31話 警句を述べよ
外に出て、俺はベティの治療を受けていた。
「ああ、やはり、やはり御屋形様には何者も敵わないのです。ブレイズ様でさえ……!」
「ベティ! 泣きごとは良いから手を動かして」
「はぃい……! ごめんなさい、ティル様……!」
俺の惨状にぽっきり心が折れてしまったベティだったようだが、それでも手は手際よく動いた。俺の動きを阻害する血の棘をすべてへし折り、流れる血を凍らせて止めた。
「ふぅ……。随分動きやすくなった。これで、戦える」
「え、ま、また行くのですか、ブレイズ様。しょ、正気の沙汰ではないです。あなたは、あなたは死にかけたのですよ!」
必死にベティは泣きついてくるが、俺は首を振る。
「いいや、戦う。そして今度こそ殺す。ブラッドフォード侯を殺さねば、俺はいつまでも囚われたままだ」
俺が言うと、ベティはしゅんとする。代わりに目をパチパチとさせて俺を見るのは、ティルだ。
「……どうかしたか、ティル」
「今、レイ自分の望みを言った?」
「……言った、のか?」
「まだ、無自覚。むぅう。もう少し、なのに」
ティルはジタバタして、もどかしい様子だ。俺は首を傾げ、それから周囲の気配を探る。
俺たちが隠れていたのは、数多くある使用人の寝室の一つだった。ベティの部屋ではすぐにバレてしまうので、他の使用人の部屋を使っている。
その中で、ベティは「分かりました」と眉根を寄せて頷いた。
「どうか逃げてください、と言いたいところですが、ブレイズ様が首を縦に振る気がしないので、ご武運を祈ります。ですが、あなたの身体はボロボロ。その事は、お忘れなきよう」
「ああ。ありがとう」
俺が頷くと、ベティはボロボロと、珠のような涙を流し始めた。
「……自分の無力さが、恨めしいです。せっかくブレイズ様の下に戻れたというのに、ワタクシは、あなた様のお力にもなれない……!」
「応急手当だけで、十分助かっている。このような怪我は、俺とて困難だ」
「私にもできない。ベティは役に立ってる」
「お二人とも……!」
ベティは俺とティルの手を握った。それから涙をぬぐい、言う。
「重ねて、重ねて、ご武運を。御屋形様に、勝ってきてくださいまし……!」
「ああ。―――行くぞ、ティル」
「ん」
俺はベティの手を離し、ティルの手を取って扉を出た。それから、少し歩く。
「どうすれば、勝てると思う」
俺は、半ば独り言のように言う。ティルは言った。
「警句。警句を述べれば、真の力を振るえる」
「……あの、人間は欲深いだの、何だのとか言うアレか」
「……」
ティルは、目を瞑ってブンブンと首を振る。
「違うのか?」
「……分からない。私は元々、人間になれるような剣じゃなかった。『人間とは、欲深きものであるが故に』っていう警句は、多分もう機能しない。今の私の本質は、そうじゃない」
本質。警句は、剣の本質を突いている必要があるという事か。決められているものではなく、本質を言い表し、力とするという事なのか。
そこで、俺は気配を感じた。ティルを抱え、物陰に隠れる。
「血よ、爆ぜよ」
僅かに物陰に隠れきれていなかったか、俺の肩から血が爆ぜる。俺は素早く飛び出した血の棘を取り去り、声を投げかける。
「随分と遅い登場だ。余程俺たちとの攻撃が効いたと見える」
「は、は、は……。ああ……その通り、だとも……。血は流れ、止まらず、私は、とうに死にかけだ……」
背後から響く、ブラッドフォード侯の声。「だが」と奴は続ける。
「それでも、それでも、だ。貴様は、殺すぞ、ブレイズ。お前を殺し、バーニアスの
びしゃ、と水気を含んだ足音を聞く。俺もそうだが、奴も大概血にまみれているらしい。
しかし、どうする。ここは廊下だ。飛び出せば侯の血の魔法の餌食となり、隠れていてもいずれ終わりが来る。
警句。俺の脳裏によぎるが、これはどう手掛けたものか、謎が多い。いつも通り、剣術と戦術で切り抜けるのが固いだろう。
となれば、接近して来た、一瞬。そこで勝負を決める。先ほど血で斬撃を防がれた時、何をどうやっているのかは掴んだ。次は、対処できる。
「ティル」
俺はティルを呼び、剣になった彼女を構える。呼吸を沈め、深く息を吸い、吐く。
近くで、足音を聞く。俺は、飛び出した。
血まみれで、候は至近距離に立っていた。その周りには、衛星のように血が巡り候を守っている。
侯はおれが仕掛けたのを受けて、目を剥いて俺を見た。直後血の一部が飛び、俺の手に向かう。だが、それは種が割れている。
俺は手に向かう血を、剣を高く掲げて躱す。上段。そこから、一息に振り下ろした。
一太刀で、血の衛星が断たれる。
「ッ……!」
「先ほどは小技が効いたが、この程度二度食らう俺ではない」
剣を引く。切っ先。狙うは侯の首。俺は突き出す。
「観念しろ、ブラッドフォード侯」
貫く。ティルヴィングが侯の喉を食い破る。その手応えに、俺は目を剥いた。
「―――魔法使いとは、こればかりかッ!」
「無論だ。オヴィポスタ伯が最も嫌がった術だぞ。子々孫々、伝えない訳がないだろう」
侯の姿が崩れ、血液の膜となる。その向こうに、本物の侯が立っていた。俺に杖を向けている。
もう、いい。破れかぶれだ。
本気で、行かせてもらう。
俺は足に渾身の力を籠め、弾けるように走り出した。侯の姿だった血液が棘となって襲ってくるが、俺にはもう追いつけない。俺は廊下を瞬時に駆け抜ける。
「なっ、速すぎるッ―――血よ、爆ぜ」
「燕切り」
「よ―――ぐぁああああああ!」
「ぐぅっ……! がっ」
俺は前に跳躍し、縦に剣ごと回転しながら候の肩上を通り抜けた。結果は相打ち。俺は侯の肩口から深く一太刀を入れ、侯は俺の血を爆ぜさせた。
俺は内側から俺を貫く血に邪魔され、着地に失敗して地面を転がった。ゴロゴロと地面を回る度に、棘となった血が俺の皮膚を剥がしてさらなる傷を負わせてくる。
「レイッ」
ティルは、すぐさま人間の姿に戻り、俺を物陰に引きずった。侯が「ぐぅううう! 逃さぬ! 逃してなるものか! 貴様を連れず、死ねるものかぁぁああ……!」と唸っている。
「レイ、レイ……!」
ティルは涙を流して俺を抱きしめている。俺は荒い息をつきながら、「今回は、生涯でも十本指に入る程度には、窮地かもしれないな」とこぼす。
ティルは、俺の胸に顔を押し付けて、絞り出すように言う。
「もう、もう帰ろ……? あんな人のこと、もう忘れようよ……! 私は、レイが死なないでいてくれれば、傍にいてくれれば、本当は何でもいいの……!」
「……ティル……」
俺は、そっとティルの黒髪を撫でた。俺の手に着いた血で、ティルの髪が汚れる。俺は、知らぬ間に手さえ汚していたか。
「お前が、そういうなら、そうしようか。もう、帰ろう。侯は、どうせ、死ぬ。脱出だけ、できれば」
俺がそう言うと、ティルはハッとして首を横に振る。それに、俺は口を閉ざした。ティルは、涙のままに目を伏せる。
「ごめん、ごめんなさい。それは、ダメ。ちゃんと、あの人を倒さなきゃ……」
「……気でも、変わったか。だが、ティルがそう言うなら」
「―――本当は、逃げて欲しいッ!」
ティルは、押し殺すように叫ぶ。俺はどういう事か分からず、何度かまばたきする。
「ティル……?」
「ごめんなさい。ワガママで、ごめんなさい。振り回して、ごめんなさい……。でも、でも……」
髪を振り乱して、ティルは首を振る。相反する望み。絶対に殺したいが、絶対に俺に死んでほしくない。
だが、ティルに侯を殺したいという望みを、強く抱く理由はないはずだ。俺は、それに気づく。
それで、問うていた。
「ティル。お前には、俺の望みが分かるのか……?」
俺が聞くと、ティルは目を開いて、静かに頷いた。それから、とつとつと言葉を紡ぐ。
「私は、強欲の剣。人の欲望のことは、誰よりもよく分かる、の。使い手のレイのことは、誰よりも、分かる。レイが分からなくても、私が、分かる」
「なら、侯を殺したい、というのは、……俺の望みか」
「レイは、あの人を殺さなきゃ、前に進めない。そう言う風に、思ってる。だから、絶対に倒さなきゃって、望んでる」
ティルは、俺の手を掴み、自らの顔に近づける。
「私の望みは、二つだけ。レイと、ずっと一緒に居ること。レイの望みを、叶えること」
だから、困る。ティルは、そう言う。
「たった二つの望みが、ケンカしてる。このままだと、レイが死んじゃう。でも、逃げたらレイの望みを叶えられない」
そう語るティルの中に、俺は光を見出した。かけがえのない、尊い光を。
「私はね、レイ……。レイが、私の望みを望んだから、人になったんだよ……? 私の望みを望んでくれたから、私は、ワガママが言えるようになったんだよ……?」
ティルは、俺のことを抱きしめる。俺はそっと抱きしめ返し、考えを深める。
「だから、絶対に、レイの望みを捨てたくないの……! だから、逃げたいのに、逃げられないの……。どうしよう、どうすればいいの……っ?」
ティルは泣きじゃくりながら言う。少し離れたところで「どこに、隠れた……ッ! でてこい、ブレイズゥ……!」と侯が喉から声を絞り出している。
俺は、告げる。
「お前の望みを叶えよう、ティル」
「え……?」
ティルは、目を丸くする。深くて綺麗な瞳が、涙で光を乱反射しながら俺を覗き込んでいる。俺は表情を緩めて、続ける。
「お前の望みが、俺の望みだ。望みを言え、ティル」
「わた、し。私は、私の、望みは」
ティルは唾を飲み下す。俺をぎゅっと抱きしめて、言う。
「レイの望みを、叶えること。あなたの望みを、叶えたいの」
「―――ああ、分かった」
俺は、強くティルを抱きしめ返す。
「お前の望みを叶えよう、ティル」
光が、強くなる。警句が、成った。
ティルは、まばたきの内に剣になっていた。魔剣ティルヴィング。そこからは、今まで見たことがないような光が漏れ出ている。
俺は剣を携え、物陰から出た。
侯が、俺の足音を聞いて振り返る。血で汚れ、その心は息子の死に壊れ、恐ろしい外見と化している。
「ようやく出てきたなぁ……! ブレイズ、貴様を、貴様を、殺してやる……!」
「やってみろ、ブラッドフォード侯」
俺は剣を構え、姿勢を低くした。ブラッドフォード侯は居丈高に、俺を杖で指し示す。
「血よ、爆ぜよ」
俺は、剣を振るう。
キィイイイイン……、と甲高い音が響いた。俺の血は、爆ぜていない。斬ったものも、目には見えなかった。だが、確かに何かを斬った。俺はそれを感知し、確実に切り伏せた。
「……は、ぁ……?」
侯は、その光景に、理解できないという顔をした。何かの間違いを疑って、再び口にする。
「血よ、爆ぜよ」
剣を振るう。金属音。俺の血は、爆ぜない。
「な、何故。血よ、血よ、爆ぜよ!」
「無駄だ」
俺の剣閃で、発動前の魔法が斬られて破綻する。
「何故だっ、何故、何故だ! 血よ爆ぜよ! 血よ爆ぜよ! 血よ爆ぜよ!」
剣を三度振る。血の魔法は無力化され、俺に影響を及ぼさない。
「何故だ! この血の魔法は、一度血を流せば全て必中となるはず! 避けることも、防ぐこともできないはずなのだ!」」
「ああ、そうだな。だから苦戦した。だが、もう俺には効かない。俺はその、過程の存在しない魔法を切って、阻害できる。俺に、その魔法は通用しない」
俺が言うと、侯は顔を真っ青にして、「くっ」と言って廊下の方に駆け出した。それから周囲の血に命じる。
「軍を成せ! 奴を殺せ! 血よ、血よ、血よ!」
血の中から、甲冑で全身を覆った騎士が現れる。俺はそちらに歩み寄りながら、口にする。
「ブラッドフォード侯。お前が俺の脅威足り得たのは、過程がなく、防ぎようのない攻撃を放ってきたからだ。―――同じことが出来ないのならば、お前は俺の敵ではない」
足に力を籠める。俺は、その場から弾け飛んだ。
肉薄。血の騎士は俺に反応して、剣を振るう。だがこんなもの、物の数ではない。腕。血の騎士たちの腕を一振りで斬り飛ばす。
剣を、流す。
俺は回転して、最初に奴らの足を一薙ぎにする。体勢を崩す前に、さらに一回転して首を刎ねる。最後にもう一回転して、俺は血の騎士の胴体の一つを強く正面に蹴り飛ばした。
血の騎士の胴体は、まっすぐに飛んで逃げる侯の背中にぶつかった。侯は前につんのめって、派手に前方に転ぶ。
さぁ、終わりにするぞ。
俺は駆け出し、跳躍した。起き上がろうとする侯の上空から、強襲を掛ける。
「ぐぅっ、血よ―――!」
俺は、目を細める。
「もう、何もさせるものか」
ブラッドフォード侯の腕を斬り飛ばす。杖ごと侯の腕は廊下を転がった。
「ぐぅぅうああああああああ!」
侯が高らかに叫びを上げる。俺は剣を逆手に掴み、その胴体を貫いた。
「あああぐぷっ、ぶわぁああ……!」
侯は口から大量の血を流す。俺は侯の上に馬乗りになって、何度もその胴に剣を突き下ろした。
「ぐぁ、が、あ、ぎ、ぁああああ!」
「……」
幾分か気が済んで、俺は侯に剣を刺したまま立ち上がった。侯は剣で胴体を貫かれながら、顔の下半分を血で染めて俺を睨む。
「ぶれ、いず……ぅ」
「さようならだ、ブラッドフォード侯。息子と共に、地獄に落ちろ」
俺は剣を掴む。すると、侯は刀身を掴んで叫んだ。
「呪われよ、ブレイズ! 狂った剣聖の子よ! 撫で斬り鏖殺の剣鬼よ! 貴様は復讐に狂った虜囚だ! 貴様が自由になることはない!」
「……?」
今更、何を言っている。そう思った時に、不意に周囲に小さな気配があることに気付く。
廊下。その両壁。そこには、十二の顔が浮かんでいた。血で出来た、小さな仮面のようなそれらが。
「聞け! 呪われた勝利の十三振りの使い手たちよ! 我らが殺した剣聖の子が、ついに復讐を始めた!」
俺はそれを聞き、奴の魂胆を知る。
「奴はまず手始めに私を殺し、そして次は貴様らの誰かを殺しに行くだろう! 貴様ら全員を殺すことで、その仇を取ろうというのだ! それを止めるには、奴を殺すしかない!」
俺は剣を抜く。ブラッドフォード候の首目がけて、剣を振り下ろす。
「がぁ、ぷ、ぁ……」
喉からも口からも血が溢れる。その血が、地面で顔をかたどった。
血の顔が、侯の声で話し続ける。
「殺されたくなくば、殺せ! 狂える剣聖は、その息子の才覚の中に復活した! 奴を殺さなければ、貴様らに生きる道はない!」
俺はその顔も貫いて崩す。だがその血の顔は気づけば周囲に増えて、重なる声で叫びを上げる。
「「復讐者を殺せ! 「ブレイズ・オヴィポスタを! 「剣聖の子を殺せ!」」」」
壁に貼りついた、十二の顔が崩れる。俺は目を開いて、侯を見下ろした。
「ブラッドフォード侯……」
「フハハハハハハハ! これで、私が死んでも、お前を殺す者たちが動き始める! 震えて眠れ! 呪われて死んでゆけ! ブレイズ! 復讐者め! この剣鬼めが!」
俺は剣を高く掲げ、侯の頭を割った。それで、血の顔の全てが崩れる。
それから、俺は壁に背中を預けた。剣がティルに戻る。俺に抱き着いて、涙をこぼす。
「良かった……! レイ、勝った。勝った……!」
「……ティル、今の」
「……? 何か、あったの? 剣だと、何を斬ったかしか分からなくて」
首を傾げるティルに、俺はふ、と笑って、その頭を撫でる。
「いいや、何でもない。勝ったぞ、ティル」
「うん……!」
俺は天井を仰ぎ、一息ついた。禍根を残すことにはなったが、勝った。今は、それでいいだろう。
戦闘の終わりを察知して、ベティが飛び出してくる。そして俺に、ティルと並んで抱き着いて、わんわんと泣くのだった。
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