5
崖の上へは、フラップのみが同行し、それ以外のオハコビ隊員は下で待機した。
どうやら、フラップと子どもたち以外、
だれも崖に上がることをゆるされていないようだった。
「さあ、みなさん。到着しましたよ!」
神聖な場所といえども、その崖の上は何もない殺風景な場所だった。
けれど、他のどこよりも清く安らかな波動を湖から感じる気がする。
そこには、また二頭のオハコビ竜が待っていて、
白い体毛に、ふわっとなびく紅白の巫女服に身をつつんでいた。
袴の間から長いしっぽがのびていて、なんだか妙な格好だ。
手には真鍮の神楽鈴を持ち、足には大きな草履をはいている。
「ツアー参加者の皆様、ならびに、遠方の島々よりお越しの皆みな様」
「よくぞ、お越しくださいました。
わたしたちはオハコビ隊員にして、白竜様にお仕えするもの」
巫女姿の竜たちは、温かくもおごそかな気品のある声で、
子どもたちのみならず湖に集まるものすべてにむかって言った。
「白竜様の儀式の時にこたえ、ここに聖なる水の力が集まりました。
これより、白竜様がお見えになります」
「ツアー参加者の皆様は、
白竜様より特別にこちらに招待された、誠に幸いなお客人となります。
どうか、どなた様も粗相のないよう、神聖なる脱皮の瞬間をご静観ください……」
いかにも物々しい神事を執り行うかのように、
巫女姿の竜たちは、鈴を鳴らしながら優雅に舞をはじめた。
おしゃべりしていた子どもたちも、
さすがに緊張がつのりはじめたのか、水を打ったように静かになった。
湖の水面下が、白くぼんやりと明るくなっていく。
昼間の湖に、ゆらめく巨大な満月が浮かび上がったかのようだ。
宙に浮いていた水玉の群れが、プルプルとうごめいたかと思うと、
その光を中心に、大きな輪を描いてぐるぐると湖上を旋回しだす。
やがて光の底から、
水が次第にぶくぶくと音を立てながら大きく盛り上がりはじめる。
偉大なる力を持った『何か』の気配が、いよいよ近づいてきた。
来る。
ハルトとスズカは、息も忘れて待ちかまえた。
どおおおぉぉぉーー……!
すさまじい水音とともに、巨大な生物が姿を現した。
次第に高くそびえ立つ、あでやかな白いウロコを持った白い竜。
口もとから左右に長い髭を生やし、美しい白木を思わせる見事な角を持っている。
半身が水に浸かっていてもなお、
あらわになった胴体は学校の屋上よりもさらに高く伸びあがっていた。
白竜さまの顔を見上げる子どもたちの首が痛くなる。
おおおおー!
四方八方から驚きの声が上がり、同時に、
パシャパシャとカメラのシャッターを切る音が、ひっきりなしに鳴りだす。
ツアー参加者たちも、何十メートルもあるその巨体に興奮しきっていた――
静かに観るように言われたのも忘れて。
ただひとり、ハルトだけはまだそれほど驚いていなかった。
この竜の本当の美しさは、きっとこんなものじゃない。
白竜さまの全身のかがやきは、
薄い膜でおおわれて乏しくなっているように見えた。
おそらくあれが、古くなった自身の表皮のあらわれなのだろう。
白竜さまは、まっすぐに天をあおぎ、静かに目を閉じて何かを念じた。
すると、その表皮が頭から静かに裂けはじめた。
大蛇が長い皮をそっと脱ぎ捨てるように、
あるいは、見えざる手が白い果実の皮をむくように、
白竜さまはしゅくしゅくと上品に脱皮していく。
頭からはがれた部分には、
長い髭やおごそかな角の形が、しっかり残っているのが見える。
白濁とした竜の皮が、流れ落ちるようにして水面に没していく。
すべてがとどこおりなく終わった時、
磨き上げられたばかりのようなウロコがあらわになっていた。
真のかがやきを取りもどした白竜さまは、
昼の陽光を打ち負かすほどのまばゆい白金の光を放ち、湖全体をそめ上げた。
周囲を飛んでいた水玉も、水面に起きていた波も、
時を止められたようにピタリと静止していた。
儀式を終えて清々しさをにじませる白竜さまは、
崖の上の子どもたちを見下ろした。
『――わたしは白竜。
昼の日の光と、夜の月の光が溶けあう地にて、生まれしもの』
心身をなで下ろしてくれるような女性の声がした。
テレパシーだ。それとも、これも竜の秘術だろうか。
『地上界から来た皆さん、遠路はるばる会いに来てくれて、どうもありがとう。
わたしは、地上に生きるあなたたちに会うのを、とても楽しみにしていました』
まったくもって悪い気がしない。
ツアー参加者はみんな、自分のお母さんの温もりをなんとなく思い出した。
たちまち白竜さまの虜になり、嬉しさで胸が温かくなった――が、その時だ。
『むっ、何者!?』
突然、白竜さまが上をあおいだ。それにつられて、
子どもたちも、オハコビ竜たちも、亜人たちも、その方向を見上げた。
滞空するオハコビ竜たちの中に、一頭だけ、異様に真っ黒な姿をした竜がいた。
姿かたちは、どことなくオハコビ竜を思わせるが、
そんな可愛いものとはまるで違う。
怪鳥のような翼を生やし、頭には黒い仮面をかぶっていて、
光の世界にただ一点だけ現れた闇の化身らしい覇気と存在感があった。
周囲にいたオハコビ竜たちは、恐れおののいてそいつから離れていく。
ハルトは、その黒い竜を見ただけでゾクッとした。
(なんなんだ、あれ。竜なのか?)
下にいた多くの者が、黒い竜を指さしながら、
あれはなんだ、竜の一種かと、どよめきはじめた。
「――俺は」
黒い竜は、獣がうなるような低い声でしゃべりだした。
「俺は黒影竜。名は、ガオル。
日の光も、月の光も当たらぬ場所で、ひっそりと生を受けたもの。
俺は、人間の命をいただきにきた!」
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