19話 父の死を想う

 俺が10歳の時に死んだ実の父、ダート・オヴィポスタとの記憶は、今もなお鮮烈なものが多い。


「レイ、剣は好きか?」


「はい。格好良くて、好きです」


「そうか。その気持ちを、大事にするんだぞ」


 そんな風なやり取りをして、微笑みながら俺を撫でてくれた父のことを、俺は忘れることはないだろう。


 父は、飄々とした人だった。常に朗らかな笑みを湛えていて、笑いながら無理難題をこなし、笑いながら無理難題を課す。そんな人だった。


「レイ、今日お父様は、神代から残された伝説の魔物を狩ったぞ」


「レイ、今日お父様は、大迷宮から押し寄せる魔王の軍勢を一人で切り伏せた」


「レイ、今日お父様は、大迷宮最下層まで到り、魔王を斬ってきたぞ」


 父の武勇伝が好きだった。英雄。勇者。剣聖。剣と武勇で立てられるあらゆる称号と名誉を、父は欲しいがままにしていた。


 また父は、同時に愛情深い人だった。家族との時間を大切にし、俺にも稽古をつけてくれた。


「レイ、お前には剣の天稟がある。だから、この程度のことはできるはずだ」


 父にそうおだてられ、俺は1歳で剣を持ち、3歳でゴブリンと決闘をさせられ、5歳でオークを殺した。


 その全てが死闘だった。ゴブリンには生傷をいくつも負いながら辛勝した。オークとは3回戦い、2回の惨敗を喫した。骨が折れ、肉が裂け、最後の一回で圧勝した。


「いいぞ、レイ。お前は俺以上の剣士になる。剣の腕だけですべてを圧倒する。恐ろしい剣士に」


 父の訓練は厳しくて恐ろしかったが、父のことは好きだった。だから苦しくとも俺は、父の教えに従ったのだと思う。


 7歳で俺はオーガと相対した。9歳でワイバーンを狩った。どちらも当時の俺にとっては、強すぎる敵だった。オーガには2度内臓を潰され、ワイバーンには10を超える骨を折られた。


 だが、勝つときは必ず、俺は一つの傷も負わなかった。


 絶えず剣を振るって分かったのは、剣がどういう武器なのか、ということだ。あらゆる動物は簡単に死なない。俺がそうだ。内臓を潰されても、骨を折られても、結局死ななかった。


 だからまず、叩きのめして無力化するのがいいと知った。


 叩いて、切って、叩いて、切って。そうすると段々と相手の心が死に向かう。攻撃を加え続けると、どこかでぽっきりと折れる。その後に、やっと殺す。


 勝つために、殺すために必要なのは、絶望なのだと知った。


「レイ。お前が生まれてきてくれたことは、俺にとって最も大きな幸運だった。お前を育てられるのは、俺にとって最も大きな、世界への貢献だ」


 父はそう言って、俺を撫でて褒めてくれた。俺はただ、それが嬉しかった。


 そして10歳になったある日、父の死を聞かされた。


 嘘だと、そう思った。父は強くなった自分よりも遥かに強い。その父が死ぬはずがない。


 だが父は帰ってこなかった。父の不在に家族はどんどんと離散していき、家は取り潰され、俺も養父の家へと連れていかれた。


 養父、ブラッドフォード候は、俺に決して剣を握らせなかった。


「ブレイズ。お前は、我がブラッドフォード家の養子となったのだ。である以上、お前が極めるべきは剣ではなく魔法だ。神に詩と願いを唱える魔法。それこそが、お前の道なのだ」


 俺には、魔法の才能はなかった。口下手な俺には神に捧げる美辞麗句など思いつかなかったし、その度に養父の実子たちに嘲られた。


「ブレイズ、お前は何の才能もないのだね。貴族で、お前の父がお父様と友人であったというだけで、タダで食事にありつけるのだから、いい身分だと思わないかい? この豚め」


「あら、ブレイズお兄様? また詠唱が思いつかないのですか? 本当に残念なお人。剣がお得意な家の生まれと聞いていましたが、剣で魔法に勝てるわけがありませんのに」


 クスクスと笑われ、俺の心はぐずぐずと腐っていった。元居た家からついて来てくれたベティなどは励ましてくれたが、俺の耳には届かなかった。


 養父は、俺に魔法の才がないと分かってもなお、俺に厳しい魔法の訓練を課した。剣があれば何の苦労もないはずのゴブリンに、杖を折られて叩きのめされた時、幼心は打ち砕かれた。


「ゴブリンにも勝てないのか、ブレイズ。お前は、本当にダメな奴だなぁ」


「ブレイズお兄様は、本当に情けないお人ね。生きてて恥ずかしくないのかしら」


 義理の兄、妹が嘲笑と共に去っていく中、養父は心底呆れたという声で、俺に言った。


「お前の魔法は、本当に雑魚そのものだ。ゴブリンのような雑魚にすら劣る。努力しないのならば、出ていけ」


 俺が、このような惨めな立場に追いやられるまでに、半年。いたずらに食事を抜かれたり、義兄妹や使用人からもいじめられたりするような日々が、さらにさらに半年。


 その1年で、俺は父の形見、魔剣ティルヴィングの場所を知った。


 ティルヴィングは、父の剣だった。父の語る武勇伝では、必ずティルヴィングが登場した。凄まじい切れ味の魔剣。持つと、心にぞわぞわとしたものを囁くのだと。


 父は語った。


「レイ。いずれ、ティルヴィングもお前に託すことになる。だが、この剣は弱き心に付け入る、そんな剣だ。だから、強くなれ。強い心を身に付けろ」


 俺は自らを省みた。罵倒、嘲笑、冷遇。たかがそれだけで、俺はここまで追いやられたことを。


 そんな弱い心では、父の形見を手に取ることは許されない。強い、強い心を。何者にも負けない心を。少なくとも、この家での境遇に鼻で笑ってしまえる強さを、身に付けなければ。


 だから俺は、義兄妹に悪戯で閉じ込められた納屋の中に、打ち捨てられるように放置されたティルヴィングを前に、誓いを立てた。


「強くなる。だから、その時まで待っていてくれ、ティルヴィング。お前無しで何者にも負けないくらい強くなったとき、俺はお前を迎えに来る」


 俺はティルヴィングに、指一本触れなかった。数時間後、ベティに納屋から助けてもらった俺は、誓いを胸に礼を言った。


 俺はそれから1年掛けて、自分の心を強くした。罵倒に睨み返し、嘲笑を鼻で笑い、冷遇に拳で答えた。


 無論、待遇はさらに悪化した。罵倒は暴力を伴い、嘲笑は明らかな嫌がらせに変わり、冷遇は虐待に進化した。


 だが、俺はそれに負けなかった。歯向かい、唾を吐き、罵倒を返した。涙の代わりに血を流し、俺は誇りを胸に心の強さを身に着けた。


 そして10年前のある日、いつもの通り「出ていけ」と言った養父の言葉に、頷いた。


「……何だと?」


「ですから、『分かりました、出ていきます』と言ったのです、父上」


 土砂降りの雨が降る日だった。ティルヴィングを背負って、俺は養父を睨みつけていた。


 養父のそこからの言葉振りはなかった。俺の心変わりを誘うように、殴りつけたり、蹴ったりして、俺の心を折ろうとした。


 だが、俺は折れなかった。折れれば負ける。殺される。絶望は死の苗床だ。絶望した者から死んでいく。


 俺を殴りつかれた養父は、息を切らしながら、「ならばいい」と汗だくになって言った。


「お前なぞ出ていけ、この恩知らずめ」


 その言葉を聞きながら、地面に突っ伏した俺はほくそ笑んだ。俺とブラッドフォード家の勝負に、初めて俺が勝利した瞬間だった。

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