秋の気配は絶望の薫りがする

リウクス

罪悪感

 高校2年の春、私は始業式の日に出席しなかった。


 春休みが終わる2日くらい前、学校の近づいてくる足音が、私に未来を想起させた。

 新しいクラス。新しい人間関係。新しい授業。たくさんの新しいこと。

 そして、そのどれもが真新しいわけではなく、かつて自分の体験した同じことをもう一度やり直すという意味での“新しい”だった。


 このことを考えると、私は急に不安と倦怠感に襲われた。

 ゲームでラスボスの最終形態まで行けたのに、難しかった最終面を最初から何十分もかけてやり直さなければならなくなった時の面倒くささに近い。

 せっかく3学期には人間関係の変化も落ち着いて、一人でいようと集団でいようと、誰もが自分の立ち位置を把握できるようになっていたのに、それを捨ててまた始めなければならないなんて。


 やり直すには気が滅入るようなことを挙げればキリがない。

 特別仲良くないのに無理やり近い席で組まされるグループワーク。

 日付で人を当てる授業。

 朝席についてHRまで一人で寝たふりをする時間。

 最初は友達のつもりだったけど、今はそうでもない人間と廊下ですれ違う瞬間。

 部活で先輩とラリーをしたときに続かなかったときの気まずさ。


 1年間全部やり切ったのに、数日後にはこれをまた1年繰り返さなければいけないという軽い絶望感が、私の足先を冷たくした。


 そして結局、始業式当日、私は朝ごはんを食べて、鞄を準備して、靴を履いて、ついに学校には行かなかった。

 ドアを開けて、空気を吸って、「これは嫌だ」と思ったのだ。

 それまでは「行きたくないけど、行かなければならない」という使命感の下に頭を悩ませていたのに。ふっと一瞬、お前は行くべきではないと語りかけられたような気がして、半開きのドアを閉めた。

 それから、部屋に戻ると鞄を片付けて、制服を脱いで、軽い身体でベッドに横たわった。

 窓の外から誰かの自転車をこぐ音と、遠くで鳴る学校のチャイムが耳に入ってきた。

 

 私の中にあったのは、ただ浮遊感だけ。

 何かやってはいけないことをやっているような、正しいことをしているような、そんな矛盾した感情。


 その日は特に何をするでもなく、ただ、横たわって、ぼーっとして、ちょっとの罪悪感と、嬉々とした控えめな開放感を胸に抱いて、天井を眺めていた。


 次の日は、初日にいなかった人間が翌日来て目立つというシチュエーションを想像して、足を止めた。

 それに、最初の週はあんまり授業とかないイメージあるし、何も損をすることなどないとも自分に言い聞かせた。


 案の定、翌週も学校には行かなかった。

 当然学校に行っていないことは両親にもバレたが、彼らは私を責めるような人間ではない。

 両親はとても影響されやすいのだ。世間が多様性という言葉を持て囃し、学校に行かないことが何か価値あるもののように謳われれば、彼らはそれに便乗する。大衆の影のような存在だ。


 それに、嫌なことがあるからそれをしないというのは、生き物として当たり前の反応だから、まず誰も私を厳しく責め立てるようなことはできないだろう。

 ちょうどオペラント条件付けのようなものだ。

 学校に行かせられて不快だと思えば、それは嫌子として働き、登校回数が減少する。

 逆もまた然り。辛かったら休んでもいいんだよと言われ、学校に行かないことで快感を得ることが好子として働き、欠席回数が上昇する。


 レバーを押したら餌が出るとペットが学べば、その頻度が増えるのと何も変わらない。

 極々自然な反応なのだ。


 でも、やはり1ヵ月も経って冷静になると、罪悪感が強くならないわけでもなかった。

 だから、私は学校から送られてきた教科書を使って、勉強を始めた。

 少しでも、うしろめたさを和らげるために。

 多分、勉強を始めて2週間くらいで、全教科クラスの進行速度よりも早く進めていたと思う。他にやることがないから。


 そして、これが劇薬になってしまった。

 やることやってるから別にいいだろうという言い訳が完成してしまった。

 私が学校に行かなければならない理由は何もなかった。


 けれど、それは逆説的に、私の中に芽生える罪悪感がより一層存在感を強めていることの証明にもなった。

 自分は悪くないんだと思いたい分だけ、勉強の量は増えていく。

 成績のためでも、将来のためでもない。自分のためだけの勉強。


 誰の介入もない、自分だけで完結する世界があればいいのにと、少しだけ願いながら、時は過ぎて夏になった。


 夏休みはそもそも学校に行っている人たちも宿題以外に勉強をする必要がないから、私も勉強を止めて自分だけの夏休みに入った。

 何もしなくても不快にならないから、夏休みは好きだと、最初はそう思っていた。

 けれど、それも8月中旬を過ぎれば変わってくる。

 ほんの2週間勉強をしなかっただけなのに、学校は言うまでもなく、もうただ勉強をすることも嫌になっていたのだ。


 またあと2週間経てば、学校が始まって、私は罪悪感を打ち消すために勉強をしなくてはならなくなって。

 そういう未来を想像して、言い知れぬ不安に包まれた。


 だから私はカレンダーを捨てた。

 テレビを見なくなった。

 スマホを触らなくなった。

 できるだけ時間の経過を悟らないように。

 自分が有限な時間を無為に消費しているということに気づかないように。


 だけど、ある日の夕方。

 部屋の窓を開けると、心地よく涼しい風が頬を掠めた。

 そして、いつもより日が深く落ちているような気がした。


 ——微かに薫る秋の気配と焦燥感が、私の時間に絶望をつれてやって来たのだった。

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