいいんじゃないのか?」

「いやそりゃ俺がそこらの有象無象の一絡げみたいな雑魚ボイスだったらそれもありかもしれないけどさぁ。この声だよ? 奇跡のキュートボイスだよ? 転生したってくじょたんって秒でバレちゃうってー。うわー、辛いわー! まさか美声がこんなに重い十字架となるとはなー!」

「そうか、なるほど。確かにその通りかもしれない。比鷺の声は特徴的で聞きやすいから」

「あっ駄目、これはこれで鬱になってきた」

 素直に受け取って投げ返してくれる三言の言葉は、普段は嬉しいけれど今は辛い。

「名前は変えらんないって。今の数少ない視聴者たちは大切にしたいし、ていうか転生したら絶対見つけてもらえないだろうし……『くじょたん』ってハンネ気に入ってるし……他のとか考えられないし……」

「ううん、比鷺だから『ひさぎん』とか」

「うわ、伸びなそー。くじょたんの人気の八割は語尾の『たん』が可愛いからだから」

「そうか。……でも、俺は応援してるからな、くじょたんのこと」

 まっすぐこちらを見る三言の目が微かに輝いている。

 眩しいな、と思った。思わず目を細めてしまう。

 比鷺はこの一年、まともに外に出ていない。

 折角入学した高校も二日で辞めてしまった。三言も遠流もいない教室は、比鷺にはちょっと居心地が悪すぎた。それ以来、比鷺は実況と三言の訪問を通してしか外の世界と繋がっていない。


「ていうか、俺のことはもういいよ。三言はどうなの。……舞奏まいかなず

「ああ。稽古は欠かしてないぞ。期待に応えられるよう頑張ってる」

 三言が笑顔で言うので、何とも言えない気分になる。

 三言が舞奏衆まいかなずしゅうを組んでいた相手に逃げられたことは知っていた。浪磯ろういそでは噂が巡りやすいし、『化身』持ちのげきである三言は注目の的だ。舞奏衆を組む相手が出来たとあんなに嬉しそうだったのに、結局全然保たなかった。

 逃げ出してしまった理由も分かる。何しろ三言の舞奏は次元が違う。並大抵の舞い手じゃ並び立つことも難しい。本人の資質もさることながら、努力の量だって半端じゃない。ノノウ出身の彼は、三言の近くにいるだけで消耗したはずだ。同情する。

 残された三言だって辛いだろう。けれど、三言はそれを表には出さない。覡としての役目を真摯に果たそうとしているし、揺らがない。その様はさながら北極星だと思う。

その孤独に寄り添ってくれる誰かがいればどんなにいいだろう。



 ──たとえば、自分とか。



 そこまで考えて、比鷺はもう一度ベッドに沈み込んだ。

 何を隠そう、比鷺にも『化身』がある。しかも、首の後ろ、自分では見えない絶妙な位置に。

 この妙なあざさえあれば、無条件で舞奏の才能があると認められるらしい。つまり、比鷺ならすぐにでも覡として三言と並び立てるわけだ。

 ただ、そんなことは絶対に出来ない。三言と舞うのも、舞奏競まいかなずくらべなんて目立つ場に行くのも嫌だ。失敗するのも失望されるのも怖い。何の取り柄も無い比鷺のところに、三言が毎週来てくれるのは、自分達がまだ友達だからだ。舞奏衆になったら、きっとそれだけじゃなくなってしまう。

 だから、絶対にやらない。『化身』が発現したと知った時、三言は喜び勇んで舞奏に誘ってきたが、比鷺はかたくなに拒絶した。第一、こんな痣があったところで本当に舞の才覚に恵まれているとも思えない。

 それ以来、三言が舞奏に誘ってきたことは一度も無い。三言は友達である比鷺の嫌なことは絶対にしないし、約束も違えない。ちぎったことは必ず守る。

 それをありがたいと思うと同時に、申し訳なくも思っている。ただ、比鷺は絶対に動かない。身の程を弁えているのだから、もう引きずり出したりしないでほしい。

 願わくば、三言が幸せでありますように。一緒に舞奏競を戦ってくれる仲間が出来ますように。天井を見つめながらそう願う。そんな比鷺に向かって、三言は心配そうに言った。

「なあ、比鷺のスマホ、震え続けてるぞ」

「あーあーあーどうせ愚痴アカからのDMだろー? 怒ってんのは分かったってば! もういい、しばらく見ない。三言が電源切っといて。あーもうマジでやだ……最悪……」

「分かった。切ったぞ」

「ついでに謝罪放送するまでいてよぉ……。隣で手握ってて……」

「いや、これから舞奏社まいかなずのやしろに行く予定があるから無理だな」

「ぎゃーっ! この薄情者―っ! 大事な幼なじみが灰になってもいいのかよ!」

「けど、比鷺が実況をやめるとは思えないしな……」

「ねー、何でそんな痛いとこついてくんの!?」

 比鷺がバタバタとベッドの上で騒ぐ。こうやって駄々をこねたところで、三言はさっさと舞奏社に行ってしまうだろう。三言は約束を違えないので、出来ない約束はしないのだ。一貫していて素晴らしい。


 この時丁度、比鷺のスマホには人生を変えるようなとあるメッセージが届いていたのだが、炎上に怯える比鷺がそれを見たのは、少し後になってからだった。







『久しぶり。僕が目を離してる隙に堕ちるとこまで堕ちたみたいだな、惚れ惚れするよ。そこらの薪の方がお前より有用だよ、このインターネットタンクローリーが』


『来週にはそっちに戻る。そして、僕は必ず三言を〈大祝宴だいしゅくえん〉まで連れて行く』


『僕が戻るまでにお前の舞奏をどうにかしておけよ。もし僕と三言の足を引っ張るようなら、何を千切るのか、お前に直接教えてやるから』


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