分かれ道

はるより

難航

「……これにも無いか」


 紡は『帝都歴』と書かれたハードカバーの書物を閉じ、肩を落とす。

カフェー・マスカレェドにて総帥から『幸せの子計画さくらんぼプロジェクト』の真相を伝えられてから約四ヶ月。

 紡は寺子屋と稽古の合間を縫っては桜花書籍館に足を運び、絃の死を回避する手立てを探していたが、未だ収穫はゼロである。


 そもそも『幸せの子さくらんぼ』の本質自体が秘匿されたものであるため、そう簡単に情報を得られない事は想定していた。

 また、漁りに漁った文献の中から、紡が知る絃の持つ『力』に関わりそうなものは幾つか見つけることができた。

 しかしそれは人々の魂の輝きだとか、桜に宿る精霊だとか、そのような概念の域を出ない物である。


 ただ、その中でも紡には気にかかる事があった。

 現在の桜の帝都で、人々の中に根付いている宗教といえば『桜花教』くらいのものだ。

 そもそも紡も含めて、帝都の人間は意識して桜の花を崇めているというよりは、『万物に宿る桜に対して、当然の如く感謝の念を抱くべきである』と、教義を倫理に近い物として受け取っているように思える。


 そんな帝都だが、書物の中で歴史を辿ると不思議な事に気づく。

 御伽噺にも語られる千年前、帝都が生まれるその時以前の情報が、どんな文献でも一切語られていないのである。

 単に千年という長過ぎる期間の中で、過去の歴史の記録が失われただけだとも考えられるが……それにしては、余りにも時代の境目がはっきりとし過ぎているように思えた。


 それから、これは紡がこれまでは考えた事もなかったものについて。

 『神掛かった』『神隠し』『神頼み』など、『神』という文字が含まれた言葉が存在するにもかかわらず、その『神』というものが何を指すのかを理解出来ないのである。


 桜花教が信仰対象とするのは、『桜』。

 そしてそれは、皇帝が人々に与える加護。

 つまり、帝都の人間には崇めるべき『神』など存在しないのだ。

 だから、紡には『神』が何を指すのかが分からない。

 文字の使われ方から紡は、それが途方もない存在である事は察しがつくが、言わばそれまでである。


 そういった思考を巡らせる中で紡は、何か自分の知るこの『世界』には、大きなものが欠落しているのではないか、という漠然とした疑念が生まれたのであった。


 そもそも、それまでは考えたこともなかった『別の世界』が空に現れたのは、つい六年前のことである。

 そんな霧の都や、カフェー・マスカレェドに集う面妖な者たちの事を考えれば、まだ目に見えていないだけの『何か』が存在していたとしても、微塵も不思議ではない。

 ただ、その真相にこの書籍館で辿り着ける事は決してないのだろう、と紡は薄々感じ始めていた。


 だから紡はこの桜の帝都に存在する書物の中で最も古い書物、または禁書とされるべき文書があるとすれば、それはどこかを考えた。

 そして思い当たったのは、今は亡き父がかつて語ってくれた土産話だった。

桜花御所を護る皇宮警察の拠点……そこに併設されていらしい巨大な書物庫。

 関係者以外立ち入り禁止とされており、中に入ることが出来るのは許可を得られた人物だけだという。


 紡は、帝都軍について考える。

 かつての幼い紡にとっては、軍人は憧れの対象であった。

 父の背を見て、いつかは自分もあの様に立派な男になり、この帝都の平穏を守るのだと……そう心に決めていた。


 だが誓約生徒会カヴェナンターとなり、迎撃戦に参加するようになって、紡は複数の『元軍人』と出会ってきた。

 戦いの中で紡の事をよく助けてくれる彼らは、実際に目の当たりにした帝都軍の内情を語った。

 それは紡が夢に描いていた『帝都軍』とは大きく異なっており、失望したというのが正直な感想である。


 紡の父、朝夕綴が身を置いていた筈の皇宮警察は特に良からぬ思想が蔓延っていたらしく、今や『帝都反乱軍』として活動している銕 轟旡くろがね とどろきは、元同僚たちのことを『クソ溜まりに群がる蛆虫ども』と評していた。


 やがて、そういった散々な評判を耳にした紡は、自身の将来の姿を見失いつつあったのである。

 ただ書物庫に入る機会は、少なくとも皇宮警察と関わりを持たない以上は訪れないだろう。


 桜の帝都には、一般的に軍学校と呼ばれる教育機関がある。

 そこに所属する学生達には大きく分けて二通りの道があった。

 一つは、将来的に軍に所属する一般兵となる人間が戦闘訓練を中心に受けるコース。

 入校には試験に合格する必要があるが、その内容は戦闘実技のみであり、実力さえあれば年齢性別問わずに通う事ができる。

 また、このコースで軍に所属した人間も、ある一定の功績を上げることで上位職に就くこともできるため、人生の一発逆転を狙うために門を叩く者も少なくないのだという。


 そしてもう一つは、将校……つまりは軍隊の指揮官となるため、戦術や兵法を学ぶコースである。

 入校には多額の入学金が必要となるため、基本的には名門の家名を背負った人間のみが所属している。

 ごく稀に、才を見込まれた者が帝都からの援助を得て籍を置くこともあるようだが、これは相当なイレギュラーケースだ。


 武家としてある一定の名を馳せている朝夕家の男子は、代々この軍学校に通って来た。

 中には物好きで一般兵に志願した者もいたらしいが、基本的には皇宮警察に所属して将校や参謀、または軍事学者の立ち位置に就くのが習わしである。

 故に紡が軍学校に入学し、皇宮警察を目指すこと自体は自然なため、目的がどうであろうと、現在の朝夕家の長である母親は応援してくれることだろう。

 とはいえ、重ね重ね『腐った』話を聞かされた集団の中に何の気兼ねもなく飛び込めるほど、紡は愚鈍な人間ではなかった。


 それからもう一つ、彼の中で躊躇う理由がある。

 軍学校は、これまで紡が通っていた寺子屋よりも遠方に位置している。

 一応その敷地内には寮も存在するが、部屋に限りがある為、実家から通える者は通学するのが望ましいと聞いた覚えがあった。

 つまり、そこに通い続けるという事は当然ながらこれまでの生活と比べて自由時間が減ってしまうのである。

 ずっと通って来た剣術の道場も辞めざるを得なくなるし、絃や麟と過ごす時間も殆ど設けられなくなるだろう。

 環境を一変させる決心を鈍らせる程度には、紡は今の生活を気に入っていた。


 ……ただ、現状維持でまごまごしていても何も変えられないのは事実である。

 その上賭けられているのが他でもない絃の命なのだから、実のところ紡には選択の余地などはないのだ。


 紡は手にしていた本を元あった場所に戻すと、書籍館を出て帰路に着く。


 時刻はすでに十八時を回っているが、まだ空は明るく、ようやく陽が沈んだばかりの様相であった。


 季節は夏。

 日中の茹だるような暑さは鳴りを潜め、少し湿った冷たい風が頬を撫でた。

 これは夕立の一つでも来るかも知れないな、などと思いながら、少しだけ足を早める。


 帰路の中で、紡は街の様子を眺めながら歩いた。

 明日は桜花祭なので、色とりどりの紙の飾りや提灯が至る所に吊り下げられている。

 当日は絃、麟の二人と共に屋台を回る約束をしており、紡自身も数日前からとても楽しみにしていた。


「……明日の帰りに、二人には伝えよう」


 紡は尻込みする自分を叱咤するべく、そう呟くのであった。

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