30話 血の魔法使い、ブラッドフォード侯

 俺は、一息にブラッドフォード侯へと駆け抜けた。


 大広間。広い空間だった。何も邪魔なものがない空間は、俺のように剣一辺倒で戦う人間にはやりやすい。


 一閃。侯は咄嗟に避けたが、浅からぬ一太刀が奴の胴体に割入った。


 血。血が、ぼたぼたと侯から流れ落ちる。侯は斬られた横腹を押さえながら、引きつった笑いを浮かべる。


「ひ、ひひ、お前は、この十年で随分と強くなったらしいな、ブレイズ。だが、それでもお前は魔法を軽視している」


 候は言って、俺に杖を向けてくる。


「魔法とは、神の奇跡を借りることだ。神の力なくして、人間は人ならざるモノを殺すことはできない。お前は昔から、その理解が足りなかった」


「神を崇めよ、というアレか。神を褒めよ、神を讃えよ。神に媚びよ。バカバカしい」


「ふふ……。そんなものは、本質ではない。我らドルイドの魔法使いは、神との対話を本質とする。語り、歌い、意思を交わす。そこに定型などなく、あるのは親愛と寵愛だ」


 血を流しながら、侯は杖を振るった。鼻歌を歌いながら、まるでタクトのように空中を漂わせる。俺は警戒しながら、成り行きを見つめた。


「ああ、血よ」


 侯は、歌いだす。


「血よ。血族の血よ。受け継がれる血よ。流れる血よ。水よりも濃き血よ。血よ、血よ、血よ」


 歌に呼応するように、垂れ落ちた血が浮かぶ。


「踊れ」


 その一言で、血は尾を引いてくるくると巡り始めた。


「固まれ」


 その一言で、血は硬直化した。乾いた血は尖り、鋭い。


「そして、穿て」


 候は俺に杖を向けた。固まった血の内の何割かが、俺目掛けて飛んでくる。俺は剣閃を放ち、全てを切り払った。


「この程度は、児戯と変わらない」


「だろうな。バーニアスを殺したなら、そうだろう。だが、もうお前は終わりだ。お前が剣で触れた時点で、血は流れ、そして受け継がれた」


 俺は、ピリと危機感が走るのを覚えた。弾かれるように走り出す。この感覚は、古龍を殺した時以来の感覚だ。真なる強敵に相対した時にのみ流れる感覚。


 俺は侯が何かを言う前に肉薄し、剣を振るう。だが、「踊れ」の一言で候の周りの血液が俺の剣を弾いた。


 普通ならティルヴィングが弾かれるわけはない。俺は遅れて、手の滑る感覚に気付く。手の内に侯の血が入り込み、それで太刀筋が鈍ったのだと知る。


 侯が俺を杖で指し示し、告げる。


「爆ぜよ、血よ」


 俺の全身が、硬質化した血に内側から貫かれる。


「ガァッ、ハ……!」


 まるで、全身を針で貫かれたような衝撃だった。俺は体勢を崩し、倒れ込む。


 だが、この程度で死ぬものか。俺は地面に手を突く。


「ぐ……、が、ぁ……!」


「ほう……、この一撃を食らって、立ち上がろうとするか。本当に、逞しく育ったものだ。あの剣聖のように。あの狂人のように―――」


 血よ、と侯が言う。杖の先に血がまとわりつき、短剣のように変化する。


 その血の短剣で、侯は俺を突き刺した。「ぐ、ぅ……!」と体をよじって逃れようとする。体から突き出た血の棘がへし折れ、地面に転がる俺に刺さる。


「ブレイズ。お前は私の人生における汚点、呪いだ」


 侯は俺を蹴り飛ばす。俺は全身の血の棘で、まともに抵抗できない。


「お前の父親の所為で、私の人生は狂った。華々しい人生は、奴の所為で暗澹たるものとなった。お前を魔法に染めることで、その汚点は払われるはずだった」


 蹴る。刺す。そうやって、侯は俺を甚振る。俺は身をよじる形でしか抵抗が出来ない。何をするにも激痛が走って、自分が何をしているのか分からない。


「お前が、魔法を受け入れるだけで、それだけでよかったのだ。我が子二人と、そう違わぬ教育を施しただろう。だがお前は拒否し、全てを拒絶し、最後には消えた」


 這いずって逃げようとする俺の手の平に、ブラッドフォード侯は血の短刀を突き刺した。


「がぁああっ」


「それで、死んでしまえばよかった。殺せればよかった。なのに、お前は生き延びた。生き延び、力を蓄え、復讐しに来た。その所為で、その所為で、バーニアスが、バーニアスが!」


 侯が、叫び出した。狂気がさし、場が混沌とし始める。


「バーニアスには、未来があった! 才能もあった! 嫡男だったのだぞ! ブラッドフォード家の、次期当主だった! 少し気まぐれなところがあったが、その程度愛嬌だ!」


 血涙を俺に垂らしながら、候は短刀で俺を切りつけまくる。血が俺に垂れる度に、俺の中で血が爆ぜる。


「がっ、あっ、はっ」


「何故殺した! 何故! 私を狙うだけではダメだったか! 幼少期の戯れに、復讐を遂げるほどの恨みがあったというのか!? 答えろ、ブレイズ! 何故! 何故ぇっ!」


 侯が俺の髪を掴んで、眼前にまで顔を近づけて恫喝してくる。


 俺は、ハ、と笑って答えた。


「ティルが望、んだか、らだ」


「何、だと……? ティル、ティルヴィングか? 魔剣が、望んだ、から……」


「そ、うだ」


 俺は血まみれになりながらも、何も出来ないままでも、侯を睨む。殺すべき仇のことを、しっかりと見据える。


「俺は、何も望んで、いない。自分が、何が欲しい、のか。俺には、分から、ない。俺は、枯れ果てた。だが、俺にはティル、がいる。ティルが、俺の代わりに、望みを言う」


「……何を、言っている。魔剣が、望みを言う? お前は、それに従っているだけだとでも? 魔剣が、バーニアスの死を望んだ、と……?」


 侯が、俺の手に視線をやる。だが、そこにティルヴィングはない。候が、俺を怒鳴りつけてくる。


「おいッ、貴様、魔剣はどこにやっ―――」


「やぁあああああ!」


 ドン、と候に突進してくるものが居た。ティル。黒髪を足まで延ばした魔剣の少女は、ブラッドフォード侯を手から生やした剣で貫いて押し倒す。


「な、なぁ……っ!? だ、誰、ぐふっ、貴様は、誰、だ」


「レイ! 死なないで。逃げよう。ここから、離れよ……っ」


 ティルが涙をこぼして必死に言うものだから、俺は頷かざるを得ない。ティルに支えられながら立ち上がり、言う。


「ああ、お前の望、みを叶え、よう、ティ、ル……」


「うん……うん……!」


 俺たちは、よたよたとたどたどしい足取りで大広間から立ち去った。血だまりに沈んで「待て! ブレイズ! お前を、生かして逃がすものか!」と侯が叫ぶ。


 それに俺は、こう答える。


「案ずる、な。俺たちとて、お前を殺さず、に、逃げるもの、か。お前は、必ず殺す。震えて待っ、ていろ、ブラッド、フォード侯」


 俺たちは、扉を閉める。一旦、仕切り直しだ。

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